骨と筋肉は夜の校舎を走る

透峰 零

危ないので廊下を走ってはいけません

 人体模型のチャーリーと骨格標本の大介は深夜、学校の廊下を爆走していた。

 理由は単純に逃げているからである。

 そもそも、人であろうと動物であろうと人体模型であろうと、走る能力を得たものが必死に走る理由など、急いでる時か逃げている時が大半であろう。


「馬鹿野郎……! お前……お前、この前センサーが増設されたって言ったばっかりなのに、一瞬で忘れるとか嘘だろ。馬鹿だろ、馬鹿。これだから筋肉のない骨々馬鹿は嫌なんだよ!」

「何回馬鹿って言えば気が済むんだよ。お前こそ、心臓落とすとか馬鹿だろ。脳筋馬鹿」

「はい、お前の方が馬鹿ー。筋肉は脳みそからの命令で動くんですー。つまり、筋肉と脳みそは密接な関係がありまして「うっせえええええ! 表情筋あるからってドヤ顔してんじゃねーよ、腹立つな!」


 走りながら器用に囁き、罵りあう二人、もとい二体の背後にある階段からも足音が響いている。

 頭だけを真後ろに回した大介がカタカタと(物理的に)首を揺らした。彼の癖である。

「ていうか、あの警備員やけに早くない? あの会社の社員はみんな霊長類最強の遺伝子持ってるの? 怖いんだけど」

「恐ろしいことを言うな。勝ち目がなくなる」

 そもそも、どうして二体は逃げる羽目になっているのか。

 始まりは些細なことで、どちらの方が速く走れるかということを言い合っているうちにヒートアップしたのである。

 自分の方が筋肉(なお、プラスチック)があるから速いと言い張るチャーリー。

 自分の方が軽い(同じくプラスチック製)から速いに決まっている、と譲らない大介。

 ならば実際に競争してみてはどうだと、蛙(ホルマリン漬け)に唆されて、学校で最も長い北校舎の一階廊下を走ることになったのが、一時間ほど前。

 鮮やかな勝利を決めた大介が、この喜びを校庭にいる大親友の金次郎に伝えようと窓を開けたのが四十分前。


 ――そして、先週導入されたばかりのセンサーが見事に作動したのが同刻。


 しかし、ここまではまだ良かった。

 二体の経験上、警備員が到着して周辺を確認して中に入ってくるのに二十分から三十分はかかる。だから、その間に理科室に戻って澄ました顔をして、おっかなびっくり見回りをする哀れな警備員をやり過ごせば良かった。


 だが、ここで更なるハプニングが発生する。


 心もち青い顔をしたチャーリーが「大事な筋肉しんぞう落とした」と言ったのだ。

 今までも好き勝手していた為、二体はこれまでも色々なものを無くしている。それは脛骨だったり、肺であったり、手首から先の骨を丸ごとだったりと様々だが、その内容はどうでもいい。

 ともかく、よく部品がなくなる二体の責任の所在は誰にあるのか。それが社会にとっては最も重要なのだ。

 よもや本人達のせいであるとは誰も考えない。これまた、当然の理屈である。

 結果として、責任は彼らの管理責任者――すなわち理科教師に問われることが慣例となっていた。


「ど、どうすんだよ! 福井先生、この前も怒られてたんだぞ?! これ以上続いたら、責任感強いから教師辞めるとか言い出しかねないじゃん。毎日俺らの掃除してくれる聖人なのに! 肋までちゃんとハタキかけてくれるんだぞ、あの人!」

「そう言われても……! 無いものは無いんだから仕方ないだろが!」

「開き直るな、開くのは腹だけにしろ! 自分の筋肉くらいちゃんと管理しろよ!」


 そんなこんなで心臓を探すこと三十分。夜の学校は人体模型と骨格標本であっても見えにくいのである。

 さらに悪いことは重なるもので、その間にやってきた警備員はかなりの手練れだった。

 周辺の確認を手早く済ませ、まだワタワタとしている二人が見守る前で校舎内に襲来。北校舎にある職員室から警備を解除して、二人が潜む一階の廊下から見回りを始めた。

 というか、発報したセンサーが廊下の窓だったのでそちらを確認しようと思ったのだろう。


 そして、ようやく回収した心臓を押し込んだチャーリーとカタカタ震える大介の影を発見、通報。今に至る。

 影だけで本体を見なかったのは、彼ら二体にとっても、警備員にとっても幸いと言えただろう。

 相手が警察に通報していた分で距離は稼げたが、姿を見られるのも時間の問題かもしれない。


「警備員って通報してからも泥棒追いかけて良いんだっけ?!」

「知るか。いっそここで倒れといて、存在しない泥棒のせいにしといた方が良いんじゃないか? ほら、俺らって高いらしいし」

「駄目に決まってるだろ! ただでさえ忙しい先生方に、これ以上負担かけられないよ! 警察の聴取だって入るだろうし。あの男の気のせいにしないと!!」

「くそ、どうしてこんなことに……」


 どうしてもこうしても、彼らが動いたからなのだが、それを突っ込む者はこの場にいなかった。


「階段、増えて足止めしてくれないかなぁ」

「うちの階段、永遠に増えるタイプじゃなくて「夜になると一段だけ増える」ささやかタイプの怪談だから無理じゃね?」

「ガッデム!」

 絶望の叫びを上げ、大介が渡り廊下に続く扉を開ける。そのまま鮮やかな手つきで元通り施錠をする彼を見下ろしながら、チャーリーは呆れた声を出した。

「大介、お前日本産だよね」

「うるさい黙れ、筋肉開帳馬鹿! お前だって洒落た名前してるけど日本産じゃないか!」

「わかったわかった、荒れるなよ。俺が悪かったって」



 理科室ゴールは階段を上がり、廊下を走り抜けた先だ。あいにくと、階段の踊り場にあった怪談つきの姿見は一年前に安全を理由に撤去されてしまった。足止めは期待できそうにない。

 暗い廊下を見たチャーリーは憂鬱なため息をつく。

「明日筋肉痛になってそう……」

「お前の筋肉はプラスチック製!」


 美術室に並ぶ石膏像達のもの言いたげな視線を感じながら、今夜も二体は力いっぱい走り抜ける。

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骨と筋肉は夜の校舎を走る 透峰 零 @rei_T

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