誰が為の季節〜中央島の少女〜

青樹春夜(あおきはるや:旧halhal-

中央島の少女


 シキは長い髪をかき上げた。


 さらさらの亜麻色のそれは彼女の意思に反してすぐにこぼれ落ちて元に戻る。


「まだかなー?」


 シキは丘の上から森の方を眺めていた。昼を過ぎて少し経ったころだ。森には同居人・カミタカの仕事場がある。


 そして今日はカミタカの仕事の日だ。


 彼の帰宅が待ちきれなくて、シキは家から出て彼を待っていた。


 仕事なんてしなくてもいいとシキは言ったのだが、カミタカは自分で仕事を見つけて来たのだ。


 鋳物いもの鋳造の手伝いだ。


 今の季節なら良いが、もう少しして夏が来ると暑さで大変な仕事となる。シキはそれが不満だった。彼には重労働して欲しくない。どうせならずっと家に居てくれればいいのに。


 少しでも彼に早く会いたくて丘を降りる。


 シキのトレードマークである白いワンピースが春の風に揺れた。気持ちの良い午後だ。そのままシキはゆっくりと歩き出す。


 あくまでもさりげなく会いたいだけだ。迎えに来たみたいではカミタカ君も気を悪くする、とシキは思ってる。


 そうは思うのだが、一向に彼は帰ってこない。このままこの森に入る小径こみちを行くと、カミタカの職場についてしまう。


 ——それもいいかな。


 驚くかな、とシキは彼の事を考える。





 気がつくと本当にカミタカの仕事場まで来てしまい、シキは少し気恥ずかしくなる。ここの職人達は声が大きくてあまり好きではない。


 煉瓦れんがを敷き詰めた作業場の上に、さらに砂を敷いて、その上に簡易的な屋根が架けられている。縦型の炉が三つ置いてあって、砂の上にはすでに丸い大きな鉄瓶てつびんが 幾つも並んでいた。


 鉄瓶はすでに冷めて黒鉄くろがねの色を見せている。それは作業の終わりを意味していた。


 ——と、いうことは。


 カミタカの姿を探して作業場に足を踏み入れると、奥から大柄な男が現れた。


 職人の一人だろう。シキの姿を見て驚いたようだったが、怖そうな顔はすぐにゆるみ、にやにやとした笑みを浮かべた。


「おーい、カミタカ! お迎えが来たぞ!」


 ——なんて事言うのよ!


 シキは職人に怒りを覚えたし、こんな事を言われたカミタカが恥ずかしがるのではないかと危惧きぐした。そうなれば勝手に会いに来た自分が嫌われるではないか。


 炉の奥の煉瓦れんがの壁の向こうから、カミタカが姿を現した。いつものようにタオルを頭に巻いて、半袖のTシャツを着ている。鉄を溶かす程の炉のそばにいるから暑いのだろう。


 少女の姿を見てすぐに『お迎え』の意味を理解したらしく、「少し待ってて」と返事をくれた。


 それだけでシキはほっとする。


 離れたところで見ていると、カミタカは職人に何か言われながら——きっと揶揄からかわれているのだろう——軽快な足取りで出しっぱなしの道具を片付けていく。


 一抱えもある鋳型いがたを運ぶときに、彼のき出しの腕がシキの目に止まる。


 大人の職人に比べたら細い腕だ。


 けれども重いものを持つ彼の腕に浮き出た、力強さを示す形に思わずどきりとする。


 慌てて目をらして近くの花水木ハナミズキに視線を移す。もう少し色づけば、それはこの島での初夏の知らせだ。


 今は淡い若葉色の樹々の葉が色濃くなり、少女の白いワンピースを際立たせる季節がやって来る。


 そうしたら少しは彼も私に目を止めてくれるだろうか。


「お待たせ」


 後ろから声をかけられてシキは飛び上がって驚いた。カミタカの事を考えていただけなのに、なぜかそれがとても気恥ずかしかった。


「あっ、あのね」


「親方達が気をつかってくれた。女の子を待たせるなってさ」


 カミタカは照れくさそうにシキの方を見ずにまっすぐ前を見て歩き出した。けれどシキはそれに気が付かず、自分が迷惑をかけてしまったと、うつむいた。


 カミタカの後ろについて行きながら少しだけ目線を上げると、彼がいつの間にか自分よりもずっと背が高くなったことを知る。


 初めて会った時はシキよりちょっとだけ大きいだけだったのに。


 ——いつの間に。


 いつの間に彼は背が伸びたんだろう。


 いつの間に腕も肩も前より力強くなったんだろう。


 そうやっていつの間にか大人になったら、彼はどこへ行くのだろう。


「何かあったのか?」


 シキが迎えに来るなんて何か用事でもあったのかと、カミタカは尋ねた。


「ううん、別に」


 早く会いたかった、などと言えば彼が困った顔をするのは目に見えている。


 シキは男らしくなってきた彼の腕にしがみつきたいのを我慢して、無関係な夕食の話をする。


 これくらいの話題がちょうどいい。


 少年と少女の夏はこれからだった。





 誰が為の季節〜中央島の少女〜完

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