未繫し

 魔女は朝早くに近くの農村へと出掛けていった。

 その間にバケモノは一人で考える時間を得る。

 全知のバケモノと未知の魔女は全く違う。

 見た目も、バケモノはそう呼ばれる通りの埒外の姿で、対して魔女は外見だけなら可憐な女性だ。

 精神も、バケモノは中身がなく、魔女は自我で満ちている。

 何もかもが違いすぎる。

 どうしたって理解し切ることが出来ない。

 事実、魔女に喜んでほしいと思っての行動は悉くが的外れだった。

「見た目だけでも相応しく変えてみるか」

 バケモノは魔術を使って自分の姿を組み換える。

 大柄だが、十分に人間の範疇に納まった背丈に。

 野性味溢れるが美形と呼べるような顔立ちに。

 毛皮も翼も爪も牙もなくして、さっぱりと清潔感のある服装に。

 人の姿を取ったバケモノは満足そうに一つ頷いた。

「帰ったわ……あら? まぁ」

 ちょうどそこに籠を肘に提げた魔女が帰って来て、バケモノの姿を目にして感嘆の声を上げた。

 それからくすくすと笑いと口に転がした。

「どうしたの?」

「似合わないか?」

 普段と違ってバケモノの声は幾分か響きが軽かった。それでも人として見れば耳応みみごたえの良い低音の声質だが。

 不安そうに眉を寄せるバケモノに、魔女は尚更可笑しくなった。

「いえ、急で驚いただけよ。大丈夫、素敵な姿ではあるわ」

 魔女の声は子供の相手をする母親のような優しさを纏っている。

 バケモノは少しばかり不満だが、魔女の隣に立つといつもより近い目線に安らぎも感じる。

「持とう」

「ありがと」

 バケモノは魔女から籠を受け取って厨房へとエスコートする。

 二人分の靴の音が石の床に響く。

 バケモノはいつもと変わらない魔女の様子をちらちらと見て、魔女はいつもと違うバケモノに視線を向けずに真っ直ぐ前を見て進む。

 見た目が悪かっただろうかとバケモノは不安そうに自分の姿を見下ろした。

「折角着飾っているだから、堂々としていた方が様になるわよ」

 笑いを含んだ魔女の指摘を受けて、バケモノは鼻白んだ。

 それで咳払いをして、背筋を伸ばして目線を前に送りつつ歩く。

「まぁ、せめてそのくらいはね。横の女性を何度も見るのははしたないから、人前では止めなさいね」

 おかしい。何かマナーを習っている子供のように扱われている。

 厨房に着いたので、バケモノは棚に籠を置いた。

 魔女は魔術で冷蔵保存して熟成させた小鹿の肉を抱えて取り出す。

「その姿だったら、わたしと同じものを一緒にテーブルに着いて食べてみる?」

 魔女一人分には多過ぎる肉の塊を調理台に置いて、バケモノに訊ねてきた。

 一緒に食事をするというのはバケモノにも魅力的に思えた。でもその言い方はやっぱり子供に夕食のリクエストを訊くような雰囲気がある。

「こんなオレでは駄目なのか? 普段の方がいいのか?」

「え? 別に貴方がどんな姿でもいいわよ。好きにして。まぁ、こうしてたまに違う見た目になってくれるなら、わたしも楽しくはあるけど」

 魔女はバケモノに理想を押し付けて来ない。

 いや、そもそも理想だなんて妄想を抱いていないのだろう。

 全知のバケモノという存在であるなら、どんな姿でも、どんな振る舞いでも、ありのまま受け止めている。

 自分はどうだろうかとバケモノは床に視線を落とす。

 未知の魔女が持ってもいない理想的な自分を形作ろうとしている。

 自分が自分でいるのが堪えられない。けれど自分が自分でなくなっても注目してもらえないのが腹立たしい。

 バケモノは苛立つままに獣の姿に戻り、巨大な手で魔女の体を掴んで厨房の外へと押し出した。

 バケモノは勢い良く魔女を廊下の床に押し倒す。

「何なんだ! どうすればいいんだ! どうなればオマエにオレは適うんだ!」

 バケモノは吼え、生温い唾を魔女の顔や髪に浴びせた。

 魔女の瞳は深く透き通ってバケモノをただ見返している。

 その瞳に何もかもが見透かされている気分になって、バケモノは魔女を掴み全力で壁に叩き付けた。

 バケモノ自身でさえ肩で息をする程の力を込めて魔女を投げ捨て、魔女がぶつかった壁が粉と崩れ落ちて埃を巻き上げる。

 四度目の荒々しい息を吐き出したところでバケモノは我に返り、自分のした行動の恐ろしさに顔を青褪めて魔女に駆け寄った。

「大丈夫か! 違う、違うのだ、死なないでくれ!」

「あはは、平気、平気よ。そんなに慌てないで。魔術で受けたから、ちょっと痛むくらいよ」

 土煙を手で扇いで魔女は無事な姿を見せる。背中を強かに打ったのは確かだが、外傷も内出血もしていない。

 バケモノは魔女が動く姿に喜びを顔に浮かべ、そして直ぐに顔を曇らせて尻込みした。

 魔女はそんな怯えるバケモノを見て、一先ずは安易に近付くのを止める。

 そしてバケモノをじっと見詰めて溜息を零した。

「そう。未繋みづなしくて仕方なくて、それで怖がっているのね」

「みづな、しい?」

 その未言みことを全知のバケモノはまだ知らない。まだ知らないが、やはり未知の魔女には統べてお見通しなのだろうと直観する。

 それが怖くて、瞋りが込み上げてきて、バケモノは牙を剥いて威嚇する。

「未繋しい」

 魔女は白い手で外套を叩いて埃を落とした。

「世界の誰も自分を見てくれていないと感じてしまうような孤独の寂しさ」

 崩れた瓦礫を避けて魔女は足を踏み出した。

 バケモノはその分後退りして距離を保とうとする。

「この世界には自分一人しかいないのではないかと錯覚して起こる寂寥感」

 声も足もゆっくりと、魔女はバケモノに迫る。

 バケモノの爪がガリガリと無様に床を掻いた。

「宇宙的孤独」

 魔女の透き通った眼差しがバケモノに向けられる。

 バケモノの背中が壁にぶつかった。

「この世総てが究極的には誰とも混じり合わない孤独でいるだなんて、分かり切っていることじゃないの。それが個性というものでしょ。他人を飲み込んで自分に融け合わせるなんて不可能なのだから、誰もが分かり合えない境界を持って存在しているの」

 魔女がバケモノに手を伸ばした。

 バケモノは反射的に鋭い牙を開き、その小さな手に噛み付こうとした。

 魔女の手はするりとバケモノの牙を逃れて。

 がちりとバケモノの牙が噛み合い。

 魔女の手が無防備なバケモノの鼻先を撫でた。

「それぞれが孤独だからこうして触れ合えるのよ。わかる?」

 バケモノは弱々しく首を横に振った。

「オマエが何と言おうが、オレはオマエとは違うイキモノだ。オマエのことなんてこれっぽちも分からない」

「いやだから、わたしも同じこと言ってるじゃない」

 話が噛み合っているのに、バケモノがそれを受け入れようとしなくて魔女は笑ってしまう。

「あのね、未繋しくて寂しいってことは、貴方はこの世にたった一つのかけがえのない存在だっていうことなのよ」

 バケモノは鼻先に触れる魔女の掌から温もりを感じた。

 その温かさに縋り付きたくなった。そして同時に振り解いて二度と触れられない遠くまで逃げたくなった。

「わたしだって貴方の馬鹿馬鹿しさはいつも予想外よ。本当に呆れちゃう」

「そんな相手は愛想を尽かせばいい」

「そんなことしたらわたしが寂しくなるじゃない」

「運命に縛られた呪われた生き物め」

「違うわ」

 魔女のつがいだなんて、生まれる前から決めつけている相手に抱く恋心なんて辻褄合わせだと揶揄するバケモノに、魔女ははっきりと否と突き付ける。

「こんなに怯えて、可哀想で、可愛らしい貴方を、わたしは愛しく想っているものだもの。運命が違ったとしても全部引っ繰り返して貴方を選ぶわよ」

 馬鹿にしないで、と魔女は誇らしげに笑う。

「わたしも貴方も、それぞれに違うたった一つの命だから、他の命を求めてときめくのよ。そうでしょ?」

 全知のバケモノは額の目を開いて未知の魔女を視る。

 やはりその存在は曖昧にしか映らなくて、今にも消えてしまいそうで怖かった。

 この魔女が自分の前からいなくなってしまうのが、バケモノにはどうしようもなく怖かった。

「これが、愛するということなのか?」

 バケモノの二つの目から哀しくて涙が零れた。こんな、創造するだけで胸が潰れそうになる寂しさなんて知りたくもなかった。

「いいえ。そんな不安そうなのはまだ愛じゃないないわよ」

 しかしバケモノの切実な感傷は魔女にきっぱりと切り捨てられる。

「でも、わたしに恋はもうしているんでしょうね」

 魔女が顔をバケモノに近付けてきた。

 バケモノの鼻先に、魔女の柔らかな唇が当てられる。

 息を止めて。

 誰もいない城の静けさの中で。

 心臓が十回程鼓動する間、そのまま触れ合っていた。

「オマエが好きだ」

 バケモノはそう言わないと恐ろしくて胸が潰れそうだった。

「わたしも貴方が愛おしいわ」

 魔女は胸に溢れる想いをそのままに言葉にした。

 全知のバケモノは自分の中に湧き立つ訳の分からない未知の感情のままに透明な大粒の涙をずっと零し続けた。


全知のバケモノと未知の魔女 了

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全知のバケモノと未知の魔女 奈月遥 @you-natskey

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