天使の羽ばたき
全知のバケモノと未知の魔女が同居する城にはダンスホールも豪奢なものが備えてあった。
魔女はだだっ広い部屋の真ん中に立ち、宝石のようにカットされたクリスタルグラスが惜しみなく使われたシャンデリアを見上げている。光が入ればそれは美しく煌めくのだと容易に想像が出来る。
一人佇む魔女の元へバケモノがやって来て隣に立った。
「オマエも踊りたいのか?」
「いえ、別に」
いつもバケモノが予想したのと魔女の気持ちは違っている。いつか分かり合える日が来るんだろうか、いや来なさそうだとバケモノは遠い目をする。
「でもちょうど良かったわ。あの辺りの時間停めてる魔術を解いてくれる?」
魔女は高い天井に近い壁を指差してバケモノにお願いしてきた。
バケモノはそんなところの時間を動かして何がしたいのだろうかと疑問を抱きながらも言われるままに魔術を解く。
「ありがと」
魔女がお礼を言うのと、バケモノが魔術を解いた壁の一角が吹き飛んで穴が開いたのは同時だった。
壁だった破片がパラパラと外へと落ちていく音を聞いてバケモノは呆然となる。
「……オレは何かオマエの気に障ることをしたんだろうか?」
「え、そんなことは全くないけれど、どうして?」
遠回しな抗議なのかと冷や汗を掌に握るバケモノに、魔女はきょとんと目を丸くする。
魔女はその片手間で砕けた壁の石を組み直して窓の形にした。透明度の高い硝子も嵌められて、それはさも元からそのような設計で造られたのだと見間違えそうな程だ。
「もうすぐだったから、本当にちょうどいいタイミングだったのよ」
「一体、何の話だ?」
「ふふ、すぐわかるから待ってなさい」
魔女は悪戯っぽく笑って、その意図を教えてくれない。
だからじっと待つしかなかった。
魔女がシャンデリアを無心に見上げているので、バケモノも同じように見上げて待つ。
やがて魔女が拵えた窓から差す陽光が部屋に浮かぶ埃を
角度の変わっていくその陽光はある一時を越えた瞬間に、シャンデリアに触れた。
その途端に、部屋一杯にプリズムが投影される。
それは虹色に光る翼をシャンデリアが広げたようで。
その一枚はバケモノの手元にも差し込んできたので、掌に握ろうとして、逃げたプリズムは握った指の外に張り付く。
「エンジェルスワフト」
魔女の呟きに、バケモノの心臓が嬉しそうに跳ねた。
「それは天使の羽ばたき。宝石のカットやステンドグラスなどが、特定の時刻にだけ通過または反射させた光を辺り一面に散りばめる現象。ある一時だけ天使が魅せる天上の美」
太陽が奇跡の位置を逸れていく。
天使の羽ばたきが彩りを薄めていく。
永遠であればいいと思える程の光景が失われていく。
しかし限られた時間にしか観られない稀少さが、間違いなくこの感動を高めている。
ああ、息を一つするだけの一瞬が、こんなにも貴く思えるだなんて。
「やっと貴方も何かを愛でる喜びを知ったのね」
そんなバケモノの心に浮かんだ想いを魔女は見透かしていた。
そろそろ自分は全知という枕詞を魔女に譲るべきなんじゃないかと、バケモノは思い始めている。
バケモノはエンジェルスワフトの最後の灯が消え去った後に、首を巡らせて魔女を見下ろした。
その瞳はエンジェルスワフトを見詰めていた時のままに透き通っている。
バケモノの三つの
いきなり壁を破壊するだなんて突飛な行動をして、本当に理解出来ない相手だ。それでも魔女が魅せる景色は、魔女が教える未知の言葉は、バケモノにとって大切なものとして確かに胸に仕舞われていく。
「何の説明もなしに破壊行為をされるのは困る」
「でも、何も知らないでいた時に味わう驚きは、とても新鮮で喜びを増すでしょう?」
バケモノの頼みを魔女は聞き入れてくれない。
いつだって自分が最善だと思った行動を、誰の目も心情も気に掛けずに実行する。
強い女だとバケモノは想う。
気高い女だとバケモノは想う。
そして美しい生き様だとバケモノは羨ましく想う。
視えるから覚えていった。
襲われたから返り討ちにした。
誰も来なければ生きるためだけに日々を過ごした。
他人に対応しなければ意思を出せない自分とはまるで違う者だと、バケモノはとても遠く感じた。
ちくりと痛む
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