未知の魔女の声
春から夏へと向かっていく
バケモノに連れられてやって来た森の空気、木々の
そんな魔女の前に、どさりと土ごと掘り返された野花が落とされた。
魔女は青や黄色や紫の小さな花をしばし憐れんでから、手に土を付けたバケモノの顔を見上げた。
「これは何がしたいの?」
「……女というのは花を貰うと喜ぶんじゃないのか?」
バケモノは何が間違っているのか全く分かっていない。唐変木もここまで来ると見ていて笑いが込み上げてくる。
「生きているのだから、こんなことして可哀想でしょう。わたしは可憐な花は勿論愛でるけれど、それを取り上げて持ち帰ろうなんて思わないわ」
むぅ、とバケモノは唸る。
そして手から落とした土を掬い上げて、とぼとぼと元の場所に戻していく。
今から戻してもあの花達はもう駄目だろうなと思うと、魔女は溜息が出た。
バケモノの丸まった背中を放置するのも気持ちの据わりが悪くて、魔女はゆっくりとその後を追いかける。
大きな背中をひょいと避けて手元を覗くと、バケモノは大きな手で掘り返した土を元の位置に圧し固めていた。小さな花は案の定、見るも無残に肥料と変わり果てている。
「貴方、デリカシーがないって言われたことがない?」
「他人からの評価は常に恐ろしいだが」
「友達いないのね」
「オマエはいるのか」
「……いないわね、そんな奇特な人物は」
魔女もバケモノのことを言えない立場だった。
でも知り合いの数ならバケモノより遥かに多いから構わないだろう。
「わたしは貴方だけそばにいてくれればそれで満足だから」
「……魔女の習性は傍迷惑だな」
こうしてデートに連れてきた癖に何を言っているのか、なんてことを魔女は態々言ったりしない。
バケモノ自身が分かっていて、それでも認めずにいて、それで見当違いなことをしてくるのが見ていて可愛いのだ。
魔女はバケモノの背中に攀じ登ってぴったりと体をくっ付ける。
「なんだ?」
「んー。日射しを浴びた毛皮が暖かいし、良い匂いもして、とても好いのよ」
「そうか」
バケモノは魔女を落とさないようにゆっくりとその場に腰を降ろした。
空を見上げると太陽は健やかに夏へと向かって眩さを増している。その日射しにバケモノは目を細めた。
「耳と目以外には、どんな異端を持っているんだ」
バケモノが魔女に問い掛けた。
未言を聴く耳。
遠くを見通す目。
バケモノと渡り合う魔女の持つ異端がたった二つである訳がない。
「うん? そうね、まぁ、子宮は魔女にとって共通だから今更説明はいらないわよね」
魔女の異端も一つだけ個性ではなく生物として共通で備わっているものがある。
それが相手がどんな存在であっても、それこそ肉体のない精神だけの存在や神を含めた霊魂であっても、その子供を宿すことが出来るという異端だ。
この異端があるからこそ、魔女は悪魔と交わり災厄を生むと人々に恐れられている。
「髪は自然の気を浴びると魔力を蓄えていくわ。これもありがちね」
魔女は寝転んで肩から顔に向かって零れる黒髪を一房掴んだ。
この森も人の手付かずのまま、森に生きるもの達だけで命と時間が循環していて、まさに自然であり、魔女の髪も良く魔力を蓄えられている。
「あと、声も聞いた相手が好意を抱くようになる異端があるわ」
続けられた言葉に、バケモノはぎょっとして身動ぎした。
急な動きに魔女の体がずりりと滑る。落ちる前にバケモノの隆起した筋肉に引っ掛かったが。
「なん……だと……」
バケモノは背中を振り返るが、魔女の小さな体は自分の毛皮で隠れて見えない。
バケモノは酷く動揺していた。自分が魔女に対して好感を抱き始めているのは、自分の内から出た感情ではなく、魔女にそう仕向けられたのか。
バケモノの中で膨らんだ疑惑は、怖れと悲しみを芽吹かせようとして。
「まぁ、嘘だけど」
しかしあっさりと魔女に梯子を外された。
「……うそ?」
「嘘よ。わたしの声の異端は魅了の類じゃなくて、未言に関わるものだから」
バケモノは体を揺すって魔女を振り落とした。
どさりと地面に落ちた魔女は不満そうにバケモノに批難の眼差しを向けた。
「痛いじゃないの」
「本当に嘘なのか。どうしてそんな嘘を吐いた」
バケモノは魔女にその巨体を覆い被せて問い詰める。
魔女は赤い唇に人差し指を当てて可憐に笑った。
「貴方の動揺する時の心音、とても切なくて素敵な響きだったわ」
揶揄われていただけだった。
バケモノはそれを理解すると自分が情けなくて魔女の前で項垂れた。そもそも魔女はバケモノの額の目できちんと見えないから嘘か本当か分かりにくいのだ。
他の人物であれば嘘を吐いても直ぐに看破出来るのに。
「はいはい。わたしの声の異端、見せてあげるからそれで安心なさい?」
魔女は意気消沈するバケモノの頭を優しく撫でてから、自分の胸の上に手を置いた。
ゆっくりと息を吸い、声を切り替える。
『星野原は小さな宇宙。光に色づき、闇には隠れる可憐な地上の星』
魔女の声が響いた。
地面のあちこちに咲いていた小さな花達が、その数を増やし、満天の星のように目に映る。
バケモノの目も、普段は気にも止めない花の散らばりから、離せない。
「星野原は一面に小さな花が咲いていて、星空のように見える原っぱ。そしてわたしの声の異端は、こうして未言を際立たせることよ」
言葉とは声として発せられて、耳に届くものだ。
未知の魔女が耳だけでなく声も未言に関する機能を持っているのは、話としてしっくりくる。
「オマエはオレに嘘を吐くな。……心臓に悪い」
バケモノに
「ごめんなさいね」
ちっとも反省なんかしてない魔女の声色に、バケモノはどっと疲れが肩に圧し掛かってきた。
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