第15話『モスト・バビエンテ』

 船内で刃が踊る。

 奴隷を楔から解き放つ万能鍵として。

 長い監禁生活に思考力すらも低下したのか。呆然とした表情で自由となった手首や足首を眺める彼らへ、オルレールは声を上げる。


「扉の外へ走ってッ。船を下りたら外にいる軍人やタナトへ保護を頼んで下さい!」


 彼女の甲高い声に従い、遅れて奴隷達は我先にと歩みを進める。

 船の規模とは釣り合わない人員に少女は苦々しく表情を歪めた。おそらく、彼らに船の運航も一任するつもりだったのだろう。

 先に刃を交えたダイモンさえいれば、素手の奴隷など何十何百いようとも誤差以下。そして頬こけ、満足な栄養すら不足している彼らからはそもそも抵抗の意志すら削ぎ落されている。


「モスト・バビエンテ……!」


 奴隷の波を掻き分け、オルレールは歩みを進める。

 人気のなくなった船内から頭に過った直感に従い、少女は扉を開く。


「帰ってきたのね、ダイモ……ン……?」


 室内に響く声は弾み、しかして目的の人物ではないと知った途端にただでさえ白磁の顔色をより蒼白にする。

 黒のワンピースに上から羽織ったスーツ。乱雑に伸ばされた白髪に紫の瞳は動揺に見開かれた。本来袖を通すべき両腕は、中身のなさを象徴するように揺れ動く。

 一、二歩後退るものの、元より壁際であったがためにすぐ背中が木材へと触れた。


「モスト・バビエンテ、ですね?」

「ゆ、勇者……まさか、ダイモンを……?」


 元々は客室だったのか、怨敵が待機していた部屋は簡素そのもの。左右には逃走のために持ち込んだ宝物や資料と思しき本が乱雑に置かれていた。

 一歩、オルレールは踏み込む。

 比例してモストは背中を壁へ押しつけるも、距離は縮まる一方。


「貴女には幾つか質問があります。当然、答えてもらえますよね?」


 聖剣の切先を突きつけ、脅迫の誹りを受けても関係ないとばかりに。

 吐息を震わせて首肯するモストの表情に、余裕はない。


「何故魔物を使役して村を……バイデントを襲ったのですか」

「ま、魔物の脅威を国にせ……訴える必要があった。勇者や軍への報奨金を維持させるには、必要性の根拠を出すのが欠かせないから……」

「報奨金……?」


 言葉を反芻するオルレールに対し、モストは身を乗り出して主張を深めた。


「国は魔王討伐以降、国庫の圧迫を理由に勇者への報奨金を減少させていたッ。浮かせた金を復興の費用に当てていたから。

 それに軍やアーポロが不満を抱くのも当然でしょ、身体を張っているんだから……!」

「そんな……そんな下らないことのために、パパとママを……?」


 切先が揺らぐ。肩口、更にはオルレール自身の身体が揺れ動くのに呼応して。

 紅蓮を閉じ込めた刃紋に映るモストの顔には、幾つもの冷や汗が滲んでいた。僅かに乱れる瞳は時折少女の奥にある扉を捉えた。

 それは見る人によっては、助けを希求しているようにも思えただろう。

 オルレールも平時でさえあれば、シグナルを掴めたに違いない。現状では不可能と切り捨てるには容易であるが。


「身体を張っている連中が正当な報酬を求めるのは権利でしょう……そ、それを下らないと切り捨てるのは傲慢じゃないッ。守られている連中の……!」

「だから皆を薪にして、金を得ていいと……そう言いたいんですかッ!」

「ヒッ……!」


 乱雑に振るわれた刃が付近の宝物を容易く切り伏せる。

 両断された物体が数秒遅れで形を崩し、部屋に音を響かせた。

 突然の怒気がモストを震え上がらせ、短い悲鳴を上げさせる。


「貴女は賢いんでしょうッ。ダイモンも言っていました!

 だったら私なんかには考えられない、もっといい手段があったんじゃないですかッ。こんな、沢山の人を悲しませない方法だってあったんじゃないんですかッ!」

「う、うるさいッ。だったら、そのいい手段ってのだったら誰も私から奪わないの?!

 この両腕みたいに、誰も私を斬らない保証ってのがあるの?! ないでしょ!!!」

「それが貴女の本当の……」


 奥歯を噛み締めるオルレールに、モストは研ぎ澄ました眼光をぶつける。

 聖剣にも負けぬ、魔王に相応しき獰猛な眼差しを。


「えぇ、えぇ、えぇ。そうよッ。魔物の力さえあれば、誰も私を切り捨てられないはずだったッ。私達は何処にだって飛べるはずだったッ。

 全部貴女のせいで台無しよ。私達から魔物も組織も全部奪っておいて、ダイモンまで……この、悪魔がッ!」


 目尻に大粒の涙を浮かべる少女を前に、オルレールは口を瞑んで一つの疑問を脳裏に浮かべる。

 口に出すことはしない。彼女が望んだ答えが返ってくることはないと予想がつく上、オルレール自身にも望む回答というものが分からなかったが故に。

 誰かのために涙を流せる感性の少女が、何故このような愚行に及んだのか。

 代わりに剣を何度か振るうと、切先をモストの喉元へと突きつける。

 先端との距離は僅か数ミリ。少し腕を押し込めば、首から鮮血が噴き出す間合い。


「ダイモンは生きてます」


 オルレールの直感が告げている。

 意識こそ失っているが、彼女の用心棒は今も命を繋いでいると。

 然るべき治療を受けて止血を行えば、問題なく生き永らえることができると。


「え……」

「もしも私がこれから行う一撃を素直に受けるのでしたら、それ以上私は手を出しません。後はダイモンと好きに隠居でもすればいいんじゃないですか」

「そ、それは……」


 安い交渉である。

 断ればどうなるか明白な状況下、首を縦に振る以外の選択肢などあろう訳がない。

 が、同時にわざわざ提案した以上、たとえば足を斬り落とすような事実上の死は免れない有様に追い込むのもまた容易に想像がつく。

 要は苛烈な拷問を行うか素直に一太刀で絶命するかの選択に過ぎない。

 しかし。


「ダイモンが、生きてる……」


 眼前に好物をぶら下げられた動物のように目を逸らせない誘惑が、モストに即答を控えさせた。

 唾を飲む音が殊更大きく室内に響き渡る。

 損得勘定とそれを度外視した可能性を天秤に乗せ、双方の重量を図るも結論は出せず。


「さぁ、どうしますか?」

「そ、それは……」

「答えは簡潔にお願いします」

「……」


 二人の間に沈黙が流れる。

 船外の喧騒など関係ないと、静寂が空間を包み込む。

 一秒か、それとも一分か。一時間も経過はしていないはず。

 静寂を引き裂いたのは、モストであった。


「わ、分かった。素直に攻撃を受けるわ……」

「そうですか、では」


 モストの言葉を聞き、オルレールは聖剣を振り被る。

 思わず目を瞑った少女へ振るわれる刃の軌道は──


「ギャアァッ」


 顔を浅く引き裂き、炎熱が皮膚を焼く。

 突然の激痛に床を転がるモストを冷たく見下ろすオルレール。

 腕がない故に顔を覆うこともできず、顔面を床に擦り合わせて消火に努めるしかない。もしくは単に酸欠で思考が回らず抵抗しているだけか。


「……!」


 大口を開けるも言葉は発せられず、爛れて液状化した皮膚が室内に撒き散らされる。

 亡者による太腿のガラス管を割る程の哀れな抵抗を前に、勇者は踵を返した。

 約束を違えるつもりはなかった。


「錨は私が壊してあげます。もう、会うことはないでしょう」


 閉じられる扉の音は、少女の鼓膜を震わさなかった。



「ん、あ……」


 洞窟には場違いな陽光が差し込み、黒衣のスーツを鮮血に染めた男は目を開いた。

 吹き抜ける潮風と微細な揺れが海に出たことを強調し、頭上から照らし出す太陽が昼を告げる。

 男は左手で身体を起こすと、異様に重い足を押して船内へと進む。


「どうなってんだ、戦いは……?」


 船内に人の気配はなく、所々で焼き焦げた匂いが鼻腔をくすぐる。

 やがて辿り着いた部屋は留め金が外れたのか、扉が足元に倒れていた。そして内部では熔解した金属や灰で散乱し、整理整頓など期待すべくもない。

 そして、人の形を留めた存在が一つ。

 それを一瞥すると、ダイモンは顔を上げて嘆息を漏らした。


「はぁ……どうにも、負けたっぽいな。俺らは」

「……」


 彼が吐露し、察した答えへそれは返答しない。微かに上下する胸元だけが、それが息の止まった屍ではないことを証明する。

 半歩手前といったところか。辛うじて策は成功と呼べるのだろう。

 勇者となって日の浅いオルレールならば、モストの境遇を語ることで刃が鈍る可能性があった。勢いで迎撃できる盗賊や魔物とは異なり、所業を無視すれば小娘に過ぎない彼女を割り切るには経歴が若過ぎる。

 尤も、波に揺れて漂流するに等しい船が何処か新天地に到達しなければ、自身の命も含めて続く保証はないが。


「現に、俺もお前もこのザマだしな……」


 ダイモンは足で周囲の燃え滓を払うと、腰を下す。


「そら、寝起きには次の提案を聞くからな。答えを用意しとけよ、モスト」

「……」


 彼の質問に回答する者はおらず。

 一人と一つを乗せた木造船の頭上には、変わることない陽光が降り注いでいた。

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