第14話『ダイモン対オルレール』
「ふー……ふー……ふー……!」
奴隷売買ギルドを壊滅させた際、そのまま接収した木造船の一室。内と外を隔てる扉に程近い部屋で、モスト・バビエンテは蹲っていた。
平静を取り戻すべく深呼吸を繰り返し、なおも定まらぬ思考は見開かれた眼球が仕入れた情報を我武者羅に取り込む。尤も、木目の数を数える以上に有意義な情報が見つからないのも事実であったが。
否が応にも脳裏に蘇るのは、バビエンテ邸を魔物に襲撃された日の光景。
首都アイギスで起きた出来事故に中央軍の動きは迅速かつ的確。しかして、碌に身を守る術をも持たぬ一般人を魔物が蹂躙するに数刻と時間はかからぬ。
「この痛みは偽物、そう偽物よ……今の私には力がある、そう魔物だって従えてる。沢山、沢山……あの時いたよりも沢山……!」
自らへ言い聞かせる声に混じるのは、痛苦に喘ぎ歯軋りする音。
肉体の一部を失った者が未だにその部位が残っていると脳が錯覚し、苦痛を訴えるという現象はセントラル国内でも時折確認されている。
在りし日を思わせる状況が両腕を失う以前の感覚を蘇らせるのか。もしくは、単に偶然が重なって最悪の状況を引き起こしているのか。痛苦が脳のリソースを割く現状がモストから正常な判断を奪い去っていた。
「ダイモン……あぁ。魔王の片割れ、貴方と魔素さえあれば、やり直しは効く……」
手があれば愛おしげに撫で回していただろう。
そう確信が抱ける眼光を注ぐのは、太腿のベルトに取りつけた魔素を収めた試験管。
これまでの莫大な量こそ失われるが、微量さえあれば後は魔物を作ってそこから地道に増やせばいい。最初と同じことを繰り返せば、全ては丸く収まるのだ。
魔王と少女の中間とも言える凄絶な笑みを浮かべ、モストは己が半身ともいうべき存在へ言葉を投げかけた。
「だから……早く、帰ってきて」
「フー……フー……フー……!」
「一旦休んで下さい、タナト様ッ!」
兵士からの静止も退け、空になったポーション瓶を投げ捨てる賢者。
ガラス瓶の割れた音に呼応して何体かの魔物や盗賊達が臨時拠点へ視線を注ぐ。が、彼らが幕を引き裂くよりも早く、甲冑を纏った正規軍の刃が迫る。
陣の外より注がれる脅威に晒されることなく、内側に位置するタナトは杖を振るい再度テレポートを使用すべく精神を研ぎ澄ます。薬草と魔力、幾つかの魔法を組み合わせた秘薬は瞬く間に枯渇していた魔力を回復させ、体内を駆け巡らせた。
しかし。
「ぐ、ぅ……!」
「ほら見たことか、これでポーション何本目なんですか貴方様はッ?!」
突然視界が歪み、酩酊感に頭を抑える。周囲で護衛の任についている軍人は、周囲に散乱しているポーション瓶の欠片を指差して叱責の声を上げた。
「急速な魔力枯渇と回復を繰り返せば、そりゃ身体にもガタが来ますよ。少し休んで下さい!」
彼の言葉もご尤も。
ポーションをがぶ飲みして魔法を乱発、などという戦法は発売当初から考案されていた。が、急速な魔力枯渇と回復を繰り返すことで酩酊感や倦怠感などの副作用が確認されてからは鳴りを潜めている。
ポーションの販売店でも、今では購入時に連続使用は控えるように忠告するのが鉄板となっていた。
賢者たるタナトがその道理を理解していない訳がない。にも関わらず、勇者パーティーの一員は目を見開いて再度集中力を研ぎ澄ます。
「タナト様!」
「僕は、罪を犯した……今こそ、償いの時なんです……!」
モストとの共謀を許してしまった。
アーポロ達が手を組むことを許容してしまった。
結果としてセントラル国に災禍を招き、オルレールのような悲劇を無数に増やしてしまった。
勇者の供としてあるまじき愚行の贖罪に、後で首を吊るからと今無理をしなくてどうするのか。むしろ後遺症を残しても、後で死ねば帳消しというもの。
「テレポートッ!」
血反吐を吐き、タナトは本日数度とも唱えた呪文を再度行使した。
「その動きは先程見ましたッ。経験は、蓄積してます!」
「見てねぇだろうが、勇者様よぉ!」
拳に触れた硬質の感触を受け、弾かれたように距離を取るとダイモンは跳躍。
船上に着地し、自らの拳を防いだオルレールを睨みつける。
「テメェら、拠点から離れた奴を優先的に狙えッ。数はこっちが勝ってんだ、複数人で叩けばこっちの勝ちだ!」
「で、ですがダイモンさんッ?!」
「いいから従え!」
船の上から指示を飛ばすと、反論の声を上げた盗賊へ怒鳴り散らした。
元より全うな指揮系統など有してはいない組織。理知整然とした指令を下すよりも、彼我の戦力差を盾に頭ごなしに命じた方が幾分かマシである。
その甲斐もあってか、盗賊達は軍人に対して複数での戦闘を繰り広げ始めた。
首都と洞窟を往復しているタナトはその光景を目撃し、素早く視線を勇者へと注ぐ。
「オルレールッ。拠点は最低限整いました、今なら戦力を要人へ注げます!」
「でしたらあの船をッ」
「炎は使わないで下さいッ。船内には奴隷が軟禁されている可能性があります!」
「分かりましたッ!」
許可が降りたことで地を蹴り上げ、その身を宙に浮かせるオルレール。紅蓮の髪を漂わせ、剣の切先を裏切りの格闘家へと向ける。
視線の交差も極僅か、着地と同時に薙がれる刃がダイモンのスーツを掠めた。
「タナトの野郎の言葉は忘れるなよ、ここには奴隷も乗ってんだからな!」
「ッ、人質のつもりですか!」
予想されていた展開とはいえ、改めて敵側から明言されたことで少女は歯噛みして眼前の男を凝視した。
木造船を焼けば全ては容易く解決する。
だが、それは内部にいるかもしれない奴隷を切り捨てることを意味する。
何の罪もない、ただ今日を生きていただけの無辜の存在を。
「貴方達には、人の心ってものがないんですかッ?!」
「ハッ、そんなの持って魔物を使役できるかよ!」
「だから聞いているんです!」
音を切り裂く神速の刃がダイモンへと迫り、音を穿つ神速の拳がオルレールへと放たれる。
才覚こそあれども経験が致命的に不足している勇者は、自らの直感を最大限に発揮して迫る拳撃の軌道を予測。都度、迎撃の刃をぶつける。
一方のダイモンは数度の剣戟で相手の経験不足を読み取り、素早く腰を落とす。
「消えたッ?」
一瞬でも視界から外れれば、少女はダイモンの姿を見失う。
そこへ足を払い、横合いからの衝撃にオルレールの身体が宙を浮く。
「なッ……?」
「ハッ、潰れろ」
上体を起こし、ダイモンは鉄槌の如く拳を振り下ろす。
撃ち放たれた鉄拳は甲板を容易く粉砕し、舞い散る木屑が男の頬を撫でる。
手応えはない。炎熱の放出を行った気配はなかったものの、魔力を放出して咄嗟に移動したのか。
目線を右へ流せば、マストに衝突して体勢を崩しているオルレールの姿。咄嗟のことで出力調整を怠ったか、痛苦に顔を顰めていた。
へし折れてさえいなければ、運航に影響はない。元々が非合法の船、多少の不都合には喜んで目を瞑れる立場にある。
木板を蹴り上げ、加速。
腕を捻り、絞り上げた拳で真空を穿ち、あわや直撃の軌道に聖剣が割って入る。
「クッ、しつけぇな……!」
「そりゃあ、しつこくもなりますッ。皆を踏み躙って喜べるような存在が相手ならッ」
「ハッ、俺やモストはその皆ってのには入らねぇのかよ!」
「喚くな魔王ッ!」
力任せに鍔競り合いを制すると、オルレールは立ち上がって姿勢の崩れたダイモンへ追撃を仕掛ける。
弧を描く刃は虚空を薙ぎ、男の肉体を切り裂くことは叶わない。
手首を捻り、そのまま剣を振り下ろす。
半歩分、欠けた間合いを踏み込み、更に追撃。流れるような剣戟はしかし、一撃たりとも男の肉体を捉えられない。
「お前達は皆の幸せを奪い、魔物の手で踏み躙った。私の故郷を襲ったッ。
何故です?!」
「さぁな、金でも欲しかったんじゃねぇかな。モストはさぁ!」
「お前は何故かと聞いてますッ」
反撃とばかりに振るわれる拳を剣の腹で受け止め、互いに引くつもりはないと押し合う。
「モストに用心棒として雇われた。それ以上の理由は必要か?」
「必要に決まってるじゃないですかッ。他人に預けたような理由で、あんなことが行えたとでもいうんですかッ!」
弾け飛ぶと、互いに着地点で足を踏ん張り加速。
ぶつかり合うと同時に無数の刃と拳が交差する。
無光の火花が乱舞し、視線をもスパークして激突。両者の蓄積した生の感情がせき止められた大河の如く溢れ出る。
「あいつは頭がいいからなッ。俺が考えるよりもよっぽどいいってもんよ!」
「そんなに賢いんでしたらなんで……なんで、踏み躙られた側の気持ちを考えなかったんですかッ。自分達はずっとやる側だから、相手のことはどうでもいいとでもいうんですかッ。モストは?!」
「あー……それはどうなんだろうな。ま、どうでもいいかッ」
一瞬の間隙を置き、再度拳を振るうダイモン。
かたや歴戦の格闘家に相応しい痩身ながらも引き締まった体躯。かたや勇者としての日が浅く、未だ少女の面影が色濃い体躯。
徐々にダイモンの重撃に押し込まれ、オルレールの足元に轍が刻まれる。
度重なる両手への衝撃に、少女の手には僅かな痺れが蓄積する。歯噛みする表情に垂れる汗は、自身の危機的状況を自覚してのものか。
「クッ、こ、のぉッ……!」
僅かな間隙を突き、薙ぐ一閃には微かな焔が灯り、直後にオルレールは顔面を蒼白に染め上げた。
「あ、っぶねぇなぁ、オイ!」
「違……!」
やはり少女は勇者としての経歴が浅いらしい。
咄嗟に振るった炎熱の刃に、交戦状況にも関わらず誤解を解く旨の言葉を漏らしている。
勇者と正面からやり合って勝ち目などない、故に卑怯も卑劣も厭わず、貪欲に勝利への道を追及しなければならない。
「何が違う。奴隷を見捨てようとしたよなぁ、今ッ!」
「そ、れは……」
「ひっでぇ話だなぁ、オイッ!」
精神的に動転した隙へ割り込む形で突貫し、前のめりの姿勢で懐に跳び込む。
甲冑越しに衝撃を人体へぶつける鎧通しの類を行うまでもなく、オルレールの姿は平民の延長線上。ただの掌打でも致命となり得る。
引き絞られた両手の指が軽く曲げられ、掌底の姿勢を取る。
遅れて炎熱の刀身が男との間に割り込まんと迫るが、一拍遅い。
短く息を吐き、ダイモンの手が少女の腹部を抉る。
「ッ……が、ッ……!」
声にならない悲鳴を上げ、衝撃にオルレールの体躯が浮かぶ。
追撃に素早く身を回し、ダイモンの右足が断頭台よろしく少女へ振り下ろされる。
先程とは異なる鈍い感触が伝わり、勇者の身体は甲板へ叩きつけられた。逃がし切れない衝撃が少女の肉体をバウンドさせるが、三度目で直地すると聖剣を起点にして体勢を起き上がらせる。
口元から滴る血を袖で拭うと、オルレールは眼差しを鋭利に研ぎ澄ました。
「わ、私は……!」
「アーポロの奴は物分かりが良かったなぁ。やっぱりアレでも勇者の端くれ、不幸な身の上には同情すんのかなぁ?」
「不幸な、身の上……?」
猜疑心を剥き出しにした声音とはいえ、興味を示した。
その性根は彼女自身の善性が成せる業であろう。が、こと極限状況で競り合っている相手へ注ぐ関心としては落第もの。
計画通りと口端を吊り上げたダイモンは、仰々しく両腕を広げる。
「あぁ、そうだよ。八年前に首都で起きた魔物襲撃事件……アレで家族と両腕を失ったんだってよ。
それを喜々として語ってくれたぜ、モストはさぁ。壊れたってのは、ああぁいうのを指すんだろうなぁ?」
「……」
とにかく、相手の剣が鈍る言葉を繰り返す。
わざとらしく音を立て、殊更ゆっくりと距離を詰めるも相手がそれに反応する気配は皆無。まさか、船外で引き起こされる鉄と棍棒が重なる音に注目を集めているのでもあるまい。
彼我の距離は拳の間合い。
見上げる視線をしかと受け止め、ダイモンは拳を握り締めた。
「そんな少女の儚い、尊い夢を打ち砕くたぁ、勇者ってのは残酷なお仕事だ」
喉を鳴らし、喜々として少女の精神を鑢で削る。
「……ったら、なんで」
「は?」
不意に大気を揺らす音に、男は反応が遅れた。
刹那。
「だったら、なんであんなことができるんですかッ?!」
力任せに乱暴に。
掬い上げる刃の切先が、ダイモンの胴体を逆袈裟に切り裂く。
彼女の脳裏に色濃く刻まれた地獄の原風景──故郷と家族を焼く魔物の軍勢が心中の業火を燃え上がらせた。
あの地獄を、手の中にあったはずの幸せを失う瞬間の苦痛を知っているのに。それを他者に強いた挙句、利益を上げるなど言語道断。許せる訳がない唾棄すべき思想。
鮮血を撒き散らすダイモンは左手で傷口を抑え、腰を落として右腕を引き絞る。
が、足裏の魔力を開放し、足元を破砕しながら距離を詰めるオルレールの方が早い。
「こいつ、素の魔力を……!」
「人から故郷を、奪えるんですかッ!!!」
三日月の如き軌跡が咄嗟に差し込まれた右腕諸共にダイモンを切り裂き、満開の華を散らした。
身体の内より舞い散る花弁を頬に受け、急速に男から熱が失われる。
意識こそ辛うじて保っていたものの足に力が入らず、膝から崩れ落ちる。
朦朧とする視界が捉えたのは、踵を返して船内へ続く扉へ歩を進める勇者が一人。
行かせるものかと腕を伸ばそうとした。が、不自然に軽い右腕は肘から先の感覚が喪失し、指先に繋がっているはずの神経も存在を疑う程に希薄。
「質問の答えは、直々に聞きます」
「ッ……ざ、けんな……テメェ」
ダイモンの言葉は少女の鼓膜にまで意味を持って届かない。
一応打てる手は余さずやり切った。が、根本的に護衛としてモストへ降りかかる火の粉を振り払うことこそが本分。
なおも身体を起こそうと全身に気を張るも。
少女の宣言を止める力は、男から永遠に失われていた。
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