第13話『正しい馬鹿』

 骨の如く具現化した薄暗い落書きが霧散し、地上に展開していた軍人や逃げ惑う奴隷達へと降り注ぐ。如何にドラゴンの紛い物とはいえ、健康体の人間に影響を及ぼす程の魔素を撒き散らすことは不可能。

 魔素を切り裂き、炎熱を推進力としたオルレールが加速。

 首を斬り落とされた人造龍ファントムドラゴンから見て右手の龍へと接近する。

 途中、距離を詰められることを嫌って振り上げられた腕を身を捻って躱すと、遠心力を働かせて一閃。

 バターナイフを振るうように、頸椎を両断する。


「ッ……!」


 口惜しさに少女は口を紡ぐ。

 船の上で首を左右に振るモストを切り伏せたいのは山々だが、奴隷の安否が確認できない現状では炎を振るえない。

 内心に蓄積した鬱憤を解き放ち、振るう刃に炎熱を注ぐ。

 飛来する焔の刃が残る骸の龍を狙う。しかし、風塵撒き散らす羽ばたきによって飛び立つ相手を捉えるには半瞬遅い。

 天井の見えぬ程に高い洞窟内部を飛翔する人造龍の口内に炎が灯る。瞬く度に膨大な熱量が太陽を思わせる程に成長し、眼下の全てを焼き払うべく蓄えられる。

 頭上に浮かぶ太陽を一目し、軍人は剣を落とさぬよう力を込めるのが精一杯。

 絶命の一撃を前に、足を動かすことが叶わず──


「無駄な魔力を使わせないで下さい!」


 叫ぶタナトの杖に呼応して巻き上げられた海流が骸龍の身体を呑み込み、動作の自由を封じる。

 何度とも知れないテレポートを繰り返し、その都度増援を洞窟内へ送っていた彼の顔には、疲労の汗が幾つも滲んでいた。掲げる腕が僅かに震え、ともすれば今にも倒れてしまわないか心配な程に。

 海に呑まれんと藻掻き、人造龍は四肢や翼を我武者羅に動かす。

 それでも海水を弾き切れず、自由を手にする前に死が振り下ろされる。


「それは、ごめんなさいッ!」


 断末魔の叫びを洞窟内に轟かせ、三体の人造龍は遂に全滅。

 目下最大の脅威は退けたと、オルレールは地面へと着地する。


「アレを潰すとは、流石は勇者様だ」

「ッ?!」


 刹那。

 背後で囁かれた声は、少女にとっての死神が到来したことを意味する。

 反射で振り返り、聖剣を盾にして身を防ごうと試みる。が、相手の正確な位置を把握できていない以上は直感を頼りにせざるを得ず、口端は不安につり下がった。

 そして、空を引き裂く拳圧が地を這うが如く心臓を狙い──


「オルレール様ッ!」

「なッ……!」


 セラミックプレートが音を立てて罅割れ、内部で守られていたはずの肉体をも軋ませる。間に差し込まれた剣などガラス細工も同然。

 黒衣のスーツを纏った男の一撃が、一人の騎士を容易く絶命へと追いやった。

 舌打ちを一つ。眼鏡の奥で輝く双眸が、勇者を庇った屍の先を睨む。


「流石は死地へ挑む連中だ。どの命が一番大事か分かってらぁ」

「どの、命って……!」


 男は深追いせず、不意打ちの失敗を理解して素早く離脱。勇者が刃を振るう前に、数歩の跳躍で船上へと帰還を果たす。

 船の上では、未だにモストが動揺に足をその場に縫い付けていた。


「勇者だけじゃなくて軍人まで……あり得ないあり得ない馬鹿げてる。辺境軍の応援なんて来れる訳ないのに、こんなの自殺志願者と同じなのに……!」


 勇者の弁が事実ならば、辺境軍は今頃近隣の村で暴れ回っている魔物の大攻勢を捌いている最中。たかが数時間程度で掃討の叶う数ではなく、故に応援の類を期待することもまた不可能。

 彼らが仮にケール洞窟を制圧したとしても、首都アイギスに到着するまでには無数の魔物が控えている。疲弊した心身で突破が可能かどうかなど、論ずるにも値しない。

 稚児でも分かる結論をまるで気にしないが如き愚行は、モストの価値観を根底から揺さぶった。


「だぁ、なんで船内に隠れてねぇんだよ。陣頭指揮とか柄じゃねぇだろうがッ」

「で、でもドラゴンが……私達の人造龍が……!」


 突然の強襲に動転しているのか。

 無腕の少女は返答にも明瞭を欠き、現実を拒絶するように頭を振るばかり。駄々を捏ねる子供を彷彿とさせる仕草だが、今攻め込んでいる軍人やオルレールが彼女を一人の少女として扱う確率は〇だろう。

 故にダイモンは肩に手を置くと、目線を合わせて口を開く。


「んなもんまた作り直せばいいだろッ。作り方はある程度分かった訳だしよ!」

「でも、でも……!」

「チッ、どうなってやがる……!」


 埒が明かないとモストを肩に担ぐとダイモンは船内へと足を運び、扉の内側へ置く。あまり深部に放置するのも万が一の事態に対処できなくなるため、比較的浅い場所へ。

 背後で声を上げる少女に踵を返して戦場へ戻る道中、男はレストランで彼女が語った内容を思い出していた。

 バビエンテ家は八年前に起きた魔物の襲撃で全てを失った。

 ならば、その再演とも言える今回の襲撃で心的外傷が刺激され、平静を保てなくなっているのか。人造龍や培ってきた富を失い、更に多くのものを手放しかねない状況がモスト・バビエンテの精神を地に這わせているのか。

 可能性は、否定できない。


「んなとこでガキっぽさ見せねぇでいいんだよ!」


 感情のままに扉を蹴破り、眼下の戦場を見つめる。

 既に戦況は混戦の様相を呈していた。

 臨時拠点を作成したセントラル軍は攻勢に出ることなく迎撃に徹し、遅れて襲撃に来る盗賊や外へ出撃していなかったゴブリンを相手取っている。今も絶えずタナトが転移させている軍人の数は百を超え、なおも増加の一途を辿っている。

 それでも戦力比は八対一以下。だが、かたや決死隊へ志願する程に士気の高い正式な訓練を積んだ軍人。かたや安全が保証された上で民間人を襲ってばかりの盗賊。

 四方から包囲しているならまだしも、背面に海を構えて攻め口が限られる状況では単純な人数比だけで勝敗が決するとは限らない。

 ましてや、相手には彼の勇者も存在する。


「まずは士気を落とす意味も込めて」


 混戦の只中に身を潜め、ダイモンは人知れず呼吸を殺す。

 周囲の視線を目敏く観察すると隙を突いて素通りし、目標地点への迅速な移動を果たす。

 雑兵を徒に倒すのはゴブリンでも事足りる。人造龍が落ちた今、人為的人類脅威側最高戦力としての務めは別にある。


「はぁッ!」


 裂帛の気迫で刃を振るい、眼前の盗賊や魔物を薙ぎ払う少女。二つ結びの紅蓮の髪を振り乱し、炎熱を閉じ込めた刀身を返り血で染めるオルレールは当然、友軍がいるはずの背後への警戒は疎か。

 更に言えば、彼女は勇者に選ばれてから日が浅く、敵味方入り乱れる混戦は初めての経験であろう。

 相手の虚を突くことが肝要な、瞬の間を競い合う格闘家として意識の隙を見極めることが気づけば得手となっていた。

 そんなダイモンから見て、オルレールの背後は隙だらけ。

 沈め。

 呪詛の念を拳に込め、弓の如く引き絞られた右腕が解き放たれる。


「ッ?」


 故に驚愕する。

 甲高い音を鳴らし、拳が炎熱の刃に阻まれたことに。


「その動きは先程見ましたッ。経験は、蓄積してます!」

「見てねぇだろうが、勇者様よぉ!」

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