改稿版(24.02)

 赤信号。車の助手席から、外の景色を見るともなく見ていた。

 片側複数車線の交差点には車が行き交い、正面の横断歩道には人の渡る姿がある。


 ごく普通の光景だった。

 その人に気づくまでは。


 車が途切れ、むき出しになった横断歩道をまだ歩いている人がいる。私から見て右から左へと歩いていたその人は、ピタと立ち止まった。


 横断歩道を渡りきる二、三歩手前の所で。


「なぜそこで立ち止まった!?」


 思わず口に出していた。


 立ち止まるなら、横断歩道を渡りきった後にすれば良い。なのに、その人は道路上で立ち止まった。あと二、三歩進むだけで歩道なのに。


(もう横断歩道を渡りきったつもりでいるのか?)


 六十代くらいのその男性は、ボーッとしているように見えた。まるで信号が青になるのを待っている歩行者みたいに、少し背中を丸めて、どこか遠くに視線を向けていた。

 そんな焦りのない様子のまま、両足が地面に張り付いたみたいにそこから動かない。


 私は段々不安になってきた。


 左折の車が続けざまに、男性を大きく避けながら曲がっていった。

 先頭の車はともかく、後続車からは男性の姿は見えにくい。横断歩道の端で立ち往生する男性に気づかず、ぶつかってしまったら……私はヒヤヒヤしながら、目の前の光景を見つめることしかできなかった。


 交差道路の信号が赤に変わる。

 右折矢印が消えれば、今度は私たちの道路が青だ。

 男性はまだ横断歩道にいる。私たちがこれから走る道路上に。


 ハラハラしながら見守っていると、男性の体がゆらりと前傾し、おもむろに歩き出した。そして無事、横断歩道を渡りきった。


 私はほっと胸を撫で下ろした。






「何だったんだろうね?」


 運転席からの問いに、


「パーキンソン病みたいなものかもね」


 私はそんな知ったかぶった返事をした。



 パーキンソン病とは、脳の異常により、様々な症状があらわれる病気だ。

 脳からの命令で筋肉は動き、人は運動することができる。しかし、この病気になるとその調整が上手くいかなくなり、筋肉が硬くなる・安静時に手が震える・動きが遅く小さくなる・転びやすくなるといった症状があらわれる。

 根本的な治療法はない。症状がゆっくり進行していくと、薬が効かない時間ウェアリングオフ現象も出てくる。



 私がこの病気を連想したのはすくみ足という症状を知っていたからだ。歩き始めや特定の状況下で足が動かず、歩けなくなってしまうのだ。


 男性がボーッとして見えたのも、背中を丸めていたのも、もしかしたら症状だったのかもしれない。パーキンソン病になると、表情が乏しくなったり、アゴを突き出したような前傾姿勢になったりすることもある。


「みたいなもの」と遠回しな言い方をしたのは、パーキンソン病に似た症状が出る別の疾患を知っていたからだ。



 男性はなぜ立ち止まってしまったんだろう?

 本当のところはわからない。


 見ていた私も怖かったけど、もしかしたら本人はそれ以上に怖かったかもしれない。

 あるいは、「怖い」と感じられない何かを抱えていたかもしれないし、常人には理解し難い「わざと」という可能性も絶対にないとは言えない。



 もしパーキンソン病を知らなかったら、私は男性のことを嘲笑っていただろうか。

 何か事情があるかも? と想像できていなかったら、腹を立てていただろうか。


 少なくともあの場に、クラクションを鳴らしたり、窓を開けて怒鳴ったりする運転手はいなかった。



 どうして男性は横断歩道を渡りきる手前で立ち止まったんだろう。

 この時の光景はとても衝撃的な1コマとして、私の記憶に残った。


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横断歩道を渡りきる手前で立ち止まった人の話 きみどり @kimid0r1

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