耳にプロテイン詰めてんのかい!

髙 文緒

第1話

「耳にプロテイン詰めてんのかい!」


 会場に響き渡ったその掛け声に、フロントダブルバイセップスのポーズを決めていた鳥居宗則とりいむねのりは、ふと我に返って、赤面をした。

 上腕二頭筋に広背筋、大胸筋に腹直筋を見せびらかしていた彼は、一転、張っていた胸を縮こませた。

 もはやどの筋肉も誇示できない、筋だらけの鶏の照り焼きのような体を晒したまま、彼は棒立ちになる。

 両手が持ち上がる。

 何事かとざわめく会場は、彼が新たな、何か革命的なポーズを取るものと期待した。と言うより、期待しないと気まずくてやっていられなかった。

 鳥居は右手のひらを右耳に、左手のひらを左耳にやって、『ざる』のポーズになった。

 ご丁寧にも膝をおりしゃがみ込んだため、聞か猿の完コピであった。


 鳥居は己の柔道耳を恥じていた。正確には、柔道に挫折し別の畑に来た己を恥じていた。

 年がら年中そのような恥の中にいては狂ってしまうので、鳥居はその気持ちを深層に閉じ込めていた。自らをトリムネとあだ名するように喧伝けんでんし、低脂肪高タンパクの男とうそぶいていた。鶏皮餃子は決して許さない男であった。

 鳥居にはボディビルの才能があった。グランドチャンピオンシップ大会に出場しているところからも、明白である。そしてこの日の会場で一番のマッスルを持つ男に相違なかった。

 才能があれば僻みも生まれる。

 手榴弾にも縄文杉にも板チョコレートにも前方後円墳にも例えられるボディビルダーたちの筋肉であるが、鳥居の筋肉は実際に手榴弾であり縄文杉であり板チョコレートであり前方後円墳であり皇居外苑でありタージマハルでありグレートバリアリーフであった。


 その鳥居を辱めんとする或る男が掛けた声をして、鳥居の筋肉でできた世界は崩れた。

 耳にプロテインを詰める奴が居てたまるか、と言う冷静なツッコミをする人間はもはやおらず、「言われてみれば耳にプロテインが詰まっているかのようだ!」と熱狂の中で思う観衆の面前にして、鳥居の深層の恥は爆発した。


 鳥居は全身を誰よりもテカテカに光らせていたのだが、耳にだけはオイルを塗らなかった。

 サイドリラックスのポーズの時も、さりげなく、顔面を前に向けていた。それは正しいサイドリラックスのポージングではないのだが、鳥居のチート筋肉の前になあなあになっていた。

 そのなあなあの中に、「ダメだろ、あのポーズ」と言う、個々人の小さなモヤつきが抑え込まれていた。モヤつきは集合的意識を作り出した。雰囲気というやつである。そしてその雰囲気が到来することを、会場は求めていた。

 

 王様の耳は柔道耳!

 王様の耳は餃子耳!

 耳にプロテイン詰めてんのかい!


 両手で抑えた鳥居の、丸まった耳にこだまする声。

 尖った耳をオイルで光らせた男が、ダブルバイセップスのポーズでにじり寄ってくる。

 また逆側からも、福耳をオイルで光らせた男が、ラットスプレッドのポーズで寄ってくる。


 鳥居はついに、腕の筋肉を盛り上げて耳を掴む。

 鬼のごとき怪力でちぎり取った耳をステージから放ると、鳥居は立った。アブドミナルアンドサイのポーズで。


 会場は、熱狂した。

 鳥居は両耳のあった場所から大量の血を噴き出しながら、不死鳥のごとく復活を遂げた。


「両耳にマーライオンつけてんのかい!」


 誰かが叫んだ。

 鳥居は失格となった。

 

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耳にプロテイン詰めてんのかい! 髙 文緒 @tkfmio_ikura

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