僕は愛妻家【KAC20235】

松浦どれみ

さて、実際に我が家で交わされた会話はどこでしょう?

「おはよう」

「おはよ」


 淹れたてのコーヒーの香ばしい香りに誘われて、僕は目を覚ました。もそもそとベッドを出てダイニングの椅子に座ると同時にマグカップが。

 目の前には、色違いのマグカップを持った妻が座る。今日もいい朝だ。


かくし、なんかまた体デカくなった? 寝巻きキツそう」

「ん、ああ〜かもね。やっぱ力仕事だからなあ」

「ふうん。まあ服のサイズ変わるのは困るからほどほどにね」

「は〜い」


 僕は去年脱サラし、特技を生かして開業した。

 結構な力仕事なものだから、ここ最近は昔の服がキツくなるくらいに筋肉がついてきた。


 初めは「頼もしくて素敵」と僕の変化を喜んでいた妻も、眉を寄せるようになってきた。家計を預かる身としては、どうやら服の買い替えがお財布的に気になるらしい。


「今日は休み?」

「ううん。夜からなんだ」

「そっか。掃除屋さんて夜の方が仕事多いのね、意外」

「そうなんだよね、意外と」


 仕事で時間は不規則になったけど、会社勤めより自由度は高くなった。

 こうして遅めの朝に妻と他愛もない話をするのが好きだ。


 ゆっくりコーヒーを飲んで後から出てきたトーストをかじっていると、テレビはお昼のワイドショーの時間になっていた。内容は人気の女優と俳優の不倫だ。


「不倫ねえ。まあでもさ、家族と離れてロケで数ヶ月恋人ごっこしてたら、うっかり浮気しちゃったりするのもわかる気がする」

「え! そんなのダメだよ」


 妻の倫理観に驚いてしまう。そんなことを言われたら家を空けられなくなるじゃないか。人の気も知らないで彼女は笑う。


「ふふっ。わかってるよそんなこと。芸能人の場合は特殊だよねって話」

「そっか……。びっくりした」

「ないない。隠だけでもめんどくさいのに、他の男とかないでしょ」


 腑に落ちない部分もあるが、この言葉は妻の照れ隠しということにしよう。たとえ交際五ヶ月のゴリ押し婚だとしても、結婚したということは彼女は僕に永遠の愛を誓ったのだ。


「浮気なんて許さないからね」

「てことは即離婚かあ」

「違うよ、離婚なんかしないよ」

「え?」


 確かにこの国に離婚制度はあるみたいだけど、僕の中にそんなものはない。首を傾げる妻ににっこりと微笑んだ。


「浮気なんかしたら、足もぐよ? そしたらもうどこにも行けないでしょう?」

「その思想ヤバ〜」


 こんなふうに何気ない会話をして過ごす。

 僕たちは仲のいい夫婦だ。


 夕方、早めの夜ご飯を済ませて、僕は仕事場に向かう。


「いってらっしゃ〜い」

「いってきます!」


 白いワゴンを運転して街の中心部へ。

 月極駐車場で車を降り、仕事場まで歩く。


あかしさん、こんばんは」

「こんばんは、白束しらつかさん、黒井くろいさん」


 同じ商店街に店を構える仲間たちに挨拶をして、僕は仕事場のドアを開けた。


「おはようございます!」

「おはよう、あやめくん」


 僕が経営する「透明本舗とうめいほんぽ」は特殊清掃を含む掃除の何でも屋だ。レンジフードも汚部屋も事故物件だってお手のもの。も透明になるくらいキレイにをモットーにしている。


 実はスタッフを雇えるくらいには繁盛していて、さっき商店街で会ったふたりもお得意様だ。


「今日は何件ですか?」

「ああ、今日は灰原組はいばらぐみからの依頼だけだから一件だよ。ただ、大型ゴミが四体あるから積み込みが大変かな」

「その辺は任せてください」


 あやめくんが鍛え抜かれた上腕筋でコブを作る。扱うゴミが大きく重いことが多いので、彼の存在は本当に重宝している。


「ありがとう、じゃあ行こうか」


 店を出て車に乗り込む。今日は郊外の住宅街なのでコンビニでコーヒーを買って、あやめくんと雑談を楽しむ。彼のお気に入りは僕と妻の会話だった。


「奥さん、そこで浮気容認しちゃうんですね。やっぱおかしいっすわ〜」

「そうなだんだよ。だから僕「浮気したら足をもぐ」って言っておいたよ」

「洒落にならないっすね〜」


 あやめくんが白い歯を見せ笑っている。僕もそれに合わせて口元を緩ませる。


「でしょう? 本当にかわいいんだ、僕の奥さん」

「本当に隠さんは愛妻家ですよね〜」

「まあね」


 こうして僕たちは今日の現場、郊外のある一軒家を目指した。

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僕は愛妻家【KAC20235】 松浦どれみ @doremi-m

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