国王陛下のダブルバイ

真野てん

第1話

 筋肉が世を統べる時代があった。


 富、権力、武、政治力、それらすべては圧倒的な筋肉があってこそ。


 そんな筋肉至上主義を制した国家がある。


 かつては『西の鶏ガラ』と蔑まれた弱小国だ。そのまた一地方の奴隷出身であったひとりの男が、日々の鍛錬によって作り上げた最高の筋肉をもって、当時の英雄たちをことごとく粉砕していったという。


 建国父君・シュワルツ一世。

 彼から数えて十七代目にあたる当代の国王――コール三世は、もって生まれた圧倒的な資質に加え、常時からひとの三倍はこなすと言われているハードメニューのトレーニングにより、国王の名に恥ずかしくないマッチョとして君臨していた。


 バルク、カット、セパレーション、バスキュラリティ、どれをとっても他の追随を許すことはなく、この国の輝ける未来を疑う国民などはいない――たったひとりを除いては。


 そのひとりというのが誰あろう、国王本人なのである。

 彼は一か月後に行われる即位後初となる所信演説をまえにして、毎日頭を悩ませてきた。


 脳筋だからではない。

 マッチョたるものすべからく賢者でなければならぬ。

 これは国父・シュワルツ一世の残した言葉である。

 ゆえに当代のコール三世もまた、優れた筋肉と共に、優れた英知をも兼ね備えていた。


 問題はスピーチではないのだ。

 共に行われるポージングのほうなのである。しかもただひとつ、ダブルバイセップスだけが国王の懸念材料であった――。



「すると陛下。あなたがダブルバイを恐れるのは、幼少期のトラウマが原因……と申されるのですな」


「ああ。その通りだ。ナッサー博士。先代から王家に仕える伝説的トレーナーのあなたなら、なにかいい手立てはないものか」


 ナッサー博士は「ふむ」と一息つくと、あごを撫でた。

 御年七十歳近いと聞くが、いまなおはち切れんばかりの僧帽筋である。


「もう少し詳しくお聞かせ願いたい」


「そうだな――あれはまだわたしが少年の頃だった。あの頃はとにかく上腕二頭筋を鍛えていたんだ。そこへ知らない間に小鳥が止まっていた。きっと木の枝と間違えたんだろうね。しかしわたしはそれに気が付かずに――腕を、う、腕を曲げて」


「けっこう。もうけっこうです陛下。よく分かりました。つまりはダブルバイのポーズのとき、上腕二頭筋を曲げるたび、あなたは圧死させてしまった小鳥を思い出してしまうのですな」


「ううう。情けない。これでは歴代の王たちへ顔向けできん。何とかならんか博士」


「――時間は掛かりましょうが、必ずや克服できます。陛下、このナッサーを信じていただけますかな?」


「も、もちろんだっ」


 それからというものナッサー博士は国王のトレーニングに付きっ切りであった。

 雨の日も、風の日も。

 しかし国王はあまりにも地道な鍛錬に辟易し、やけプロテインを浴びるような毎日である。


「なにが伝説的トレーナーだ! ちっとも良くならないじゃないか! こ、こんなマシュマロを上腕二頭筋で潰すトレーニングが何だというんだ!」


 両腕の上腕を潰したマシュマロだらけにして、国王は叫んだ。

 ナッサー博士の治療は、すで二週間を過ぎていた。

 演説の日程まではもう時間がない。

 国王が焦るのも無理はなかった。


「陛下。あなたの心のなかにある『筋肉で小鳥を潰してしまった罪悪感』を取り除くのです。そのためには反復練習しかない。肉体で精神を凌駕するのです。筋肉はすべてを解決する!」


「ええい、うるさい! きょうのトレーニングはここまでだ!」


「お待ちなさい陛下。ここで挫けてしまうようなら、もうわたくしの手も必要ありませんな!」


「なにをぅ? 誰に向かって口をきいている! おまえがそのつもりなら好きにしろ、とっとと消えてしまえ!」


 ナッサー博士は表情を曇らせ、かぶりを振った。

 メロンの如き肩をしゅんとしぼませて。


「――それでは最後に陛下。あなたから遡ること十代前におわした国王のことをお話させてください。彼もまた圧倒的なバルクから生み出されたポージングにより、ひとを殺傷してしまった過去に心を痛めたと言います」


「なんだと? して、そのポーズとは」


「モストマスキュラー」


「モスト、マスキュラー……」


「非凡な才をもった彼のマスキュラーは、周囲の空気を瞬発的に爆散させ、あらゆるものを吹き飛ばしたと言います。そしてその日は、可愛がっていた少年兵たちがポージングに巻き込まれ死亡した。なんとも痛ましい事故でした」


「……彼は……彼はその後、どうなった?」


「トレーニングです。トレーニングです、陛下。トレーニングだけが、その後の彼を救ったのです。それでは陛下。愚臣はこれでお暇を――」


 去り行くナッサー博士の背中はひどく哀しそうだった。

 国王は引き留めたい気持ちはあったが、国家元首としてのプライドがそれを許さなかった。


 彼以外、誰もいなくなったトレーニングルーム。

 国王は静かに、上腕二頭筋にマシュマロを乗せた――。


 あれから時が経ち、国王による所信演説が始まる。

 万雷の拍手のなか城内のバルコニーに立った国王は、それはそれは見事なダブルバイセップスを決めていた。

 みなぎる筋肉。褐色の肌に浮き出た血管の神々しさに、国民たちはみな心酔している。





 ナッサー、見ているか、ナッサー。

 ありがとう。

 わたしは国王として、最高のポージングを決めることができた。


 このダブルバイを君に捧ぐ――。





 その後、生きている間にふたりは再会することはなかった。高齢だったナッサー博士は数年後に天国へと旅立ち、慕っていた多くの生徒たちに見送られたという。


 国葬となった彼の葬儀。そしてその墓標には、ただ一言。


 わが友――と刻まれていた。




(おしまい)

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