モーションコンプリメンター
深海くじら
モーションコンプリメンター
ここ数周期日の間、僕はある映像記録に思考リソースの大半を奪われている。テラーズ、と呼称される失われた異文明の知性体を映したと思われる短い動画だ。変色した映像情報と破損著しい音声情報しか記録されてない低レベルの情報なのだが、そこで映し出される動きは僕らの想像を遥かに超えていた。
一周期年ほど前に、とある辺境宙域を漂っていた他の大量の実体物と一緒に回収された遺留媒体のひとつだ。内包情報を持たない(もしくは失われた)実体物は比較的検分も容易かったそうだが、電子データのほぼ全ては
手元にあるデータのオリジナルは、だから電子データではない。静止画像を光学的に蒸着させた透過膜の連続表示による仮想動画だ。極端に熱に弱いその透過膜が、どのようにして大きな損傷も無く生き残っていたのかは不明だが、とにかくその複製がここにある。再生用機器はこちらで作成したものなので、再生速度が合っているかどうかはわからない。とは言え物理的実体生物であれば、活動速度の限界もおのずと決まってくるだろうし、回収された実体物にあったイコンなどからも大まかな想定は割り出すことができる。
先日発表された論文によると、二足歩行体であるテラーズには二種類の運動系統が存在したとされている。ひとつは我々のバリエーションに近い回転モーメントを基本とした運動体なのだが、もう一方が未解明であり現在も調査中なのだそうな。論文の仮説では、収縮と伸張の差分を利用する未知の稼働システムが挙げられていたが、その材質、動力源などブラックボックスが多過ぎて、未だ学界からは支持されていない。そもそも珪素系が主なギャラクシーにおいて炭素系生命体は異常に種類が少ないし、複雑に進化したものなど無いに等しい。だからその稼働システムについての知見なども公式では存在しないのだ。
論文の著者は、解剖学とは別のアプローチでブラックボックスを解き明かそうと考えた。そこで知り合いの古書店主に頼んで遺物動画を入手し、友人の映像制作技術者に動きの解析と補完を依頼した。その友人というのが僕だ。
ロール状に巻かれている二千ミトリ(筆者註:約三千五百メートル)ほどの長さの透過膜は、手製の透写再生機に掛けられて壁に疑似動画映像を映し出している。映像の中のテラーズは、データで見たミイラなどとは違うしっかりとボリュームの付いた四肢を存分に稼働させて、信じられないくらい多彩な動きを見せていた。
画面の中では二体のテラーズが相対して動いている。おそらくは敵対して戦っている。それも自らの四肢を用いて。司令部位の中央に位置する一対の目はひたすら鋭く、まるでそこから意思を放射しているようだ。目のすぐ下に付いている突起は穴をふたつ持っている。友人である論文の著者は、これを酸素吸入孔と仮定していた。炭素系生命体のエネルギー源を、電力ではなく燃焼による化学反応と予測しているのだ。突起の裾に繋がっているより大きな穴。複雑な構成物を中に仕込んでいるその穴は閉じたり開いたりと忙しい。
しかしテラーズの四肢の動きは、それら司令部位の動きよりもはるかに速く、大きく、ダイナミックだった。ボディ上部の二肢を高速で繰り出し、相手のボディに攻撃を加える。足と思われる二肢を巧みに使って前後左右に移動したり、片方を振り回して相手の司令部位に直接打撃を与えたりする。相手も同様に応対している。その相互動作は、完全に我々が未体験な生体行動だった。
結束紐で繋がった二本の固形バーを右の上肢の先にあるマニュピレータ(のような部分)が掴んで振り回した。固形バーは遠心力で円弧を描く。このことから、我々と同じ物理法則に則っていることがわかる。
複雑な多軸多支点円運動を高速で繰り出したテラーズは、外周を描いていた側の固形バーを右上肢とボディで挟んで緊急停止させた。圧倒的存在感を放射する目。上肢の付け根からヒンジにかけての短い部位が盛り上がり、接続したボディの全面にも分厚い板のような、そう、船外作業服にも似た強化表皮が張り付き、独立した生体のごとくぴくぴくと動いた。
反対側の上肢を前に伸ばし、マニュピレータの先端を上に向けて内側に二度三度折り曲げてから、司令部位の各部を連動させて得も言われぬ複雑な意図を表現していた。正確な意味は解らない。でも僕にはそれが、さあ来いよ、と言っているように思えた。なんて好戦的な生命体なんだ。
次の瞬間、まるで外部ノズルが着火したかのような跳躍を見せたテラーズは、美しいまでに凹凸を強調する表皮を絞って、画面のこちらに飛び込んできた。と同時に、それまで雑音しか発していなかった音声出力機器が最大音量でテラーズの肉声を再生させた。
「あちゃぁああああっ!」
モーションコンプリメンター 深海くじら @bathyscaphe
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