耽美

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「ああ……ああ……!!」


 恍惚とした叫び声を上げる、華奢な人影。

 手には、大振りの出刃包丁と武骨なチェーンソー。

 美しく白い頬は、興奮と鮮血で朱に染まっている。


「最っ高……今日は特に良い……!!」


 形の良い唇を三日月に歪め、夢中で讃美し続ける。

 その頭上では、月食が紅く不気味に輝いていた。



 ◇◇◇◇



「……は?」

「だからさあ、殺人事件」

「それが何……?」

「何かね、この辺りで猟奇殺人が続いていて、被害者は皆有望なアスリートなんだって」

「……そんなニュースあったかしら」

「世間に疎すぎるでしょー、まったく」


 呆れたようすの友人が大きく溜息を吐く。地元でも有名なスプリンターの少女は、何だかばつが悪くなりぼそぼそと言い訳をした。


「だって大会前なんだもの……」

「それは分かってるけど、夜道を独りで帰ったら駄目だからね。まだ学生は襲われてないみたいだけど」

「無茶……」


 近頃は毎日居残り練習で、近所とはいえ帰宅はいつも二十一時近い。全国大会ということで、特別に許可をもらっているのだ。両親は忙しく、そんな時間に一緒に帰る友人がいるはずもない。

 色白の友人はもう一度溜息を吐き、じっとりと少女を睨んだ。


「本当に気を付けてよ? 解剖されたかのような遺体が見つかってるんだから。何なら先生に頼んで送ってもらいなよ」

「……ねえ、寝不足?」

「話を聞きなさい!」

「だって」


 少女を諭す友人の目の下には、黒々と隈が出来ていた。


「ちゃんと寝てるはずなんだけど……」

「大丈夫?」

「大丈夫大丈夫、それより応援してるからね。走ってるところ見るの大好きなんだから。特に足のラインとかもう綺麗すぎて」

「わかったわかった……」


 陸上ファンの友人の語りを聞き流しつつ、少女は高校の門をくぐっていった。



 ◇◇◇◇



「ありがとうございました」

「ああ、お疲れさん」


 コーチに挨拶をし、手早く帰り支度をする。すっかり陽は沈み、二十時半を過ぎていた。


「今日からは送っていこうか? 最近物騒らしいし」

「そうらしいですね……朝聞きました」

「どうする?」

「自転車で10分程度なので、大丈夫です」

「そうか?」

「はい。さようなら」

「気を付けろよ」

「はい」


 送りを断った少女は自転車に乗り、帰路についた。あと少しで家に着くところで、人通りの少ない住宅街に入る。街灯は多いが少し不気味だった。


 暫くして、馴染みの交差点が見えてきた。この角を曲がれば、自宅のある通りに出る。殺人犯が出ると言われて少し怯えていた少女は、ほっと安堵の息を吐いた。多少は怖かったが、こんなに近所だというのに車で送ってもらうのは流石に気が引けたのだ。


 ――そのとき、自転車が不自然に傾いた。


「えっ」


 体勢を立て直せないまま、道路にガシャン、と派手に倒れ込む。呻いている背中に激痛が走り、少女は意識を失った。



 ◇◇◇◇



「痛……」


 全身が痛むなか、薄目を開ける。鬱蒼とした雑木林が視界に入った。次いで、近くに佇む黒い人影。ただ、少女からは表情が窺えない。時刻は分からないが、かなり遅い時間のようだった。何が起こったのか、状況がまるで把握できない。

 混乱する少女の横で、ごそごそと人影が何かを取り出し始める。


 ――そして人影は、黙ったまま少女に近付くと、


「〜〜〜〜っ!?」


 ――躊躇なく刃物を振り下ろした。鈍く光る包丁が深々と太腿に突き刺さり、血がどっと溢れ出す。少女は激痛に悲鳴も上げられない。草むらに流れた血が、てらてらと生々しく光った。

 続いて、突き立てられた包丁にぐっと力が込められ、皮膚が大きく切り裂かれる。切開された太腿の、薄赤い筋肉がよく見えた。


「綺麗……なんて美しい白なの……長距離走者は赤、短距離走者は白……」


 人影はぶつぶつ呟くと、包丁を引き抜いてふくらはぎを切り付ける。またしてもぱっくりと皮膚が開き、内側の筋肉が顕になった。


「がっ……! 〜〜〜〜っ!!」

「良い、良いわ……!! この前の長距離走者も良かったけれど……この子は最高……」


 ざくり、ざくりと両足を裂かれ、失血と激痛に少女の意識は朦朧とし始める。


「なんて綺麗なの……素晴らしいわ……この曲線も、細やかな筋も……!!」


 延々と続く地獄に、少女の目から涙が溢れた。


 ――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!


 と、唐突に雲が晴れ、紅く染まった満月が人影を照らし出す。嬉々として刃物を振るう人物の顔が、意識の定かでない少女の瞳に映り込んだ。


「!?」


 血に染まった白い頬。包丁を握る華奢な腕。

 ――それは、今朝方少女と話していた友人の、信じられない姿だった。

 焦点の定まらない瞳は妖しく輝き、うっとりと太腿に頬ずりしている。まるで少女のことが、判別出来ていないかのようだった。


「もっと、もっと楽しませて……!!」


 にたりと笑った殺人鬼が、一際大きく振り被り、包丁を足の付け根に突き立てる。


 ――比類ないほどの痛みと出血に、少女の意識はそこで途絶えたのだった。

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