真夜中ツーリング

月岡ユウキ

* * *

 夜中、アキは一人で愛車バイクを押す。幹線道路沿いの歩道まで来たところでスタンドを立て、エンジンに火を入れた。目覚めたばかりの愛車がどろろと唸る音は、すぐ横を走り抜けていく大型トラックの音にも負けていない。

 

 プロテクター入りのナイロンジャケットに、ストレートのブラックレザーパンツ、使い込んだエンジニアブーツはいつものスタイルだ。

 ジャケットの内ポケットから、煙草とジッポをとり出して火をつける。強い煙とオイルの香りを、冷えて乾燥しきった空気と一緒に深く吸い込んだ。


 ふう……と深く長く吐き出せば、強い冷気に少し挫けていた自分が少しだけ強くなった気がしてくる。不思議なものだ。


 ゆっくり煙草一本を味わって携帯灰皿にしまった頃、アイドリングの回転数が下がる。いつも通りの儀式を経てヘルメットを被り、しっかりと顎紐を締める。バイクに跨ってグローブを装着しながら、アキは小さくつぶやいた。


「今晩も、よろしくね」

 

 タンクをポンと軽く叩き、スタンドを払う。真夜中とはいえ、幹線道路の交通量はそれなりに多い。アキは慎重に背後を確認しながら流れに乗った。


 今晩のお目当ては、とある山の展望台だった。寒くて星が綺麗な夜は、夜景も綺麗なはずだから。

 

 ここ最近、二週間以上雨が降っていない。フルフェイスヘルメットの顎から入ってくる冷気は乾燥しきってて、アキの唇をヒリリとなぶる。信号待ちのたびにエンジンへ手を伸ばし、革グローブ越しに暖をとって凌ぐのを繰り返した。

 

 家や建物が減ってくると、あからさまに気温が下がってくる。山が近くなるにつれ、信号のほとんどが点滅式へと変わる。この辺りになると信号待ちがないせいで、指の先まで冷えてくるのが常だ。


 いよいよ暗くなった県道から、一本横道に入れば山の入り口。ここから先はコンビニどころか自販機すらない。


 アキは道路沿いにポツンと立つ自販機の前にバイクを止めると、あたたか〜いブラックコーヒーを購入する。革グローブ越しにも伝わる鉄缶の熱さが冷めないうちに、ジャケットの内ポケットにしまいこんだ。再びエンジンに手を触れてしばらく暖をとった後、再び走り始める。


 山頂に向かう生活道路は綺麗に舗装されているものの、その幅は軽自動車2台がすれ違うのでやっとだろう。ぽつぽつと建っている一般民家に迷惑がかからないよう、アキは極力回転を上げずに登坂していく。こういう時に排気量が大きいというのは非常に助かるものだ。

 

 ここしばらく雨が降ってないおかげで、山から水が出ていることもない。冷えきった夜露が乗る路面のグリップはやや頼りないけど、凍結しているよりずっとマシだ。


 山頂の展望台に続く駐車場で、アキは大きくUターンする。出口に向いたところでヘルメットのシールドを上げれば、白い吐息が視界を曇らせる。自分で吐いた蒸気の向こう側、木々の隙間から見えたのは思った以上にきらめいている街の夜景だった。


(――これは期待できそう)


 アキは急く心を抑えながらバイクを定位置に止め、キーをオフに回す。低く落ち着いたアイドリング音が止まると、一瞬自分の耳がバグったかと思う程の静寂に包まれた。耳が慣れるまで数秒待つと、チン……チン……とエンジンの鳴く音がやっと聞こえてくる。


 アキはバイクを降りると、ヘルメットを被ったまま展望台の案内に従って土の階段を登る。二十にも満たない、でもやや大きな段差を登り切ると、眼下には宝石箱をひっくり返したかのような夜景が一面に広がっていた。


「うわぁ……」


 思わず声が漏れる。関東の広域を一望できるこの展望台は、比較的有名な場所。しかし真冬の夜中に訪れる人はまずいない。

 週末なら車で訪れるカップルもいるが、今日は平日。完全に貸切状態である。


 アキはヘルメットを脱ぐと、備え付けられた木製のテーブルへ置いた。潰れた髪の毛を軽くかきあげれば、地肌に冷気が入り込む。

 しんしんと冷え込む中、煙草に火をつけ吸い込むと、チリリと葉の燃える微かな音までも聞き取れる。


 強い寒気。夜景はふわふわ揺れながら煌めく。遥か遠く、地表と空の境は暗く曖昧で、見上げれば満天の星空。


(――あ、そうだ)


 ジャケットの懐から、麓で買ったブラックコーヒーを取り出す。つい十分ほど前に買ったはずなのに、グローブを脱いだ素手でもぬるく感じるほどには冷めてしまっている。鉄缶のプルタブを起こす強い音が、静寂の中で申し訳なく感じるほど大きく響いた。


 コーヒーを一口含めば、ぬるく苦い液体が喉に落ちていく。煙を吸い込んで夜景をぼんやり眺めていたら、灯りの1つ1つ、それぞれの向こうに人がいて……なんて言葉が浮かんだ。


 不意に、嫌な上司の顔を連想してしまう。あの灯りの中には、嫌なやつもいっぱいいるんだろうな。


(そういえば昔、誰かが『煙草は大人が大っぴらにため息をつくための道具だ』なんて言ってたっけ……)

 

 アキは再び、深く煙を吸い込んだ。そのまま満天の星空を見上げると、肺の空気を出し切るように息を吐く。吐かれた煙はゆらりと夜空に溶け、再び星が輝きだす。

 

 貸切の夜景、貸切の星空。今は全部、私だけのもの。


 山頂の冷気は、容赦なくアキの身体を冷やしていく。なのに今はなぜか、心が温かくなっているのを感じていた。


「――がんばろっ」


 アキは空に向かって呟くと、残ったコーヒーを一気に飲み干した。

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真夜中ツーリング 月岡ユウキ @Tsukioka-Yuuki

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