心に染みる一口と一言

九戸政景

心に染みる一口と一言

「はあ……今日も疲れたなぁ……」



 深夜、数分後には日にちも変わろうかという時間に大塚おおつか礼司れいじはため息をつきながら歩いていた。


 その疲労感を表すかのように着用していたスーツはよれよれになっており、靴や鞄もぼろぼろと言わないまでも少々擦りきれていた。



「まったく……こんなに働いても結局は安月給だからなぁ。まあ働けているだけ良いんだろうけどさ」



 ため息と共に軽く不満を口にしていた礼司だったが、ある物を見つけた瞬間にその目は静かに輝いた。それは何の変哲もない自動販売機であったが、礼司はそれに近づくと、まるで宝石のような目でディスプレイを眺め始める。



「今夜は……よし、これにしよう」



 そう言いながら礼司は有名メーカーの缶コーヒーを指差し、硬貨を投入口に入れた。



『いらっしゃいませ』

「今夜もいらっしゃいました。へへっ、この自販機の声を聞くとなんだか落ち着くなぁ」



 嬉しそうに言いながらボタンを押すと、缶コーヒーが取り出し口へ落ち、そこから缶コーヒーを取り出した礼司は蓋を開けてその中身を飲み始めた。



「……ふぅ、やっぱり仕事終わりの一杯は格別だな。世間では帰ってからの酒が美味いって言うけど、俺は帰宅がてら気分転換の散歩をして、この自販機で一本買って一口飲んで自分にお疲れ様を言うだけでも十分だな」



 もう一口飲んでから礼司は自販機に視線を向けると、静かに立つ姿を見ながら微笑んだ。



「お前もいつもお疲れ様。機械のお前に言ってもしょうがないかもしれないけど、こうしてお前が置いてあるだけでもやっぱり安心するし、お前も言われて良いと思うからさ」



 礼司が微笑んだままで言っていたその時だった。



『あなたもいつもお疲れ様です』

「え……?」



 その突然の言葉に礼司は驚いたが、すぐにその表情は満たされた物へと変わり、それに対してのお礼を口にした後、礼司は缶コーヒーを片手にゆっくりと夜道を歩き始めた。

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心に染みる一口と一言 九戸政景 @2012712

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