シリウス

みどり

星空を眺めて

「もういい! お母さんなんか嫌い!」


髪をハーフアップにした少女は、深夜に家を飛び出した。普段は仲の良い親子だが、進路について揉めてしまい大喧嘩になった。


進学するか、就職するか。


少女は就職を望み、母親は進学を勧めた。


少女の家庭はシングルマザーだ。少女も家計を助ける為、アルバイトのお金の一部を家計に入れている。


だから、早く就職して母を助けたかった。


母は、少女が勉強好きな事を知っていた。少女の部屋には多くの本があり、自分では全く分からない難しい学術書もある。娘の将来のために、もっと学ぶべきだと主張した。


お金だって、なんとかなる。そう娘に言った。


だが、娘は母が無理をしている事を知っていた。早く稼いで母を助ける方が良いのではないかと悩んでいた。そんな時、アルバイト先から卒業したら正社員になるかと誘われた。


これも縁だと思い、就職しようと思う。そう母に伝えた。


今まで娘の意思を尊重してきた母は、初めて娘の意見を否定した。そして、大喧嘩になったのだ。


少女は、母が頭を冷やすと風呂に行っている間に家を飛び出した。時刻は深夜0時。


少しだけ、そう自分に言い聞かせて深夜の散歩をする。普段よく知っている街が、まるで違う街のようだ。


「わぁ……綺麗」


少女は満点の星空を眺め、ため息を吐いた。冬の大三角が澄んだ空に輝いている。少女は夢中で星を追い始めた。気がつくと、母とよく星を眺めた公園に着いていた。


少女の父は、乱暴でいつも威張っていた。母はそんな父から逃れる為、よく娘を連れてこの公園に来た。今は居心地の良い家だけど、子供の頃は家に帰るのが嫌だった。


父と母が離婚して、ようやく温かな家庭になった。


「そりゃ、出来るなら大学に行きたいけどさ……」


少女は、星が好きで自宅に様々な本を置いていた。宇宙の本を読む為、物理学や力学などを独学で学んでいた。読みたい本を理解するには、多くの予備知識が必要だったからだ。彼女の部屋には様々な学術書が置いてある。


憧れの教授が教鞭を執る大学に通いたい。そんな望みは確かにあった。しかし、大学の費用を調べて絶望した。奨学金も調べた。母の収入は少ないし、自分の成績なら問題なく借りられる事も分かった。だけど、何百万もの借金を抱えて社会に出る勇気が持てなかった。


大学に行かなくても、学ぶ事は出来る。


そう自分に言い聞かせて、就職しようと決めた。それなのに……。


モヤモヤとした気持ちを抱えながら空を眺めていたら、母がサンダルで走ってきた。髪はびしょ濡れで、慌てて探しに来た事が分かる。母は鍵と少女の携帯電話と、見た事のない紙袋を抱えていた。


「見つけた……! 良かった……無事で……!」


「お母さん」


「やっぱりここだったか。もう! 心配したんだからねっ!」


母は少女に紙袋を渡した。少女が紙袋を開けると、多くの大学のパンフレットがあった。その中に、少女の憧れの大学もある。


「あのね! お母さん調べたの! こんなにたくさん、返済不要の奨学金があるの。確かにうちは貯金があまりない。けどね、これ見て!」


母が渡した貯金通帳には、120万もの大金が記載されていた。


「これって……」


「今まであなたが渡してくれたお金、全部貯めてあるよ。毎月5万も渡してくれてたもんね。夏休みは、もっといっぱい……。ねぇ、まだ時間はあるよ。お母さんも頑張るし、この返済不要の奨学金、狙ってみない? 貸与の奨学金だって、悪いわけじゃない。お母さんあんまり頭良くないけどさ、計算したの。これ見て」


母が手書きで書いた表には、主な大学の学費が調べてあった。返済不要の奨学金も細かく調べてあり、それらを合わせれば、大学に手が届く。少女が調べた非現実的な金額は書かれていない。少女は知らなかったが、学費を安くする方法は色々あったのだ。


「お母さん大学に行った事ないから分からないけど……今だってアルバイトしてるじゃない? 今くらい稼げれば奨学金借りなくてもなんとかなるんじゃない? 不安なら、奨学金を借りておいて貯めておく手もあるよ。繰り上げ返済も出来る。お母さんと違って頭良いんだからさ、色々方法はあるよ。それでも不安なら、夜間部もある」


「夜間部?」


「そう! 夜に勉強するの。就職して夜間部に通う方法もある。体力的に大変だしあまりお勧めしないけど、今のお仕事、好きなんだよね?」


「仕事は好きだけど、勉強する方が好き」


「そっか。ならさ、大学に行くからしばらくアルバイトのままにしてくださいって頼んでみたら? 昼間の人手が足りないから就職しろって言うんじゃないの? 午後アルバイトして、夜大学に行っても良いし。夜間部は費用も安いよ。でも、昼間と同じ質の授業が受けられるって書いてある。それに、ここ見て! 希望すれば昼に変えてもらうことも出来るって書いてあるの! サークルとかできないし、体力もきついだろうし、生活リズムが崩れるからおススメしたくなかったんだけど……。他にもいろんな道はあると思う。勉強好きなんてすごいよ! ね、大学、挑戦してみようよ」


必死で訴える母の言葉は、頑なだった少女の心を溶かした。


「お母さん、私もっと勉強する。就職は、しない」


「お母さんも色々調べてみる。お母さんの会社に、奨学金を借りてた人や、大学の夜間部に通ってる人がいてね。お母さん頭悪いから、みんなに教えて貰ったの」


「ねぇ、お母さん」


「ん?」


「私ね、お母さんが自分の事頭悪いって言うの、すごく嫌なの。さっきだって、喧嘩した時だって、いつもお母さんと違って私は頭が良いって言うでしょ」


「……ごめん。でも、本当の事だし」


「お母さんは、すごいよ。頭だってすごくいい。お母さんはいつも私の事頭が良いって褒めてくれるけどさ、私は散々調べたのに夜間部も返済不要の奨学金も知らなかった」


「お母さんも知らなかったよ。会社の人が、教えてくれたの」


「会社の人が教えてくれたのは、お母さんが聞いたからでしょ?」


「……そうだね。娘は勉強が好きみたいだから、なんとかお金がなくても大学に行けないかって昼休みに相談したの。そしたら、大学の夜間部に通ってるって人がいてね。その人は高卒でお母さんと同じくらいの給料だから、通えるんじゃないかなと思って。大卒になれば給与も上がるって張り切ってるんだよ。それに、奨学金の返済をしてる人もいるの。返済は大変だけど、何とかなるって言ってた。その人はボーナスの半分を繰り上げ返済にしてるから、もうすぐ返し終わるって言ってたよ。最初はすごく不安だったって。何百万の負債を抱えてるんだもんね。でもね、奨学金のおかげで学びたいことを学べたから、感謝してるって言ってたよ」


少女は、自分の視野が狭かったと思った。そして、ある事を思いついた。


「ねぇ、お母さん」


「なぁに?」


「お母さんは、大学に行きたかった?」


「……そうね。行きたかったわ」


「じゃあ、一緒に大学に行こうよ」


「……一緒に?」


「そ、色々調べるけど、国立大学の夜間部を狙おうかなって。夜間部ならアルバイトと奨学金でなんとかなるし、私にお金かけなくていいよ。その分浮いたお金で、お母さんも大学に行こうよ」


「無理よ……お母さんは……」


「頭悪くないよ。それなのに、お父さんの家族はみんなお母さんを馬鹿にしてた。それが本気で許せなかった。私の事も、お母さんが産んだんだから馬鹿だろうって言ってたんだよ。だからムカついて、いっぱい勉強した。そしたら、急に優しくなって。気持ち悪かった。お母さんが離婚してくれて、本当に良かった」


「あの人……そんな酷いこと言ってたの……?」


「うん。おばあちゃんとか、もっと酷かったよ。いつも叔母さんの子と比べられてた」


「親戚の集まりは、地獄だったものね」


「だよね。実はさ、こないだおばあちゃんに本屋さんで会ったの。制服姿だったし、いい学校に行ってる自慢の孫なのって笑ってた。連れの人に私を自慢したから、おばあちゃんがお母さんに言った事全部ぶちまけてやったの。あの顔、お母さんにも見せたかったなぁ」


「なんてことしてるの?! あばあちゃん、怒ったでしょ?」


「うん。でも、連れの人がおばあちゃんを説教してた。おばあちゃんが習ってるお花の先生なんだって。おばあちゃん、お花が生きがいだったもんね。これから、どうするのかなぁ。いい気味だよ。おばあちゃん、謝ってきたけどさ、二度と顔を見たくないし、今後見かけても話しかけるなって言って別れたよ」


「だから急に私に電話してきて、大学の費用を出すなんて言ったのね……!」


「え、おばあちゃんから電話あったの?」


「ええ。父親ならともかく祖母に頼る気はありませんって断ったわ」


「断って正解だね。お母さん、私いっぱい勉強する。特待生も狙ってみる。だからさ、勉強付き合ってよ」


「分かった。お母さんも勉強する。もう頭が悪いなんて言わない。だから、色々教えて」


「うん。私も知らない事がいっぱいあるから、教えてね。あと、嫌いなんて言ってごめんなさい」


「気にしないで。嫌いって言われても、お母さんは好きだから安心してね」


少女と母の未来を祝うように、夜空にシリウスが輝いていた。

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シリウス みどり @Midori-novel

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