夜桜
和希
第1話
ある夜の夜。
私が店のシャッターを閉じてひと息ついていると、
「あなた、今日までお勤めご苦労様でした」
妻の沙苗が優しい声をかけてくれた。
「ああ、君こそ今日までありがとう。たくさん苦労をかけてしまったね」
私が労いの声を返すと、沙苗は首を横にふり、柔らかい微笑を向けてくれた。
今日、私の店『桜木写真館』は閉店する。
祖父の代から続く、地域に根ざした小さな写真館だった。七五三や成人式、学校行事、街のイベントに至るまで、これまでたくさんの写真を撮り、人々や街の成長をレンズ越しに見守り続けてきた。
けれども、これも時代の流れと言うのだろうか。郊外に大型ショッピングセンターができてしまうと、駅前の商店街はすっかりさびれ、シャッターの数が増えていくに従って客足もすっかり遠のき、『桜木写真館』もついに閉店を余儀なくされたというわけだった。
店の壁に飾られた、一枚の家族写真。
ここからほど近い城址公園の、満開の桜の木の下で撮られた写真には、幼い頃の私と、すでに亡くなった祖父や両親の笑顔が写し出されている。
父は厳しくも温かみのある、情に厚い人だった。
子供の頃、内気だった私は、何か失敗すると父に叱られるのではないかと、いつもびくびくしていた。
すると父は、
「まったく。仕方のない奴め」
と、口では呆れたようなことを言いながらも、結局は私を許し、受け入れてくれるのだった。私はそんな父をひそかに尊敬し、心から慕っていた。
私が店を継ぐと決めると、父の厳しさにもいっそう磨きがかかり、私は何度も叱られた。職人気質で、仕事には一切妥協のない父だった。
街の人たちの信頼を勝ち得た父の周りには、いつも笑顔があふれていた。商店街の人たちも気軽に父の元に立ち寄っては、たわいもない会話に花を咲かせ、笑い声を響かせていった。
子供の頃に撮った家族写真を眺めていると、父に申し訳が立たないような、情けないような、切ない気持ちにさせられる。私は頭をふり、店内の電気を消すと、逃げるように奥の居間へと引っこんだ。
それから、沙苗と二人でいつもより長い夕食を過ごし、やがて床に就いた。
しかし、今夜で店を畳んでしまうせいで気持ちが落ち着かないのか、夜が更けてもなかなか寝つけない。
ふと、私は桜の写真を撮ろうと思いついた。店に飾られている家族写真同様、城址公園の桜の木を最後に写真に収め、この店の最後の締めくくりとしたい。そんな気持ちが私の中で衝動的に大きくなっていった。
ついに私はカメラを持ち、深夜の街を歩きはじめた。
冷たい秋風が吹く街はすっかり寝静まり、ささくれ立った私の気持ちをしんと落ち着かせてくれた。これまで幾度となく街の写真を撮ってきた私だったが、深夜の街というのは初めてで、また新たな一面を発見した気分だった。
月光と街灯の明かりを頼りにしばらく歩き、ほどなく城址公園にたどり着く。私は歩道に沿って進み、やがて一本の桜の木を見つけた。
私は冴え冴えとする月の白い光を浴びて孤立する寂しげな桜の木にカメラを構え、シャッターを押そうとレンズをのぞきこんだ。
そして、あっ! と息を飲んだ。
レンズの向こうにそびえる桜の木が、子供の頃に家族で撮影したあの春と同じように、満開に咲き誇っている。
そして、桜の木の下には、かつて私を温かく包みこんでくれていた、祖父や両親の姿があった。
思わず涙がこぼれる。
私は泣きながら、ずっと胸の奥にため込んできた本音をついに漏らした。
「……父さん、ごめん……ごめんなさい……。僕、父さんの店を守ることができなかったんだ……」
すると父は、
「まったく。仕方のない奴め」
そう言って、すべてを許し受け入れるかのように笑ってくれた。
ずっと会いたいと思っていた父の、愛情にあふれた優しい笑顔だった。
【完】
夜桜 和希 @Sikuramen_P
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