魔法使いの弟子と偽りの月

葛瀬 秋奈

 何かが窓にぶつかるような音で目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光がやけに明るいので、不思議に思って窓から空を見上げると満月が輝いていた。


 その月を見ているとそわそわと落ち着かない気分になってきて、気づいたら散歩に行こうと決めていた。しかし時計を見ると時刻は深夜2時。一応保護者である師匠には叱られてしまうかもしれない。だからこっそり、音を立てないようにして外へ出た。


 3月といえども夜はまだ肌寒く、モスグリーンのダッフルコートがちょうどいい。道路へ出ると月は東側の電信柱の上にあった。月がとっても青いから、と歌ったのはさて誰だったか。黄色い月は青くは見えない。


 どこからか笛の音が聴こえてきた。それから鼓を叩く音も。こんな時間に祭囃子の練習だろうか。タンポポの和名をつづみぐさと呼ぶそうだがまさか関係はあるまい。月と同じように黄色いタンポポを横目にそんなことを思った。


 人も車も通らない道路をぼんやりと歩きながら、おかしなことに気づいた。次の電柱までの距離が長すぎる。


 というか、そもそも月の位置がおかしい。どうして深夜に満月が東の空に見えているのか。いや、そもそもの話で言うのなら、そもそも今夜は三日月だったはずだ。


 私は右手の人差し指を真っ直ぐに伸ばし、疑惑の月へ向けた。


「ばんっ」


 銃声を真似て声に出すと、同時に月から尻尾が生え、ぐらりと揺れて落ちてきた。地面に横たわっていたのは月ではなくて大きな毛玉だった。


 私はタヌキに化かされていたのだ。様子を見ようと近づくと、そのタヌキはおもむろに立ち上がった。外傷はなさそうだが、前脚で腹を押さえている。


「むう。貴様、何をした」

「喋った!」

「タヌキも古びれば人語ぐらい喋る」

「それはまあ、そうかもですが」


 月に化けていたことより、二足歩行することよりも、何故か人と同じ言葉を喋ったのが衝撃的だった。


「それで、何をした?」

「ただのガンド撃ち。普通は三日後に体調を崩すぐらいなんですけどね。あなた、対魔力低いんじゃないですか?」

「おのれ、魔法使いめ……」

「私はただの弟子。師匠はもっと怖いです」

「……これで勝ったと思うなよ!」


 古典的な捨て台詞を吐きながらタヌキはどこぞへと走り去った。無事に山へ帰ってくれるといいが。偽りの月が消えた空ではたくさんの星が輝いていた。


「……さて、帰るか」


 振り返れば家はすぐそこにあった。ずいぶん歩いたと思ったが同じ場所で足踏みしていただけだったようだ。あくびが出るのを手で押さえながら玄関扉を開けると、土間を上がったところで師匠が腰掛けていた。手には横笛が握られている。


「ワルプルギスの夜にはまだ早いようだが、深夜の散歩は楽しかったかい?」


 やはり私には狐狸妖怪よりも、師匠のほうがよほど恐ろしい。


 (了)

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