深夜の散歩で起きた出来事

江戸川台ルーペ

旅先の夜は

 うちの両親ときたら無類の旅行好きときたもんで、一人っ子として産まれた僕を、それはそれはまだハイハイもしない頃から旅行に連れ回したものだった。僕が小学生に上がった時も、卒業して中学に入学した時も、そして今は高校に入学したお祝いを兼ねて、という事で、電車を乗り継いで、房総の名前も知らない旅館に泊まりにきているのだった。チーバ君でいうと、脛のあたりだ。Googleマップで見た。

 家族旅行は僕は好きではない。家が一番好きだ。確かに、ちょっとした非日常を味わうのも悪くはない。車窓から眺める他人の暮らしというのも、悪くはないものだ。だがそういうのをありがたがる傾向というのは、日々の繰り返しに飽きた大人が求めるものなのではなかろうか。未だ毎日が新鮮なものに感じられる僕にとって、旅行は単なる移動であり、慣れない布団と枕で眠らされるだけの苦行に近かった。両親ともそんなに話すことはない。父も母も、旅行に出ている時はとても楽しそうにしているから、そう悪いものでもないけれど(時折、目的地への行き方で揉める事はあったが)

 唯一見つけた楽しみが、夜中に旅館なりホテルなりから抜け出して、散歩をする事だった。平時 ──というのは僕が実家で普通に生活をしている事を指すのだけど、夜中に散歩なんかしない。知らない土地で、両親から離れて夜中に一人で散歩をするというのは、本当に驚くほどスッキリするのだ。それに気付いたのは京都の格式高い旅館からこっそり抜け出して、最寄りのコンビニで特典付きのくじを引きに行った時だった。正直旅行どころの騒ぎではないレベルで、そのくじを引かなければならなかったのだ。結果、資金の関係上数個のアクリルスタンドを手に入れただけであったが。高校生の金としてはそれが限界だった。僕はやさぐれて、コンビニ周辺をうろうろとしているうちに、いつの間にか道路から離れ、見知らぬ住宅地に立ち入る事になり、やがて山道を登って、暗い崖からガードレール越しに街並みを見下ろすことができた。夜中に一人で気ままに歩き回るのはものすごく気分が良かった。どこまでも自由になれた気がした。


 そうした訳で、この房総でも夜の散歩を楽しみにしていたのだが、どうも雲行きが怪しくなったのは、知らない女の人に声を掛けられてしまったからだった。物事は計画通りに運んだはずだった。酒を飲んだ両親は早々に眠ってしまい、それを確認した僕はトイレに行くふりをして私服に着替え、ルームキーを取って静かに部屋を出た。宿は絨毯が深いところで、エレベーターの前には大理石のテーブルと、座り心地が良さそうなソファが設置してあるような、両親がちょっと奮発したのは明らかな所だった。フロントの目を盗んで外に出て、僕は前回にならってコンビニを手元のスマフォで検索し、そこに向かった。振り返って外から見る宿は暗く沈んでおり、街灯も少ないせいかクッキリとした星が秋の夜空で瞬いていた。夜中の徘徊がバレるといささか面倒な事になるから、適当にブラブラして、コンビニでジュースでも買って帰ろうと思った。そこまでは上手く行った。だが、街灯も疎な海沿いの道を歩いていると、僕よりも少し年上の女性がガードレールに腰を掛けて海を眺めていたのだった。上下スウェット姿で、セミロングの髪に隠れて顔は見えない。夜中の海は音しか聞こえない。ともあれ、道で人を見るのは初めてだった。車さえほとんど通らない遅い時間だ。僕は黙って冷たいままの500mlの缶コーラを持って、後ろを通り過ぎようとした。こんな時間に一人で海を眺めているなんて、どうかしてる。訳有りなのだろう。怖い。そう思って早足で行こうとした時、

「少年は観光客かい?」

 と、こちらも振り向かずに突然声を掛けられた。僕は一瞬ドキッとして、一応礼儀として、儀式として周囲を見渡した後、

「僕の事ですか?」

 と聞いた。

「そうに決まってるじゃないか」

 可笑しそうな口調でこちらを振り向いた人は片手に缶酎ハイを持っている綺麗な人で、ドキッとした。ラノベで見たことがあるような展開だ。ラノベで見た事がある、というのは変だ。ラノベで読んだ事があるような気がする展開だ。

「何でこんな時間に一人で出歩いてんの」

「コンビニに用事があって」

「どんな用事?」

「プライベートです」

「プライベート」

 クスクスと笑ってお姉さんは僕に隣に座るように促した。僕は明らかに長くなりそうな予感がして、宿で僕がいないのがバレたら大ごとになるから逡巡したが、あまりに素敵な笑顔でポンポンと自分の隣のガードレールを叩くものだから、仕方なく座る事にした。ポンポン地点よりも拳二個分離れて。やはり海は全然見えなかった。重たい波の音が聞こえてくるだけだ。

「無口な男の子だ」

 つまらなそうにも聞こえる口調でお姉さんが呟いた。

「だって、何を喋ればいいか分からないです」

「なるほどね」

 うんうん、とお姉さんが頷いた。

「キミが言いたい事は、こんな夜中に一人で酎ハイを片手に、見えもしない海に向かって一人で呑んでいる女性に話かける言葉はないっていう事かな」

「そうです、ね」

「素直でよろしい」

 クスクスとお姉さんがまた笑って、話はライトノベルから新海誠にぐっと舵を切ったように思えた。

「だって、暗くて海とか全然見えないじゃないですか」

「そう、何も見えない。そこが良いんじゃないか。昼の海、夕方の海、夜の海……いいね、全部好きだよ、あたし」

 新海誠からジブリに移行しそうな雰囲気があった。

「何かを見ようとするんじゃなくて、感じるの」

 おっと、ブルース・リーだったか? 僕は黙った。

「見たところ、キミは中学生か高校生で、友達か家族で旅行に来てる。多分、高校生になったばっかりだね。友達はあんまりいなさそうな雰囲気があるけど、心配しなくてもいいよ。キミは育ちの良さが滲み出ているから、いずれ自然と周囲に人が寄ってくるようになる」

 からの、シャーロック・ホームズだったのか?

「あなたに、僕の何がわかるって言うんですか」

 僕は怖気付いて声を絞り出した。

「なぁに、簡単な事さ、ワトスン君」

 ワトソンどこにもいないけど。ワトソンじゃなくて、このお姉さんはワトン派らしいけど。

「まずキミの顔はツルッとしているが、少しだけ黒いひげが生え掛けてる。声もやや変声期の途中、という事は一般的に中学二年生から三年生、といった所だが、身長からして高校生に賭けた。バレー部の推薦だとしたらまだ中学生だが、その腕と体幹の細さから、運動部ってことはあるまい」

「どうして友達がいないって分かったんですか」

「わざわざここまで来て、コーラ一本だけ買って帰るなんて有り得ないだろう。よほど仲の悪い友人に仕方なく拉致られてきた、っていうなら別だけどね。それにキミから香るシャンプーの匂いはあのロイヤルプレジデントホテルに備え付けのものだ。良いところのボンボンってのはそっから分かるのさ」

「大体正解です」

 僕は少し感心しながら、でも注意深くをつけてボヤかした。まだ僕はこのお姉さんの事を心底信用した訳じゃないのだ。

「大体?」

 お姉さんはもちろんそこが気に食わなかったみたいだった。

「じゃあどこが違うんさ、言ってみーや」

 関西弁が出始めた。少し気が解れてきたのかも知れない。

「まず、僕は男の子じゃありません」

 僕は即興で嘘をついた。

「え!?」

 お姉さんは素っ頓狂な声を上げて、目を見開いて僕を見た。

「両親は他界しました。今は親戚のおじさんと一緒に旅行に来ています」

「えぇ!?」

 お姉さんはさらに声を上げて、口に手を当てて驚いた。

「なんか、なんかゴメンね? そういうのって、本当に無神経過ぎたね、ウチ、そういうところちょっとあるから……ホントごめん! 勘弁して!」

「いえ、良いんです」

 僕はどうして自分でもこんな嘘を付いてしまったのか分からないまま、身を固くした。突然近くに寄ってこられて、手まで握られてしまったからだ。

「ホントごめんな、確かに近くでみたら綺麗な顔してるわ。身長も高いから、将来モデルさんになるかもな!」

 お姉さんはすごく良い匂いがして、僕はすごくドキドキしてきてしまった。

「でも、高校生は正解でしょう? な?」

「せ、正解です」

「ほら! な〜、アタシこういうのめっちゃ得意やねん。男女の間違いをしたのは初めてだけどな! ちゃんと年頃の女子は髭そらんとあかんでしかし」

 突然さっきまでのアンニュイな雰囲気が変わって、恐ろしく砕けた関西系のお姉さんが出現した。

「最近はほら、性別なんて色々ややこしいからな! 表は男だけど中身は女、みたいな、それって神様がちんことおそそのパーツつけ間違えたんかいなって、な」

 僕の頭をわしわしと撫でくりまわしてお姉さんが言った。

「さっきな、彼氏が別れようって言い出して、ここで落ち込んでてん……」

「そうだったんですか」

 僕はいっそう良い匂いがするお姉さんの頭が肩あたりにきて、ドキドキしながら聞いた。

「どんな彼氏だったんですか」

「めっちゃ暴力とか振るう……」

「最悪じゃないですか」

 僕はストレートに感想を述べた。

「いや、でもそれアタシの事を思ってやってくれてん!」

「女を殴る男は絶対頭おかしいですよ」

「それはキミが住んでる世界のことじゃん! アタシのところじゃ日常チャハンジ過ぎて頭おかしいと言われてもピンとこーへん」

「そういうもんですかね?」

「そういうもんや〜しかも喧嘩した後の仲直りのアレはすっごく燃えんねん」

「アレって……?」

「アレって……もう言わせんなや!」

 バシっとお姉さんは僕の肩を思いっきりぶった。

「痛! ジェンガですか?」

「そうそう、静かに抜いてから再び刺すでしょう……ってちゃうわ!」

 僕は肩をさすって一人で盛り上がってるお姉さんを眺めた。とても嬉しそうに喋っている。僕の事を本当に女子だと思い込んでいるのだろうか? 展開によってはエロ漫画でみたような展開になってもおかしくない状態にある。


【以下妄想】

(ふにっ)

「って、アレ? なにこの硬いの……」

「///」

「ふうん、今の女子高生って、こういうのがついてるんだ〜」

「ち、ちがっ」

「どう違うのか、お姉さんにちょっと見せてみなさいよっ」

「ふわぁっ」

【以上終了】


 という事にはならず、僕はそのままお姉さんの止め処ない愚痴話に付き合わされる事になった。お姉さんは時折何度かコンビニへ消えて、トイレなり、ツマミや酒の補充なりをしつつ、喋りに喋り倒した。

「男というのはつまりな」

「鼠講と自由販売の違いっちゅーのはな」

「暮らしに寄り添うクレジットカードっていうのはな」

「高校生ブランドを過信することなかれ」

「今の勉強が将来のおぜぜになる」

「手紙は足がつくから、告白は直接」

「自転車の二人乗りだけは青春のマスト」

 僕はさすがに時間が気になってきて(水平線に光が一本差し込んできているような気がしてきた)

「そろそろ帰らないと」

 と切り出した。

「親戚も心配しちゃうし」

「え、ええ〜そんな、殺生な〜」

 お姉さんは泣く真似をして僕を引き止めようとしたが、さすがに僕はそこは譲れなかった。

「じゃあ、じゃあ連絡先だけでも交換しようよ」

「それもちょっと……すみません」

「何でよ、何でよ〜!」

 僕が男だとバレたら、何となく後味悪いし。

 それじゃ、と言って、僕はほとんど強引にそこから離れた。

「元気でな〜!」

 とお姉さんの声が後ろから聞こえた。

「またな〜!」


 またな?


 ◾️


 そうして僕は両親に気付かれること無くベッドに潜り込み、チェックアウトの朝を迎えた。フロントで手続きを済ませる両親を、テーブルで荷物を見張りつつ待っていた僕の前に、缶コーラがトンお置かれた。

「●●様、お忘れものですよ」

 目を上げると、あのお姉さんがホテルの硬そうな制服に身を包んで立っていた。

「そう、その通りだよワトスン君。キミのシャンプーの匂いを知ってたのは、ここの従業員だったからなのさ」

 耳元でソッとお姉さんは呟き、今度会ったら大人のキスをしましょう、と。おっと、何だかここにきて、エバンゲ




  終 劇(糞デカフォント)





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深夜の散歩で起きた出来事 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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