黒い時を白い文字盤に刻んで

地崎守 晶 

黒い時を白い文字盤に刻んで

 季節は巡る。つまりは繁忙期というやつも年に一度は必ず巡ってくる。

 電車から吐き出され、溜息をついて左手の腕時計を見る。黒い短針はあと半時間ほどで頂点を指そうとしている。

 すっかり日の落ちた帰り道。残業の間に止んだ雨の名残の、じっとりした重い空気が湿ったブラウスを肌に貼り付かせる。

 やっとの思いでマンションの下に帰り付く。何気なく見上げると、わたしの部屋の窓に灯りがついている。

 まさか。

 郵便受けも見ずに5階まで上がると、急いでドアノブを回す。案の定鍵が開いている。放り出された真っ黒なスニーカーが、合鍵を使ったヤツの正体を示していた。


「ちょっと! 勝手に上がるなって言ってるでしょ」

「おかえりぃ~、遅かったやん」


 リビングに踏み込むと、間延びした関西弁が返ってくる。

 冗談みたいに真っ白な腰まで届く髪。年中着ている真っ黒なフード付きパーカーに、真っ黒なジーンズ。

 同性の自分が見ても腹が立つほど整った顔で、唇の端を吊り上げた笑みで、そいつはこちらを愉快そうに見つめて――黒手袋の指先で、銀色のスプーンを弄んでいた。

 目の前のローテーブルには、空っぽになった高めのアイスクリームの容器。


「……アンタ、まさかソレ食べたワケ?

今日は絶対遅くなるから帰ってシャワー浴びたら食べようと思ってたアイスを?

 家主のわたしに断りもなく?」


 ふつふつ湧いてくる怒りを目に宿して睨めば、無駄に顔が良いこの女は反省した様子もなく肩をすくめてへらへら笑う。


「ふふ、キミにそんなにも愛されとるアイスがうらやましゅうて食べてもうた」

「ふざけてんじゃないわよ……ほんっと、アンタって最悪ね」


 こいつはいつもこうだ。こっちの事情なんてお構いなし。いつだってふざけた同じ全身モノクロの格好でふらっと現れて、好きなだけ引っ掻き回してまた目を離した隙にどこかへ行ってしまう。数年ぶりだというのに、学生のころから何も変わっていない。それこそ彼女だけ時間が止まっているように。

 なんど振り回されたことか。すでにその真っ黒な腹の中に消えたアイスのことで怒っても喜ばせるだけだ。


「はあ、もういいわ。ご飯作るけど、アンタの分はないから。満足したらさっさと帰りなさい」


 かぶりを振ってキッチンに向かう。戸棚を開けようとして、真後ろから伸びてきた手がわたしの左腕を掴む。もう片方の腕で、彼女の胸元に引き寄せられる。彼女はわたしより少しだけ背が高い。


「ちょっと、なにするのよ」


 黒革に包まれた指先が、手首に巻いた銀色のベルトを確かめる。


「ウチのあげた時計。つこうてくれてるんやな」

「……アンタがくれたにしては、珍しく趣味がいいからよ」


 囁くような彼女の声がくすぐったくって、わたしの声も小さくなる。

 彼女の指先がわたしの白い袖を這う。

 真っ白な文字盤を規則正しく黒い秒針が巡っていく。いつの間にか短針と長針は一番上を指していた。

 就職祝いで受け取った腕時計はほとんど音を立てないのに、

 わたしと彼女の鼓動はやけにやかましかった。


 






 

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黒い時を白い文字盤に刻んで 地崎守 晶  @kararu11

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