第3話

 中学時代に帰宅部だった私は、高校に入学するとき、日常に何か少しでも刺激が欲しいと思い、文芸部に入っていた。これなら勉強と両立できると思ったからだ。年1回の文化祭に出展するとともに、年1回詩の小さなコンクールに応募すること以外は縛りのない、ゆるい部活。帰宅部よりは多少なりとも楽しい時間が過ごせるだろうと思っていた。

 私が渡り廊下にNを呼び出したのと同じ頃、顧問の先生から、別のコンクールへの応募を勧められた。自治体が募集する文芸祭。Nと出会うことのできない夏休み、夕食後の自室でNのことを思いながら詩を作って応募した。一晩で仕上げた、やっつけ仕事だったからこそ、次席にあたる議会議長賞受賞の知らせには度肝を抜いた。その理由は、受賞したという事実だけでなく、受賞対象作品が、3篇応募したなかで、最も時間をかけずに詠んだ詩だったということもあった。

家族そろって参列した授賞式で、受賞作品集も配布され、私の詩も載っていた。

 

同じコップの中で


空気を共有する

素晴らしさ

あのひとと同じ空気に生きる

照れくささ


だが

本当におなじ空気? と

疑問に思うくらい

あのひととはすれ違っている

まるで水と油のように


だが

たとえ水と油でも

私はガンバってかき混ぜる

すぐに元に戻ったっていい

私にとっては

元に戻るまでの時間で十分だ

なぜなら

あのひとと

同じコップに入っていることだけで

幸せなのだから


 自分の作品が確実に載っていることに安堵したのも束の間、その直後に書いてある審査員講評に目を疑った。

「高校生の作品。恋愛感情の光と影を自分なりの素直な表現で書いています。」


 違う。断じて違う。「恋愛感情」ではない。そんな、俗っぽいものではない。この審査員はおかしい。表面的にしか詩を読んでいない。でも、そんな表面的にしか読んでいないのに授与される賞に、どれほどの価値があるのだろうか。

 困惑していたところ、さらに追い打ちをかける。当然、親に訊かれた。 

「これ、誰」

 あまりにも残酷な質問だった。しかも、私の通う高校は男子校。親が不審に思うのももっともだった。

「どどどどど、同級生のHくんだよ。女子高の子と付き合いたいそうで。その話を聞かされたから、Hくんの気持ちになって書いてみた」

 Hについての話は事実だ。しかし、この詩を詠むうえで、Hのことは毛頭意識していなかった。ごまかせただろうか。ごまかせていないのかもしれない。私のNへの気持ちは、断じて恋愛感情などではない。でも、他人からは恋愛感情に見られてしまうのだろうか。


 神から特別な友になりつつあったとはいえ、Nは、私をさらなる奇行に走らせた。私は、中学の時の卒業アルバムからNの顔写真を恐れ多くもコピーし、自室の枕元の壁に2枚貼ったのである。そして寝る前と起きた後、そのNの写真を前に正座し合掌したり、土下座してひれ伏したり、寝る前にはNが住んでいる方角に向かって礼をしたりしていた。そういう意味では、中学3年の頃からあまり変わっていない。でも、自分のなかではそういった行為と「特別な友」は矛盾せず両立していた。自らが目指すべき憧れの極致がNなのであろう。

 家族の目もあるので、私はせいいっぱいのカモフラージュを施した。Nの隣には同級生たち数人の写真も同じように何枚か貼ったうえで、「定期試験で勝つ!」と楷書で書いた紙をあわせて貼った。これが私が思いつく、最大限の不自然解消策だった。



 翌年、つまり高校2年の4月、私は文科系のクラスに進級した。Nは理科系に進級した、はずだった。しかし、現実は違った。誰がどう見ても理科系であるNが文科系を選択してきたことは、私のみならず同級生の誰もが話題にする出来事であった。それほど「大事件」だったのである。


 私は必然的にNと同じクラスになることをひどく喜び、同時にひどく動揺した。喜んだのはいうまでもなく、かつてあれほどにまで崇めていたNが同じクラス、しかも出席番号からしてすぐ前に来るという、夢にも思わなかったことが現実となったからである。落胆したのは、日常的にNに会うことによって、Nが私にとって単なる友に成り下がり、結果、私が自分自身と向き合うのに最も適切な契機を失い、自我が崩壊してしまわないか不安になったからである。そう感じたとき、ひょっとして自分はNに依存しているのではないだろうか、と自己嫌悪に陥った。Nがいなければ、自分は何もできないのではないか、と。Nを精神安定剤としてしか使っていないのではないか、と。しかし、いくら自立しているからといって自己と向き合おうとしない姿勢よりも望ましいことだ、と自分を言い聞かせた。私は百歩譲ってNに依存しているとしても、他の誰よりも厄介な自己と葛藤してきているのである。それは心の中のささやかな誇りでもあった。


 Nが堂々と教室に入り、私の目の前の席に座る。耳殻の後ろへ波打つ真っ黒な髪。つむじとして右回りに描かれるかすかな模様。神から友になったとはいえ、理想像が長い間独り歩きしたNの現実は、あまりにも鮮明すぎて眩惑げんわくさせられた。Nのつむじから目が離れず、その模様に目が回った。


 第一、どうしてNが目の前にいるのか。Nとはこれまでどおり、別々の教室で生活するはずだったのではないか。Nは何を思って文科系に来たのか。目まいがなおってきたと同時に自分自身に苛立ってきた私は、右肩をポンポンと叩いてNを振り返らせた。手にはNの危険な体温が感じられた。これが少し前の自分ならば、私はその体温に失神していたに違いない。Nが無表情でこちらに向くと、私はいきなり本題に入って訊いた。

「きみはどうして文系に来たのさ。きみ自身が選択したんでしょ。きみにとって、この選択は何だったのさ」

「さあ、わからない。選択することは、成るように成るということだよ。成るように成ること」

 答えになっていないようでなっている、なっているようでなっていないような答え方をされ、私は一瞬ドキっとしたのち、苦笑いした。Nはあの梅雨の日のように、目を閉じて小刻みにうなずきながら独り言のように何度もつぶやいている。私の心の中の苛立ちは煙のように消えてしまった。このNという者は、常に人に囲まれているいわゆる人気者であるのだが、本人はそれについてはほとんど無関心である。しかし、無関心であるのは自分の中に独自の世界を創造しているからなのであろう。他の人は気づいていないであろうが、彼は孤独なのだ。どれほど周りに人が集まっていて人気者であっても、そしてどんなにあの朝にざわめきの一構成員となっていたとしても、彼は孤独なのだ。人からどれだけ理系だといわれようと、Nは独自の世界を歩く。しかし孤独という闇では、たとえ自らが向きを決めたとはいえ、その選択は成るように成ってしまう。しかし、彼はその成るように成った結果が仮に意に反していたとしても、決して元に戻らない。それは暗闇の中で自らが主体的に選択した結果であるからである。


 Nがいう、「運命を破壊する」という論理と「選択することは成るように成る」という論理は一見矛盾しているように思える。なぜならば、成るように成るということは運命であるともいえそうだからだ。しかし、運命というものは、自らの選択によらずに成るように成ってしまうことだと私は思う。すなわち、自分以外の外部の要因がレールをある一方向へ敷いてしまうことである。しかしながらNの選択は、先の見通しが全くもってつかなくとも、最も崇高なものとして肯定され、その先が成るように成ってもその選択自体は決して間違っていないとされるものなのであろう。だから、外部の要因によるレールが闇の中にあればそれを察知してぶち壊し、自分自身の選択に身をゆだねる。Nの生きざまとは、こういうものなのではないだろうか。ならば、私がNに惹かれたのはそういう点に対してだったのかもしれない。たとえ私がこのことに気づいていなかったときでも、だ。


 少なくともそういった点から、私のNに対する気持ちは憧れといった次元ではないことが判明してきた。つまり、私がNを神としてみていたことは、明らかな錯覚であった。Nは人間である。それも、自己の内部でとてつもない何かがうごめき、葛藤している人間である。むしろ、周囲の級友たちよりもはるかに人間らしい人間である。Nは超人的な「ヒーロー」ではない。私がかつてあがめていたのは、神格化した観念的・虚像的なNであって、N本人とは全く相容れないものといっても過言ではないのである。


 では、他の友人たちはNのことをどう思っているのだろうか。私のような夢も見ず、Nを神格化したこともない友人ならば、何か別の視点を持っているのかもしれない。私はNと最も親しい仲と思われるSに会いに行った。あの衝撃的な朝にNとのざわめきの一構成員をなしていて、私やNとともに同じ高校に進学した人物である。

「突然だけれどさ、Nっているじゃんか。Nってさ、いったい全体どんなやつなのさ」

「あはは、Nか。分かんねぇ。ホント分からんよな。あいつのことが分かるやつなんているのか?」

「きみはNと一番仲がいいよね。それでも分からないの?」

「分からないな。ただしゃべっているという感じだぜ?」


 Sのその言葉は想定外であり、私を当惑させた。私がこれまで当たり前と思ってきた「最も仲がいい人=最たる理解者」という方程式は、むなしくも崩壊したようである。SはNのことをほとんど何も知らぬままNと親交を深めてきたということになるが、そもそも親交を深めるという表現自体が怪しいものになってきているのは確かである。観念よりもはるかに脆弱ぜいじゃくで空虚な、現実社会における人間関係の構造を端的に見せつけられた私は、ある人と最も仲がいい人がその人の人間性を最も知っているとは限らないこと、ゆえに互いの心の琴線に触れ合いながら人間性を涵養かんようしていく手段としては最も仲がいい人以外にも存在する可能性が潜んでいることに気づかされた。外的な仲のよさとその人との内的な親密性は比例しない。Nの場合、無相関であるとさえいえるだろう。


 おそらく、Nにとって親密な人というのは存在しないと私は思う。だから、Nにとって友達は存在しないのだ。そうすると、私はNの友達ではないことになる。では、Nは私にとってどんな人間なのか。思うにNは、友達ではないからといって、完全に他人をシャットダウンしているのではなく、他人とのやりとりの質の如何いかんによって、自らに取り入れるものがあり、それに対して自ら発するものもあるのだろう。


 いつも同級生たちに囲まれているNは、私の学年の中の人気者であるが、同時に、ある意味において孤独者でもある。人に囲まれていながらの孤独というのは、一見するとテレビに出てくる有名人が感じるようなものと同一視してしまいがちであるが、Nの孤独はそれとは異質である。つまり、Nにとって孤独とは自己の内的存在と向き合うための機会なのではないだろうか。そう考えたとき、孤独なNは常に自己を意識する。それは、ある対象に対して夢中になることで発生する、自己を失ってしまうことの恐ろしさを自覚している証だと思う。私が観念としてのNを設定して崇拝していたという行動は、全くもってNと正反対のことであると改めて実証されたとき、我ながら恥ずかしい気分になった。


 私はNのことをひたすら考えながら、少しずつNの人間性について理解を進めていた。神から特別な友への歩みを、着実に進めていたつもりだった。しかし、現実の私の生活そのものは、高校2年になって一転した。

 頭では、Nは人間だとわかっている。それなのに、朝から夕方までずっとNが目の前にいて、N独特の甘いにおいも直接私の目と鼻、そして脳を直接攻撃し続ける。Nは人間になったはずなのに、かつてと同じではないか。私の感覚は麻痺した。幸せを通り越して、ある意味の苦痛。昼食の弁当が喉を通らなくなり、食べ終わるのが午後の授業の直前までかかったり、さらには食べ終わることができず、残してしまったりすることが多々あった。それだけでなく、自宅でとる夕食すら、喉を通らなくなっていた。その傾向は、4月から5月頃まで続いてしまった。その結果、望んでもいないのに体重がガタ落ちした。 

 席が前後で、Nから逃れることのできない日常のなかで、唯一距離をとることができる機会が「体育」であった、はずだった。結果的には、こともあろうか、体育でもNとは背の順で前後になり、年間の「ペア」を組むことになってしまった。私は、この上ない嬉しさと悲しさ・申し訳なさに襲われ続けることになる。

背は似ているとはいっても、運動神経は対照的。Nは学業面でも上位でありながら、体育の時間にも、クラスのやんちゃグループからも一目置かれるほどの活躍ぶりを見せる。私は学業面では他の追随を許さない地位を確立していたが、体育の時間は空気であった。

そんな私がNとペアを組むことで、Nの足を引っ張ってしまう。許されざることであった。しかしながら、怖い体育教師に異議を申し立てることなど、とてもできなかった。Nとペアになる確率がとても低かったのに、よりによってどうしてドンピシャなのか。あまりのその奇跡的かつ残酷な確率に対して、私は大いに困惑した。張り詰めたばかりの緊張の糸を少しでも弛緩させて、息抜きできる時間のはずだった体育ですら、緊張を強いられ続けた。というよりむしろ、かえって教室での授業よりもあまりにも刺激の強い時間こそ、体育であった。

ボールの投げ合い。Nが触ったボールを私がNに向かって投げているなんて信じられなかった。そのうえ、ノーコンな私が見当違いな方向に投げて、Nに取りに行かせてしまうたびに、申し訳なさとこの上ない恥ずかしさに胸がつまった。

 夏、体育館でのマット運動。ウォーミングアップとして、ペアで柔軟体操をすることになった。蒸し暑い体育館の中、ペアが背中を押す。背中に触る前、本人に気づかれないように合掌して、人間でありながら神々しい背中に触れた。蒸し暑い体育館のなかで、Nのにおいもいっそう強くなっていて、私はこのまま死んでもいいと思った。そして、半袖の体操着1枚しか身にまとっていないNに、 こんな私が素手で直接触れてしまうという大罪。特別な友になったはずのNが、しばしば神へと逆戻りする。

 そして柔道。Nに投げ飛ばされる快楽と、Nを投げ飛ばしてしまう大罪。天国と地獄が混在する時間だった。寝技に至っては、Nの吐息が、体温が、においが、私のすべてを溶かしてしまった。


 これほどNに翻弄ほんろうされ、苦しみながらも、私はNを求め続けていた。修学旅行の班分けをする時間の直前の休み時間に、ぼそっとNに尋ねた。

「メンバー……一緒になって……いい?」

 Nは、「うん、いいよ」と答えてくれた。私は内心狂喜乱舞した。中学3年の修学旅行では、あのフェリーのデッキの上でしかNを見かけることができなかった。Nと同じ班になりたかった。でも、悲劇は起きた。

 いざ、班分けのメンバー決め。担任の「はい、じゃあ決めて」という発言の直後、クラスの中でのやんちゃグループが、「N~! 俺らと組もうぜー!」とぞろぞろと来た。Nとそのグループで班の定員はいっぱいに。Nは抵抗もなく、でも嬉しそうでもなく、言われるがまま、引き受けていた。一方、あぶれてしまった私は、同じようにあぶれてしまった人たちとの寄せ集めでグループを作ることになり、班長を引き受けた。Nは、副級長のため、自動的に2班の班長になっていた。

 ところが、N以外やんちゃで低俗な生徒で占める2班が、うまく動くはずがなかった。Nはやんちゃグループともうまく渡り合えるが、それはNの高潔な人格によるものであって、N自身はやんちゃをしたいわけでもない。修学旅行前にもかかわらず、2班は次第に班の中で軋轢あつれきが生じていった。その様子は担任ですらも気づいており、2班は担任の采配のもと、メンバーを入れ替えることになった。そこに私が入る余地はなかった。

 修学旅行先は北海道だった。班に分かれているとはいえ、自由時間を除き、常時班別の行動が求められたわけでもなかったので、私は自分の班のことをないがしろにして、ひたすらNの近くにいたかった。

 結果的には、中学のときよりもはるかにNの近くにいることができた。往路の飛行機では、Nと隣の席になった。居眠りするNの寝顔を、チラチラと見た。小樽おたるの集合写真では、いきなりNの隣に座ることができた。そのほかにも、夕食の席で、遠くに座るNをカニ越しに見たり、有珠山うすざんを借景としたNを拝んだり、さらには班長会議でNと打ち合わせができたり。フェリーのデッキの上で、夕陽に照らされたNを遠目に見て、それだけを糧にしていた頃と比べると、あまりにも贅沢であった。ふとしたときに、自分がいかに恵まれているかを実感した。

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神と友のはざま 吉寺横家 @nobigon

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