月影白く

此木晶(しょう)

月影白く


 珍しく寝付けなかった訳だ。

 それが、やけに外が静か過ぎるせいなのか、それとも昼間に寝すぎたせいなのか。まあ、普段昼過ぎまで寝ていても夜になればベッドに入って二十秒かからずに眠りにつく自信があるので、多分前者が原因だろう。壁を擦り抜けて部屋の中に浸み込んで来る寒さに身を震わせながら、窓の外を窺うと無数の白いものがゆっくりとゆっくりと空から舞い降りていた。確かに耳をすませば、静寂の底の方にパサリパサリと独特の音が流れている。

「もうそういう時期か……」

 雪が降る理由にもならない呟きをもらしていた。

 酷く浮かれた気分になる。それは、きっと空が明るいからだろうか。それとも、雪と一緒に月の光までもが降っている、あるいは雪が月光の尾を引き連れて流れているからだろうか。

 手早く外着に着替え、こっそり外に出ると既に足首が埋まるくらいにまで雪が積もっていた。道理で静過ぎるはずだ。と、納得する。雑多な騒音は全て雪が吸い取ってしまった訳だ。

 そう、雪は静寂を愛するが故に、色んな音を吸収する。だから、雪が溶けるといつも以上に喧しいのは、雪と一緒に吸い込んだ騒音が溶け出すからだ、と言ったのは俺の親父だ。かなりファンタジーがかった物言いだが、これだけは俺も本当にそう思う。雪の夜の静寂が過ぎるのはきっと……。

 だから月が出ているのもそんな理由。

 雪は止む気配はなく、舞い降りてきているけれど、雲は一つも見当たらず、替わりに月が煌々と空全体を覆っている。まるで月の欠片が落ちてきているような、そんな錯覚さえ起こしてしまう。そう、雪は静寂を愛するから月の冷たく熱のない白い光を望んで、それに月が応えた。

 だから世界はこんなにも静かだ。

 そういう訳で、夜の散歩と洒落込もう。もう時間は真夜中をとうに過ぎているけれど、月明かりと雪明り二つの熱のない光に照らされてこんなにも世界は明るい。家に引っ込んでいるなんて勿体無さ過ぎる。

 招かれるように、誘われるように、一歩踏み出した。

 サクッという結晶が砕ける音が生まれた傍から吸い込まれる。吐き出した息は白に染まり、降りてくる白の間を登っていく。次々に光に迎えられ、空の白に混じっていく。

 何処か現実離れして、何処か夢の中の出来事のようで、浮かれださずにいられない。チラリと一瞬この光景を見せてやりたいなと幼馴染の顔が浮かんだけれど、アイツ寝起き悪いし、まあいいかと思いなおす。次があったら誘うとしよう。次があるかどうかは分からない訳だけど。内緒にしておけば、問題ないだろう、きっと。

 サクサクサクと淡い音を積み足しながら、夜を歩く。最近のお気に入り『アンダー ザ ムーン』ってバンドの『ツキノウタ』を口ずさみながらそぞろ歩く。

 そう目的などありはしない。ただ気の向くままに、思いつつままに、馴染んだ街の見知らぬ姿を眺めてまわっている。それだけだ。ただ、確かに浮かれている。それが月に迷わされてなのか、雪に惑わされたのかは分からないのだけれど。こんな日にはそれも悪くないと思う訳だ。

 そんなこんなで、肩や頭に雪が積もるのも構わず歩き続ける。たまに払い落としてはいるのだけど、暫くするとさして激しく降っている訳でもないのに積もっている。

 不思議なもんだ。不思議と言えば吐く息も真っ白なのに何故だか寒いと感じない。普通なら三十分もこんな場所にいれば指先は悴んで感覚をなくすし、顔も強張ってどうしようもなくなるはずなのだけど、寧ろほんのりと僅かにだけど暖かいような気さえするのはどうしてだろう。まるで、夢の中のような気分。まあ、浮かれているのだから大して気にしていない訳だけど。

 とある四つ辻で不意に我に返った。

 誰かがいたという訳じゃない。ただ、何かがいた。視界の端から端までずっと続いている。音はない。気配もしない。ただ、雪の白、月光の白に染められて影が列を作っていた。

 小さな影がはしゃぐように傍へ駆けてくる。後をついているのは子犬だろうか。足の周りをグルグルと回る。母親らしき影が慌てて迎えに来る。軽く会釈をされた。俺も手を振って答える。影は千差万別子供や大人の影以外にも、老人や赤子らしきものもいる。

 皆粛々と基本列を乱す事無く静寂の元に歩みを刻む。雪の落ちる音だけを道連れに行列は続く。

 どれだけそれを見送っていたか、知らず息を詰めていた事に気づいた。ゆっくりと吐く。白く変わる視界に不意に寒さを思い出した。シンシンと浸み込んで来る寒さに体を震わせると不意に『戻るか』と思った。最後まで、行列が途絶えてしまうまで見ていたい気はすし、正直を言えばもっと歩いていたい。

 けれど、まあ。気付いてしまった訳だ。あの行列はゆくべき者達の行進だと。こんな夜だから何が起きたって、何が見えたって不思議じゃない。でも、その何が起きても不思議じゃない世界の中できっと俺だけが、イレギュラー。異邦人。つまりは招かねざる客だ。

 夢のようだとは思っていたけど、どうやら本当にここは夢の中だったらしい。それも、世界が夢見る大切な夢。だから。

 何かの拍子に迷い込んでしまったものがいつまでもいてよい場所じゃない。夢から覚めてしまう前に退散するのが正解だ。ゆっくり慎重に、これ以上何かを乱してしまわないように踵を返す。

 月を見上げて考えても、どうすれば帰れるのかなんて見当もつかないけれど、取り敢えずは家に戻ろう。それからどうしようか考えようと思う。だから、折角だから。その帰り道くらいはもう少しこの白い世界を楽しんでいこうと思う訳だ。きっとそれくらいは許されるはずだ。たとえ迷い込んでしまった身だとしても。

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月影白く 此木晶(しょう) @syou2022

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