第10話 変わらないあなた
日は沈み、王都には夜の帳が降りる。
眼下に広がる町には明かりが灯り、日中とは異なる様相を呈している。
酒を片手に仲間と盛り上がる者、食事を済ませ明日のために眠りにつく者。
そんな彼らを守るのが、「勇者」である私の使命だ。
この場所にくると、ついついそんな事を考えてしまう。
ここは、町を見下ろすことができる高台。
どうして真夜中に一人、こんな所に突っ立っているのかというと、ある人物に呼び出されたからだ。
「オリビア」
その声に私は振り返る。
「悪い、待たせた」
約束の時刻よりも少し遅れてきた彼は、申し訳なさそうな顔をしている。
私を呼び出したのは、他でもない、ライトだ。
「そのくらい気にしなくていいわよ。なんせ、こっちは十年待ってたんだし。誤差よ誤差」
そう言うと、彼はさらに困ったような顔をして、
「……すまない」
と言葉を付け加えた。
その顔を見て、私は思わず「くすくすっ」と笑ってしまう。
どうやら少し、からかい過ぎたみたいだ。
「?」
笑う私を見て、彼は疑問符を浮かべている。
懐かしいやり取りだ。
ライトにかまって欲しかった幼き日の私は、わざと怒ったりしてみせて、彼が必死に機嫌を取ろうとする所を楽しんでいた。
最後には決まって、私が彼の慌てる姿に笑ってしまい、ライトは意味が分からないといった様子で私を見つめるのだ。
「ふふっ――、なんでもないわよ。それにしても、よくノアを説得できたわね。私と二人きりだなんて、あの子絶対許さないでしょ?」
こちらに歩んでくるライトに、疑問を投げかける。
「そうでもない。確かに、ノアは少しわがままな所もあるが、きちんと話せば分かってくれる。いい子だ」
それを聞いて、私は少し驚く。
「ふぅん、意外だわ。てっきり、もっと依存されてるんだと思ってた」
私は正直な感想を口にする。
「依存……か。それは少し耳が痛いな。これに関しては、俺の責任である所が大きい。ノアは今、その存在理由の多くを俺に求めている。だから、他の生きる理由、それこそ、好きな男でもできればだいぶ変わってくると思うんだがな」
その話を聞いて、私は絶句する。
「……ねえ、ライトってノアのことどう思ってる?」
「ノアのこと? そうだな……、一言で言えば、妹みたいなものか」
ライトはあっさりとそう言ってのける。
こいつ、マジか……。
この
私は、ライトのあんまりな言葉に思わずため息をつく。
「嘘でしょ? 六年間一緒にいてこれ? しかもノアって、めちゃくちゃあからさまにアピールしてたわよね? これには少しばかり同情するわ……」
もし、これがチャラついた男の言葉なら「妹みたいなもの(性欲が無いとは言ってない)」として疑ってかかるが、ライトの場合本当に言葉通りの意味でしかないのだろう。
私の幼馴染は、この十年で鈍感さにも磨きがかかっているらしかった。
そんなことを考えながら、私は逸らしていた目線を再びライトに向ける。
周囲には誰もいない。
星がよく見える夜空の下、私たちは二人きりで向かい合っていた。
すると、ライトが真剣な表情をつくる。
雰囲気が変わった。
「オリビア。君に、どうしても伝えたいことがある」
「伝えたい、こと――」
それを聞いた瞬間、私の心臓が早鐘を打つ。
正直なところ、呼び出されたときから気が気じゃなかった。
十年ぶりの再会、夜景をバックに、二人きり。
こんなの、期待するなという方が無理だ。
私だって、乙女の一人。
本で描かれるラブストーリーのような告白を、何度も妄想してきた。
そして、その相手はいつも――
ドクン、ドクン、ドクン。
血流は速く、頬は上気する。
「オリビア――」
ライトが私に伝えたいこと、それは――
「約束を破って、すまなかった」
「――――え?」
期待とは裏腹に、目の前には頭を下げて深々と謝るライトの姿。
何度も妄想した告白シーンとは、似ても似つかない光景。
残念ながら、ここからラブストーリーが始まることはなさそうだ。
「えっと……」
予想外の展開に、私は戸惑う。
「約束」とはなんのことだろう?
「もしかして、ノアとの同棲の話をしてる? それなら、別にもう気にしなくていいわよ。ライトの気持ちも分かったし。それに、これからは私も――」
「そうじゃない」
私の言葉を遮って、ライトが否定を口にする。
「そうじゃない?」
「ああ。俺が言っているのは、そのことではない」
そう切り出すと、ライトは言葉を続ける。
「今日、生徒会室で話したときからずっと考えていた。どうして君が、そんなにも怒っているのかを。答えは初めからでていたようなものなのに、俺が未熟なせいで、気づいた時にはもう日が暮れてしまっていた」
突如、そんなことを言い出すライト。
「いや、だから私はもう何も怒ってなんか――」
「嘘をつくな」
ライトがまた、私の言葉を遮る。
「うそって……」
「オリビア。君は優しいから、俺が破った約束を忘れようとしてくれている。そうだろ?」
その言葉に、私の心がざわつき始める。
ライトの言っていることは、意味不明だ。
だって私は、ライトに感謝こそすれど怒ってなんかいない。
ライトは、私のピンチに王子様のように駆けつけて、助けてくれた。
宣言通り、強くなって戻ってきてくれた。
それが、全てのはず。
なのにどうして、私はこれ以上、この話を続けたくないと感じてしまうのだろうか。
「考えてみれば当然のことだった。何故最初に思い至らなかったのか、己の未熟さが嫌になる」
約束なんて、そんなものをした記憶はない。
今語っていることは、全部ライトの勘違い。
そのはずなのに、心の奥底で、嫌なざわめきが強くなる。
「だって俺は、君とのあの日の約束を、守れなかったのだから」
「――っ」
ライトの言葉に、息が詰まる。
これ以上は、聞いてはいけない。
聞いては、いけない――
「オリビア」
狼狽える私を無視して、ライトは言葉を続ける。
そして、
「十年前のあの日。君が、俺と一緒にいたいと言ってくれたあの日。『一緒に逃げる』と約束したのに、守れなくてすまなかった」
そう言い放った。
「そんな……、こと……」
違う。
怒ってなんかいない。
怒っていい、はずがない。
だって、そうでしょう?
私は勇者で、ライトはただの人。
それなのに、こんな非現実的な子供の夢を、彼のせいにしてしまうなんて。
それは、あまりにも――
残酷すぎるから。
「一緒に逃げると言ったのに、約束を果たせなかった」
「だってそれは、仕方がないことで……」
「結局君を、戦いの場へと進ませてしまった」
「それは、私が、『勇者』だからで……」
「あまつさえ、強くなるという理由で、君を一人にしてしまった」
「それ……は……」
言葉は詰まり、ふらふらと足が後ずさる。
早く、早く何かを言い返さないと。
だって、ライトは、何も悪く――
きゅっ。
瞬間、体が温かいものに包まれる。
鍛えられた体に、懐かしい香り。
「オリビア」
「――ぅあ」
視界が、ぼやける。
私を抱きしめたライトは、優しい声で言う。
「俺が悪かった。俺が悪かったんだ。だから、昔みたいに、胸を張って、俺を怒れよ」
それを聞いた時、私はもうだめだった。
「う゛、う゛わぁーーー」
諦めていた、忘れようとしていた思いが、涙とともにあふれ出す。
「う゛っ、ライトと……二人で、ずっと、幸せに、暮らしていたかったっ!」
「ああ」
「『勇者』になんか、な゛りたくな゛がったっ!」
「そうか」
「強くなるとか、どうでもいいからっ、私と……いっしょにいてほしかった!!」
「そうだな」
「私を……、ひとりにしないでほしかったっ!!」
私は、ライトの胸で大泣きしながら、理不尽でしかない文句を彼に浴びせ続ける。
「オリビア、ごめんな」
その間、彼はずっと相槌をうちながら、泣きじゃくる私の頭を撫で続けていた。
*
それから、どれほど時間が経っただろう。
数時間かもしれないし、数十分かもしれない。
とにかく、ライトの胸で泣きまくった私は、今ライトの膝の上に頭をのせて横になっている。
いわゆる、膝枕というやつだ。
当然、頭もなでさせている。
「オリビア、落ち着いたか?」
私の頭を撫でながら、ライトが問いかける。
「そうね。おかげさまで。でも、私がいいと言うまで手を止めたらダメよ。それは、私をほったらかしにしていた罰なんだから」
「そうか」
彼は短く答えると、私の命令通り黙って頭を撫で続ける。
頭に触れる、ゴツゴツとした手の感触。
私が「勇者」になってから、周囲の世界は大きく変わってしまった。
否、気づかぬうちに私自身も、人類が求める勇者であろうと変化していた。
「勇者」に選ばれるとは、そういうことだ。
でも、そんな中でも、変わらないでいてくれたものが一つだけある。
漸く、それに気づいた。
「ねえ、ライト。ライトは、私――『勇者』が必要?」
私の問いかけに、頭を撫でていた手が止まる。
「……オリビアが強力な手札であるのは事実だ。だが、俺は――」
「戦うよ」
彼の言葉を遮って、私は力強く断言する。
「私は、戦う」
ライトの膝の上で、彼の顔を見上げながらその頬にそっと手を伸ばす。
彼の瞳に、私の姿が写る。
もし、昔のライトを知っている人が今の彼を見たとすれば、きっと彼のことを別人だと感じるのだろう。
でも、私にとってはそうじゃない。
ライトは、ライトだけは、昔と変わらず
そんなあなたのために、私は剣を振りたい。
だから――
「私が、ライトの”勇者”になる」
加護を得ても、十年離れていても、変わらないでいてくれた。
あなたのことが、大好きだから。
「だからライト。これからは私も頼って。約束よ? 今度は、破っちゃダメなんだから」
私は微笑みかける。
それを聞いたライトは、その頬に伸ばした私の手を掴む。
そして――
「誓おう。君との約束は、二度と破らない。……怒ったオリビアは、怖いからな」
そう答えたのだった。
鬱エロゲ世界に生きる純愛厨の俺、女勇者の貞操を守るため魔王を潰します KYスナイパー @nonono117
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