深夜の散歩に出るルームメイトを尾行して出会った可愛い魔王と闇夜のデートをします

兵藤晴佳

第1話


 ファーストフードやコンビニエンスストアのチェーン店が、世界中のどこでも見られる時代になった。

 ヨーロッパの隅っこにある、この小さな国も例外じゃないが、昔ながらの全寮制の高校もないわけじゃない。

 そんな寮には生徒たちの寝泊まりする部屋があって、そこにはベッドが2つずつある。

 消灯時間が近づくと僕たちは各々、自分のベッドに腰かけて無駄口を叩きながら、寮監を務める教員の巡回を待つのだった。

「で、学校には慣れたかい? おのぼりさん」

 正面にいるパジャマ姿の色男は、澄ました顔で僕をからかう。

「おのぼりさんって言うな、フラン・ランズバイデンっていう立派な名前がある」

 ムキになって言い返しはしたが、このイヤミな奴は、決して嫌いじゃない。

 この辺境の国の、更に隅っこから出てきた田舎者に、馴れ馴れしくはあるが気さくに接してくれる、得難い友人だ。

 名前をダーム・モールダレといって、古い家柄の貴族だという。

「いや、別に、この伝統と格式ある名門校には珍しい田舎者だとか、家系をさかのぼってみたら、伝説の魔王を退治した勇者が先祖にいたということが分かったにすぎないとか、そういう意味じゃないんだ」

 じゃあ、どういう意味なんだろう。

 分かるのは、悪気がないということだけだが、最近、分からないことがひとつ増えた。

 どうやら、夜中にどこかへ抜け出しているらしいのだ。

 知らん顔をしているつもりだったが、疲れきった顔で授業を受け、居眠りしては先生に叱られているのを見ていると、何だか放っておけなかった。

 気が付くと、僕は、とんでもない行動に出てしまっていたのだった。


 ……尾行なんて、ハイリスクすぎる。


 そう思いながらも、ダームが出ていったあとで慌てて服を着替え、後を追ったのだった。

 冬の深夜の、まだ風が冷たい道を、まるで散歩でもするかのようにふわりふわりと歩くダームが向かう先には、世界チェーンのコンビニがある。

 小腹が減ったのかと思ったが、そこは素通りした。

 たどりついたのは、街外れにある古い屋敷だった。

 格子に幻獣の透かしのある立派な門の奥へとふらふら入っていったのを追うことができなかったのは、背筋の凍るような何かを感じたからだ。

 ただ、その場に立ち尽くすばかりだった僕の前に、ダームはすぐに戻ってきた。

 ずいぶんとしょんぼりしていたが、目が合うなり、頬をほころばせて言ったものだ。

「親友よ! 頼みがある!」


「……で、どうだった?」

 1時間目の授業が終わった後、教室で隣の席から尋ねてきたダームは、僕が差し出した手を固く握り返した。

 その手を振りほどいて請求したのは、夕べ立て替えたお金だった。

 しぶしぶ支払ったダームは、意外そうにつぶやいた。

「意外だな……彼女、コンビニスイーツが好きだったとは」

「珍しいんだろ、ああいうところでああいう生活してると……って、そういう問題じゃないだろ」

 僕は声を潜めて追及した。

 あの屋敷に向かって深夜の散歩をさせられる羽目になったことのほうが、よほど意外だった。

 だが、ダームは人の話を半分しか聞かない。

 手を合わせて僕を拝むばかりだった。。

「感謝してるんだ……こんなこと続けてたら、身体が持たない」

 答えるこっちも、ため息しか出なかった。

「だろうね……魔王のもとに毎晩、通うなんて」 

 僕が頼まれたのは、とんでもないことだったのだ。

 まさか、大昔の魔法使いの血を引くルームメイトが、実家で探し出した呪術の本で、あの屋敷の中に魔界との門を開いていようとは。

 そこで出会った魔王に恋して、思いを遂げるためには100日の間、真夜中の訪問を課せられるとは。

 そして僕は、わずか数日で力尽きた根性なしのダームのために、ひと肌脱ごうとしている。

 

 ……お人よしにも限度というものがある。


 分かってはいるのだが、どうすることもできないのもまた、僕という人間だった。

 それでも夕べ、あの門の前まで来たところで足が止まった。

 勇気を振り絞って踏み込んでみた広い庭には、水の枯れた噴水や、今にも翼を広げて動き出しそうなガーゴイル像などが立ち並んでいる。

 その間を抜けてたどりついた、大きな玄関の大きな扉を小さな手で叩くと、僕を待っていたかのように音もなく開いた。

 中に入ると、真っ暗なホールにぼんやりと浮かび上がった燭台を手に、白いドレスの女性が僕を差し招いた。

「こちらへ」

 大きな階段を登って通されたのは、ロウソクがぽつぽつと灯された広間だった。

 その奥に、人影があった。

 座っているのは、椅子というより玉座というのがふさわしい。

 近づいてみると、黒い夜会服をまとった長い黒髪の女性だった。

 年のころは20歳をちょっと過ぎたくらいだろうか。

 その微笑みは、ぞくっと来るぐらい美しかった。

「よくいらっしゃいました」

 すかさず差し出したのが、途中にあったコンビニで買ったカップケーキ「恋する木曜日のなめらかプディング」だったのだ。

 もともと僕は女の子と話すのが苦手だ。

 そのうえ、相手は魔王。

 なるべくしゃべらずに間を持たせようとして考えついたのが、懐の許す限りで手土産を持って行くことだった。

 そこまで話したところで、ダームは再び、僕の手を握る。

「必要経費はいくらでも払う。身代わりを隠して、あの美しい魔王をうまく手なずけてくれ」

 手なずけるも何も。

 初めて会ったところで、僕の正体はバレていた。

 美しい魔王は、笑顔で命じたものだ。

「明日も手土産を持ってまいれ。絶やせば、この無礼の罰として、命は無いものと思うがよい」


 それから、どれほどあの屋敷に通ったことだろうか。

 深夜の散歩から解放されたダームは健康を取り戻し、代わりに疲れきった僕は、居眠りしては先生に叱られるようになった。

 それでも僕は、コンビニで買ったスイーツを、美しい魔王のもとに届けるのをやめなかった。

 ダームへの義理立てとか、そういうものではない。

 暗闇の中で凛として待っていた魔王の面持ちは、傍に控えていた大勢の女官たちを下がらせて、僕と差し向かいでたいして高価でもないコンビニスイーツを前にすると、可愛らしくほころぶ。

 それを見るのが、楽しみになっていたのだ。 

 そんな僕に気づいたのか、ある晩、魔王は僕に尋ねた。

「私の顔に、何かついているか? フラン」

「いえ……クリームが」

 差し向かいで食べていたその日のスイーツは、「初恋の味の木曜日とろ~りエクレア」だった。

 唇のクリームをちろっと舐めた舌は、見ているのが恥ずかしくなるほど色っぽかった。

 うつむいたところじっと見つめる魔王に気づいて、僕は縮み上がった。

「……何か?」

「動くな」

 しなやかな白い指が、僕の喉元に伸びる。

 殺される、と思ったとき、顎がついと持ち上げられた。

「え……」

 目の前に、きれいな唇が迫る。

 思わずのけぞった僕は、椅子と一緒に後ろへ倒れた。

 魔王の声が、冷たく響いた。

「どういうつもりだ?」 

「くくくクリームですよねクリーム、唇についてました? あはははは……」

 自分でも白々しいと思ったところで、身体が宙に浮かぶ。

 暗闇で見えないくらい高い天井に叩きつけられたかと思うと、もの凄い力で張り付けられた。

 怒りに満ちた魔王の声が、広間に響き渡った。

「聞かせてもらおう……その命を捨ててまで、女に恥をかかせたわけを」

 死にたくない、と思う前に、胸が痛んだ。

 魔王の声が、なんとも言えないくらい悲しく聞こえたのだ。

 どうせ死ぬんならと思って、僕はダームとの約束を洗いざらいしゃべった。

 これ以上、話すことはないというくらい吐いた僕は、ようやくのことで天井から解放された。

 あとは、真っ逆さまに落ちるだけだ。


 ……意外と、あっけない人生だったな。


 そう思ったとき、僕は魔王の柔らかい胸に顔を埋めて抱きとめられていた。

 甘い吐息が、耳元で囁く。

「今宵は興が覚めた……構わぬ、待てば待つほど愉しみは豊かになるもの」

 生まれて初めての恋だった。

 

 魔王とこんな関係になってしまったことを、僕はダームに隠してはおけなかった。

 僕は放課後、校舎裏の人のやってこない場所で、魔王と両想いになったことを打ち明けようとした。

 だが、魔王とのキスを拒んだあたりまで話したときだった。

「いい判断だったよ! 魔王とキスすると、寿命を吸い取られるんだ」

 そこんとこ気を付けて、というところで話がオチて、僕の懺悔は中途半端なままで済まされた。

 代わりに渡されたのは、一枚の紙きれだ。

 それは、高校生には分不相応な額面の小切手だった。

「これ……受け取れないよ」

 僕が突っ返そうとすると、ダームはまた、手を合わせて僕を拝んだ。

「いや、自分でも、どうしていいか……そう、これからの手土産代だと思ってさ」

 これが夕べまでの僕だったら、平身低頭、小切手を引き取ってもらっていたことだろう。

 だが、そんな当たり前のことが、うしろめたい。

 気まずい思いで、僕たちは同じ寮へ別々に帰ったが、どっちみち、同じ部屋で顔を会わせることになる。

 その晩、ダームが健やかな寝息を立てはじめたところで、ほっとすることができた。

 僕はいつものとおり、コンビニでスイーツを買って、魔王のもとへ向かう。

 今日は、「ちょっとほろ苦い紅茶味のスイートポテト」だ。

 差し向かいで食べながら、魔王は照れ臭そうに微笑む。

 ダームとの気まずさで沈んだ気分が、ちょっと軽くなった。

 そこで魔王が、遠慮がちに囁いた。

「フラン……?」

 つややかな唇が差し出される。

 うっとりと見とれて、つい唇を重ねそうになったが、はたと思いとどまった。

 魔王が寂しげに、顔を背ける。

「そうか……知っているのだな? 私との口づけが、命を縮めると」

「いえ、そんなわけじゃ」

 ダームのことを考えはした。

 恋の身代わりのこと。

 好きな相手を横取りしかかっていること。

 それを知らないダームが、自分でも始末できないほどの借りを感じていること。

 でも、寿命を吸い取られるのを知らされたことは、頭になかった。

 魔王に一切合切を告げて、誤解を解こうとしたときだった。

 思わぬ答えが返ってきた。

「我らはもう、会わぬほうがよかろう」

 魔王の傍に女官たちが戻ってきて、僕は屋敷から追い返された。


 次の日、ダームは僕と魔王の間にあったことを、何ひとつ聞こうとはしなかった。

 だから、僕も不首尾の報告はしなかったが、いつまでも黙っているわけにはいかない。

 しかも、預かった(もらったつもりはない)小切手は、まだ手元にある。

 夜中になると、僕はこっそり部屋を出る。

 万が一、ダームが目を覚ましたときに、僕がベッドに寝ていたりすると、困ったことになるからだ。

 何のあてもなく、深夜の散歩をするのは空しかった。

「寒……」

 ただ、冷たい早春の空気だけが鼻をくすぐる。

 思わずくしゃみをしたところで、あのコンビニが目についた。

 もう用はないはずなのに、つい、足が向いてしまうのがつらかった。

 顔なじみになった店長さんが、陽気に声をかける。

「おや、今夜も寮を抜け出して……バレないといいがね」

 そこで、店の外で車が止まる音がした。

 コンビニのロゴが入ったワゴンだ。

 運転していた若い人が報告に来る。

「深夜移動販売、上がりますんで」

 おお、お疲れ、と店長さんが答えたところで、僕の頭の中に閃くものがあった。

「あの……これから、お願いできませんか? 移動販売……これで!」

 差し出した小切手を、店長さんは電光石火の早業で受け取る。

「いつ? どちらまで?」

「今すぐです!」

 僕の勢いに気おされたのか、そんな無茶な、とでも言いそうな顔をした店長は言葉を飲み込むと、さっき帰ったバイトに、慌てて電話を始めた。


 その足で魔王の屋敷へ向かうと、門は閉まっていた。

 よじ登りにかかると、何かが足に噛みつく。

「痛っ……!」

 見れば、格子の透かしの幻獣が、牙を立てて靴に食らいついていた。

 構わず、力任せに足を引き抜く。

「痛く……ないっ……!」

 本当は、気が遠くなるほど痛かった。

 幻獣に靴を食わせておいて、門の向こうへと落ちるように飛び降りると、さっき噛まれた足に激痛が走った。

「この程度で……!」

 歩こうと思ったが、立ち上がることもできない。

 膝で這うようにして、屋敷を目指した。

 歩いても結構ある距離が、さらに遠く感じられた。

 どれくらい経っただろうか、どうにか屋敷の扉にたどり着いたときには、もう、意識は朦朧としていた。

「ごめんください……」

 扉にしがみついて、拳で叩く。

 大した音は出ない。

 渾身の力で叩き続けていると、ようやく、白いドレスの女官が姿を現した。

 目が合ったところで扉を閉められかかったが、僕は苦しい息の下で、用件を告げた。

「魔王様に……会わせてください」

 そこで足の怪我に気づいたのか、女官はらしからぬ悲鳴を上げて、屋敷の奥へと姿を消した。

 やがて、大勢の女官と、どこにいたのか異形の召使たちに抱えられた僕は広間の魔王の前に横たえられた。

 蝋燭のぼんやりした光の中に浮かび上がっていたのは、目のやり場にも困るほどに透けている、ネグリジェ姿の魔王だった。

 顔を背けようと思ったが、首も動かない。

 女官たちや召使たちを下がらせた魔王は、低い声で呪文を唱えると、僕の足に触れる。

 痛みが引くと共に、頭の中もはっきりしてくる。

 ようやくのことで、僕は裸同然の魔王から顔を背けることができたが、柔らかい感触の胸の中に抱きすくめられた。

「バカ者……なにをしに参った!」

 魔王の泣き顔を見上げながら、僕は深夜のデートを申し込む。

「ちょっとそこまで、歩きませんか?」


 ニットのセーターにラフなパンツルックに着替えた魔王は、どう見ても普通のお姉さんだ。

 春といえどもまだ冷え切っている夜の空気の中、そんな魔王を誘っていったのは、小さな公園だった。

 そこには、店長が移動販売のコンビニカーで待っていた。

「いらっしゃい……きれいなお姉さん」

 照れ臭そうにうつむく魔王を、簡易テーブルに着かせる。

 そこで僕が差し出したのは、日本趣味満載の「春を待つ旬の野菜のほっこり弁当」だった。

 女性の夜食にも優しい、寮が少なくてあっさりした味わいが売り物だ。

 魔王は、いつもの口調で囁いた。

「気が利くではないか……夜中に起こされて、小腹が減っておったのだ」 

 僕でもうまく使えない日本の箸を器用に使いながら、ライスを口に運んだ魔王は顔をほころばせた。

「うまい……生まれてこのかた、かようなものは食したことがない!」

 いった何歳なんだろうという疑問は、この際、脇にうっちゃっておく。

 弁当を食べ終わると、僕たちは再び歩きだした。

 そろそろ、オリオン座が西に傾き始めていた。

 代わりに、獅子座が東の空に半身を現わしている。

 それを見上げながら、魔王は言った。

「楽しかったぞ……今日まで」

「今夜……じゃなくて?」

 聞き返す僕を、魔王は訝しむ。

「知らなんだのか? お前が私と会うてから98日目……ダームとやらが参ってから、99日目よ」

 あっと思った。

 明日で、100日目だ。

 ダームと交代しなければならない。

 だが、ここで聞かされたのは、思わぬ言葉だった。

「あやつが開きおった魔界の門は、100日しか開かんのよ」

 すると、これで魔王を帰せば、二度と会えないことになる。

 僕は、その身体を抱きしめていた。

「帰らないで……」

 そうよのう、と曖昧に答えて、魔王はしなやかな腕で、優しく僕の身体を包んだ。

「そのためには、おぬしとの新たな契約が必要じゃな」

 できるわけがない。ダームじゃあるまいし。


 次の日の朝、僕はベッドから起き上がったダームに、事の次第を洗いざらい白状した。

 そのうえで、魔王との新たな契約を結んでくれるよう懇願したのだ。

 ところが、例によって。

「それは、何もかもチャラにしてくれるってことだね! ありがとう! ありがとう!」

 人の話聞いてたか? ダーム。

 どうやら、あの小切手のことと勘違いしたらしい。 

 夜中になると、ダームは鼻歌混じりにめかしこむ

「じゃあ、僕は魔王のもとへ。オマエのことは黙っててやる」

 そう言うが早いか、いそいそと出かけていった。

 入れ違いにやってきたのは、寮監の教員だった。

 眼鏡をかけた、見慣れない女性だった。

 季節が変わったから、新任が来たのだろう。

 しまった、と思ったとき、低い声が僕を叱りつけた。

「抜き打ち検査です……ルームメイトは?」 

 その声には、聞き覚えがあった。 

 逆行の影となって浮かび上がる、その身体にも。

 

 今ごろ、ダームは屋敷の門の前で面食らっていることだろう。

 白いドレスをまとった美しい女官たちや、帽子やコートのフードを目深にかぶった異形の召使たちがコンビニの移動販売車に群がっているはずだ。

 あの小切手で店長と契約したのは、これだったのだが……。

 まさか、これが魔王との新たな契約になろうとは。

 メガネを外した巡回の新任女教師は、悪戯っぽく笑いながら囁く。

「……屋敷にいるのが、身代わりだってことに気づかなきゃいいんだけど」 

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深夜の散歩に出るルームメイトを尾行して出会った可愛い魔王と闇夜のデートをします 兵藤晴佳 @hyoudo

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