二つの恋の終わりに

If

二つの恋の終わりに

「だったら俺にすれば?」


 とんでもない言葉が、薫の口から飛び出して来た。途端に私の足は散歩を放棄する。


「え?」


「苦しい恋愛なんて、やる意味あんの?」


 苦しい。薫の言葉がすとんと腹に落ちてきた。そうか、私は苦しかったのか。


 郁人いくとは天才だ。私は彼のピアノが好きだ。けれど聞くたびに比べてしまって、悔しい思いをしてきた。彼が特別留学生に選ばれてからは、一層その気持ちが強くなったのは否めない。


「俺も、もう苦しいのは嫌だし」


 小さな声で言い添えて、薫はそっと寂しげな笑みを浮かべる。はっとするくらい大人びた表情だった。


「俺、本当はこんな時間に散歩なんかしない。でも、かなねえって何かあるとこの時間に出るだろ? 窓を開けてたら扉の音で分かるし、話を聞かないとって思って、いつも追いかけるんだ。大体は愚痴って名前のついた惚気話で、俺ほんときつかったんだけど知ってた?」


 薫は四つ下の幼馴染だ。四つも離れていると自然と恋愛対象からは外れていたし、薫にとってもそうだと思っていた。驚愕で麻痺した脳は、一向に再思考を始めない。


「郁人さんはいい人だと思うけど、かな姉は郁人さんとは幸せになれないと思う」


 そんな気はしていた。していたけど、見ない振りをしていた。私は郁人が好きだったから。


 でも、私はピアノだって好きだ。半生をピアノに捧げてきた以上、矜持もある。だからきっと薫は正しい。郁人の側にい続けたら、私は永遠に嫉妬に苦しめられることになる。


 別れようと思った。郁人には申し訳ないけれど、このままいけば最後にはもっとお互いが傷つく気がした。だから終わりにしよう。そして、薫の手を取ることもしてはいけない。それも同じだ。傷つけたくないし、傷つきたくない。


 ——苦しい恋愛なんて、やる意味あんの?


 薫の問いが耳元で木霊した。


 どうして人は、傷ついてまで恋をするんだろう。


 答えは遂に、見つからなかった。

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