ほめて
――そして、俺は。
真衣と沙綾たちの。新しい「仲間」として認められた。
「恭くん。うちのお庭なら、いくらでもお散歩できるから。いつでも使ってね!」
咲花が、俺の飼い犬になったと知った真衣と沙綾は、つまるところ。
今度は。俺を、昔の咲花の立場にしようと、している。
建前上は、仲間と呼んで――その実、一段下に見ながら。
いじめをさせる。楽しむために。……そういう、仲間だ。
庭には、蛍光灯が設置されていて、……深夜だというのにはっきり見えるほどに明るい。
咲花の、裸の尻が揺れる。
恥ずかしいのか、あるいは他の感情か。
そんなところまで、咲花は素肌を赤くしていた。
俺は、咲花のリードを握っている。
咲花は必死に歩く。
裸に、首輪と、両手のミトンと両足の靴だけというのは、……なにも身に着けていないよりも情けなく、感じる。
一周。二周、三周……と、庭を回る。
四つ足で歩くのに慣れていない彼女は、相当苦しそうだったが――息をハアハア荒くしながらも、どうにか、歩き続けていた。
真衣はスマホを構えて、沙綾はニヤニヤ笑いながら。
窓を開け放して、芝生に足を下ろして座って、俺が咲花を散歩させるところを、見ている。
「えみ、がんばってー」
「恭にお散歩してもらえて、よかったじゃん」
ひくっ、うぐっ、と彼女は泣き続けている、……泣いても、四つ足の歩みを止めることは許されない。
だが。四周目。
彼女は、ついに――身体のバランスを崩して、倒れてしまった。
「あっ! えみ、駄目だよー。恭くん、お仕置きしてあげてね!」
「ほい、これ使って」
沙綾が投げてきたモノを、キャッチする――それは、……鞭だった。
記憶がぞわりと蘇る。
これは。俺を、叩いていた、鞭じゃないのか――。
うつ伏せに、犬の伏せのように倒れたまま。
彼女は、涙でいっぱいの瞳で――懇願するように、俺を見上げた。
「……きゅうん、きゅうんきゅうんきゅうん」
……それは、俺が教えた犬の言葉。
甘えたいときには。
そして、不安なときには。怖いときには。
なにかを、してほしくないときには。しないでください、とお願いするときには。
そう鳴け、と教えた鳴き声。
「……きゅうう、きゅううん、きゅううううん」
……鞭が、いやなのだろう。
それは、いやに、決まっている。
まともな人間なら。……そんなの。
「恭くーん? 早くして?」
……恐怖もある。よみがえってくる、しびれるような、感覚もある。
真衣と沙綾に言われたら、……逆らえない、そんな死にたくなるような自分も、いま確かに、ここにいる。
だが、それと同時に。
いまの俺の正直な気持ちは――。
「きゅうん、きゅうんきゅうんきゅうん、わん、わんわんっ――」
ぎゃあっ、と彼女が可愛らしくもない悲鳴を上げた。
俺が、……背中に鞭を振り下ろしたから。
あは、あははは、と真衣と沙綾が笑う。
ピコン、と。
真衣が新たに録画を始めた音が、響く。
ぎゃあ、っていうのは。
俺の思う、犬の鳴き声ではない。
それは、ぎりぎり。人間の言葉だ。
「えみ。人間の言葉を喋っちゃ、駄目だって……」
もう一度。振り下ろす。
人間の、悲鳴を上げれば。もう一度、更にもう一度、振り下ろす。
「犬なら痛いとき、なんて鳴くんだっけ?」
「……う、うう、きゃん、……きゃん、きゃん」
「そうだね。じゃあ、うまく歩けなかったお仕置き、いくよ」
「――きゅうんきゅうん! きゅうん――きゃんっ!」
咲花は、ひっくひっくと泣く。
俺は、その背中に更に二度、三度、……鞭を振り下ろした。
……俺は、もしかしたら、酷いのかもしれない。
俺を苦しめていたころの、咲花よりも。
もっと、ずっと。酷いのかも、しれない。
真衣と沙綾には、逆らえない。
その情けなさも、全身にじんわり、広がるけれど。
あのころの咲花もそうだったのだろうな、と。そんな理解も、広がるけれど。
そんな気持ちと、同時に。もしかしたら、……それ以上に。
ぐしょぐしょになるまで、顔を涙と鼻水で濡らしながら。
俺の鞭を、きゅうん、きゃんと受け入れるしかない、犬の咲花のことが。
本当に本当に。可愛くて、愛おしくて、堪らない。
明け方になるまで、咲花のお散歩は続いた。
嘲笑と咲花の嗚咽が、響き続けていた。
そして。
……長い、長い深夜の散歩が終わって。
真衣と沙綾と、連絡先を交換させられて、住所もチェックされて。
俺たちは、家に帰された。……今日のところは。
ホテルには電話して、無断キャンセルを詫びた。
今回はキャンセル料を取らないけれど、今後は気をつけるように言われた。
これからは、やはり。ホテルではなく。……真衣の家の庭で、散歩させるように、なるのだろうか。
俺たちふたりの家に戻って。
玄関のドアを閉め、ガチャリと、鍵を閉めた途端――。
彼女は、俺の足元に、ずり落ちるように、……崩れ落ちた。
泣き顔で。もう犬の前足にしか見えなくなった両手で――俺の腿を、ズボン越しに、ひっかくように掴む。
「……恭くん。ほめて、ほめてよお。お散歩したから、ごほうび、ほめて、……ほめて」
俺は、咲花を見下ろす。
「わか、わかってるから、わたし、……真衣ちゃんと、沙綾先輩には逆らえないから、恭くんもそう、そうだから、だから、だから、恭くん悪くないから恭くんも被害者なんだからわかってるわかってるんだよ」
泣いているのに。瞳は、昏いままなのに。
彼女は、気遣いの微笑みのかたちに、口を開ける。きっと、無理やりに。
「だからわたし、いいの、……いいの、でもほめて、ほめて恭くん、わた、わたし、いいこ、いいこでしょ、……いいこなの、わたし、がんばったよ、ちゃんと歩いたよ、いっぱいいっぱい歩いたよ、いぬ、いぬのお散歩、できたよ、だからほめて、ほめて」
ほめて、ほめてと懇願する彼女は。
首輪はしているけれど、服は着ていて。人間の言葉も、しゃべっているのに。
いよいよ、犬にしか見えない。
「ほめてよお……ほめて……」
俺は、そっとその頭に手を載せた。
それだけで。ぐちょぐちょの、泣き顔なのに。
嬉しそうに、咲花は目を細める。
「……恭くんは……わたしのこと、ほめてくれるから……」
ほめてくれるから、どう、とは。
彼女は、言わなかった。だけどそこに、彼女の、犬としての、いじらしいほどの可愛らしさを感じて。
髪の毛ごと、彼女の頭をくしゃりと撫でた。一回、二回と、繰り返して。
お散歩と、ご褒美。 ~加害者少女は犬になる~ 柳なつき @natsuki0710
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