第6話

7


 クローゼットの中にはアウルムの基地でも着ていた軍服に似た制服が吊るされていた。

 袖を通して鏡を見る。

 サイズはぴったりだったが、なんだか似合っていない気がした。髪も伸びているし、なんとかしなければならない。しかし、こうしてみると、まるで───

 ───いや、なんだっけ。

 そうだ。早く朝食を食べに行かないと。

 部屋を出ると、ヒメイが目の前で待っていた。

「ご案内します」

「別にいいよ。付きっきりじゃなくて。食堂の場所ならわかるし」

「そうですか? じゃあ何か困ったことがあったら腕輪で呼んでくださいね。わたしは厨房で最後の調整をしに行かないとですので!」

 ヒメイとその場で別れる。

 僕は食堂に向かう前に腕輪を操作して地図を呼び出した。

 赫雷を探すと、彼は僕とは真向かいの東館の奥の方に所在地が表示されている。会いに行くには少し遠い。先に食堂へ向かうことにした。

 階段を降りたり通路を進んでいくと、僕の中でだんだんと疑念が確信へと形になっていく。

 この道じゃない。

 迷った。

 一度通った道だとタカを括って地図を見ずにいたら、ものの見事に迷宮入りしている。一階へ降りてアーチを潜るところまでは覚えていたのだが、その先の二手に分かれる通路で分からなくなってしまった。おそらくそこで間違えたのだろう。

 引き返しても良かったが、いま歩いている道の先に何があるのか好奇心が湧いた。しばらく滞在する場所なので歩き回るのも無駄にならないだろうと思い気の向くまま進んでいく。通路はやがて左右の壁がなくなり、天井が消え、開放的なアプローチへと変わった。

 いつの間にか中庭の中を歩いていた。そこから館の外観を初めて見る。

 それは一見、城塞のようだった。造りはメタリックなブリキの玩具のようで浮世離れしたデザインをしている。大昔にあった戦艦に近いかもしれない。大砲が付いていても違和感がなかった。

 アプローチの先はまた別の建物と繋がっており、下は柱で上にドームが乗ったケーキのような形をした施設が建っていた。こちらも外観はメタリックな感じで統一されている。

 近づくと厳かな木製の扉があり、半開きになっていた。ここまで来たら行けるところまで行ってみようと思い、その隙間を潜り抜ける。

 扉の先は、なんとなく予想していた通り、礼拝堂だった。

 けれど僕が知っている宗教のシンボルはどこにもない。ただ意味のない幾何学的な模様がガラスや壁や天井に張り巡らされている。わかるのはここが祈る場所だということ。それだけだった。

 円形の建物の中心には誰かが蹲っている。

 跪き、両手を組んで、薄暗闇の中で小柄な女性が一心に祈っている。微動だにしないので、まるでそこだけ時間が存在しないようだった。

 用事もなく立ち入ってもいい場所ではないと一目で理解できる。神聖さや畏敬を覚えたわけではないが、単純に、我を忘れて一つのことに打ち込んでいる相手の邪魔はできないだろう。

 退散しようとしたところ、ふっと空気が弛緩した気配がした。

 止まっていた時間が降り注ぐ。蹲っていた人物が起き上がった。

 少女は振り返り、礼拝堂にいる部外者の存在に気がついた。

「え、ディ?」

 見ず知らずの相手に名前を呼ばれたことにも慣れてきた飢餓する。僕はこの先の展開を予想する。

 まず記憶喪失であることを説明しなければならない。しかも僕にしか真偽が証明できないので、こちらの言い分をまるごと信じてもらう他にない。

「あの、実は」

「あ、大丈夫。聞いてるよ。忘れちゃったんだって?」

 少し舌足らずな喋り方をする子だった。僕は説明の手間が省けたことに胸を撫で下ろす。

「それを知っているってことは、AI?」

 情報共有がされていると聞いたので僕は尋ねた。

「ううん。違うよ。人間だよ。に、ん、げ、ん。あなたと同じね」

 彼女が首を振るのに合わせて、耳の後ろに垂れている編み込まれた髪が揺れる。

「さっきすれ違ったセキライが教えてくれたの。ずっと眠っていた相方が起きたって。彼、喜んでいるみたいだった。やっぱり仲が良いんだね」

「仲が良いって、赫雷と? そんなことはないと思うけど」

「あ、ディったら薄情者なんだ。あっちはあんなにあなたのことを考えてくれているのに。あたし、セキライみたいな優しい戦闘機に乗りたかったなー」

 祈っていた時の静かな様子は見る影もなく、彼女はころころと陽気に笑う。僕は彼女の、戦闘機に乗っていたような口ぶりが気になった。

「君、戦闘機乗りなの?」

 自分より四、五歳下だろうか。こんな小さな子が? とは思わない。僕も同じような頃から乗っている。

「うん、そうだよ。ディと出身は同じ。アウルムの戦闘機乗り。ちなみに基地も同じなんだけど、ディはあたしのことなんて覚えてないでしょ?」

「え? 東基地? ごめん。名前を聞けばわかるかも……」

「スピア。どう? 思い出した?」

 そういえば……。武器のような名前の年少者を集めた部隊があったことを思い出す。その中に彼女がいたような、いないような。

「いや、なんとなく、ほんのりと……」

 バツの悪さを感じて誤魔化すように言った。

「覚えてないんでしょ? もう聞いてるからわかるんだ。あたしは前から知ってたよ。ディのこと。まあ、着任してすぐに行方不明になっちゃったあたしが悪いんだけどさ」

 スピアという名の少女は落ち込んだように俯く。と思えば顔を上げて笑顔になった。

「でもおかげでここに来れたわけだしね。えっと、サイが王サマでシマウマってやつ?」

 何を言っているのかわからないが、とりあえず頷いておいた。

「ふふん。ところでもう朝食の時間だね。ディもまだなら一緒に食べない?」

 僕はその誘いに了承した。

 並んで礼拝堂を出る。

 中庭を半分過ぎた辺りでスピアは再び口を開いた。

「あたしが乗ってた戦闘機はアカネっていうんだけどさ、ひどいんだよ。あたしを置いて自分だけミルラの都会に行っちゃうんだから。それに比べてセキライはいいよね。忠義者っていうか、武士っていうかさ、絆がちゃんとあるみたいで」

「ミルラの都会?」

「ああ、うん。そこでお仕事するんだって。AIはさー、ずるいよねー。データをダウンロードすればどんな仕事も一流でこなせるんだもん。あたしたちが何百時間もかけて覚えることを数時間で覚えちゃうんだよ? なんだか、勉強するのがバカバカしくなってきちゃう」

「勉強しているの?」

「うん。ここに来てからずっと歴史のベンキョーしてるよ。簡単な流れくらいしかアウルムだと教えてもらわなかったけど、調べ出すとキリがないんだよ」

「へぇ」

 相槌を打っておく。話好きの人間の対処方法としてはこれ以上はない。

「あのね、簡単にいうと、人類史っていうのは、失敗の連続なんだ。王サマがいた時代の話とか、自由投票で代表者を決めてた時代の話とか。それなりに安定してる時期もあるんだけど、最後には必ず崩壊しちゃうの。面白いよ。ディも一緒にベンキョーしない? アウルムにいたらわからなかったことがいっぱいあって楽しいよ」

「ふーん。たとえば?」

「たとえば? うーん……。あ、戦争のこととか? ミルラとか世界のニュースだとアウルムとオリバナの戦争のことなんてほとんど話題にされてなくて、そんなことより今は子供の数が問題なんだってさ。それで世界中が赤ちゃんの出生数の取り合いをしているの」

「出生数の取り合い?」

「そう。世界人口に上限があるのは知ってるでしょ? だから世界の国々は生まれてくる子供の数に制限をかけているんだけど、その枠の取り合いをしているんだって。だいたい一万人単位でね、お金とか物資で交換している国もあって、ジンドウ的な見方でイロイロと問題になってるんだってさ。国際スポーツの勝敗とかでもすごい数の子供が賭けられてるの。信じられる? 変な世の中よね」

 おそらく、大衆は子供の数が大事だと洗脳されコントロールされているのだろう。そうやって目先の利益を創り上げ、多くの人間を誘導している。本当に重大な議題から目を逸らさせるために。

「ばかばかしい。全部AIに決めてもらえば済むことなのに」

「それ、思ったー。けど、なんか、人間らしくてあたしは好きだな。こう、無様でも試行錯誤する様子がさ。だって、自分の国のために一人でも子供の数を増やそうってテニスをしたり早く走る競争をするんだよ? 色んな人に生きる目的を与えてあげられるっていうかさ……。それって、自分の得意なこと、好きなことをやっても良いってことになるじゃない。素敵でしょ?」

「そうだね。人間はそうやって飼われているべきなのかも。余計なことをしないように」

「うーん。通じてなさそう。記憶がなくなっても相変わらずディはディだなー」

 中庭を抜けて屋敷の中に入る。隣を歩く彼女はクスクスと笑い、ときどき跳ねるように歩いた。ただ移動しているだけなのに楽しそうだった。

「なにがそんなに面白いの?」

「え? 別にー。今日はぐっすり眠れて目覚めが良かったこととか、天気が良くて気持ちのいい朝だとか? ディにも久しぶりに会えたしね。朝のお祈りがうまくいったんだ」

 朝のお祈り。僕はあの時間が消え去った空間を思い出す。今の活発な彼女からは想像できない静けさだった。彼女の信仰はどこへ向かっているのだろう。

「そういえばさっき、何に祈ってたの?」

「あたしの神さま」

「どの宗教?」

「宗教? 違うよ。あたしね、トモダチなの。カミサマと」

「へぇ……」

 見えないお友達というヤツだろうか。幼少期の人間はそういう存在を作り上げることがあると聞く。

「本気にしてないでしょ? ディにはわかんないかー。そうかー。いつも仏頂面だもんね」

 なんだか憐れみを感じる視線だった。仏頂面は関係ないのでは。

「どうやって友達になったの? よければコツを教えてもらいたいね」

「それ、真剣に聞いてる? 真剣じゃないでしょ。本当に、心から知りたいって思ってなきゃ教えてあげない。意味がないもん」

 本当に自分はカミサマとトモダチだと彼女は思っているようだった。ある種の精神疾患だろうかと僕は疑い始める。

「でもディともトモダチだから、特別に教えてあげる。いい? 一回しか言わないよ? 本当は秘密にしておかなきゃいけないことなんだから」

 そこまで強く知りたいとは思わなかったが、彼女の真剣な様子に押されて僕は頷いた。

「コツはね……。死ぬことよ」

 スピアは目を細め、声を潜ませた。

「え?」

 聞き間違いだろうか。耳を疑う。

「ディも早く死ねたらいいね」

 彼女は笑顔のままそう言った。


 がらんとした食堂で僕とスピアの二人は窓際のテーブル席に座っている。

 自分で注文したり取りに行ったりしなくても良いのかと尋ねたら、大丈夫と彼女は答えた。

「最近までは食べたい料理を注文する形式だったんだけどね。ウィップとアローの二人がふざけて変な注文ばかりして変わっちゃったの。ほんとサイアクだよ」

 ウィップとアロー。鞭と矢。どちらも武器の名前だ。

「その二人も君と同じ部隊の?」

「そうだよ。元、アウルムの少年兵部隊。元だよ。今は違うから。あたしたち三人ともアウルムに帰る気はないから」

 ほどなくして食事を乗せたカートが僕たちの所までやってきた。

「おはようございます!」

 食事を運んできた女性が元気の良い挨拶をする。

「どうしたの、ヒメイ? すごく張り切ってるけど。ご飯の係じゃなかったよね?」

 やってきたヒメイを見て、スピアは目を丸くする。

「今日はわたしが料理したので。あ、スピアさんの朝食にはノータッチなのでごめんなさい。では、どうぞ! 愛情がたっぷり入ってます! 味わって食べてくださいね!」

 と、目の前にお皿が配膳された。

「うわ……。なに? それ」

 僕に提供された食事の内容を見てスピアが引き攣った顔をする。

「なにって、ペーストフードですよ。ディは病み上がりですから。まだ消化器系が本調子ではないので、消化しやすいように加工しました」

「そうなんだ……。でも、どうしてこんな絵の具みたいな色をしているの?」

 スピアが言うように、チューブから押し出したばかりの絵の具にしか見えなかった。白いお皿がパレットのように見える。スプーンではなく筆と画用紙が欲しい。

「食欲が湧くように着色料を使用しました。あとは彩りと芸術性も加味してあります。どうですか? 実は虹を模していて、順番も波長の通りになっていて───」

「どうする? ディ? 代わりのもの、作ってもらう?」

 スピアが心配そうにこちらを見つめている。せっかく作ってもらったものなので食べてみることにした。

「美味しいでしょう?」

「美味くはない」

「え」

「ヒメイ、なんだか空回りしてない? 変なプログラムでも食べちゃった?」

 唖然とするヒメイにスピアが言った。

 たしかに、ミスをしないAIにしては珍しい挙動だ。

「ごめんなさい! すみませんが、作り直してくるので少しお時間を頂きます……」

「ヒメイが作っちゃダメだよ。また変なのになっちゃいそうだから」

「普通のお粥で良いよ」

「わかりました……」

 ヒメイはスピアの前にパンとスープを置くと、心なしか肩を落として下がっていった。

「変なの。あ、先に食べるけどいーい?」

 返事を待たずにパンを頬張るスピアを眺める。眺めながら、僕は違うことを考えていた。

『早く死ねたらいいね』

 どうしてもその言葉が気になってしまう。

 それがカミサマとトモダチになれる秘訣。

 スピアはすでにカミサマとトモダチなのだとしたら、彼女自身、すでに死んでいなければならない。

 いま目の前で美味しそうに朝食を食べている彼女は実は死んでいる。

 そんなことがあり得るだろうか?

 ここは死後の世界だとウェンズは言った。ムニンは天国だと。スピアも死について言及した。

 三人とも何が言いたいのかよくわからない。

 死後の世界。あり得ない。そんなものは存在しない。

 死について考えろ、ということか?

 それは消えてなくなるという意味だ。心臓が止まり、血が通わなくなり、脳が機能停止し、こうして思考している僕は失われる。そして死とは不可逆的なもので、一度死んだ者は蘇ることはない。蘇るような状態はそもそも死んでいないと言うべきだ。

 もしかしたら、彼らのいう死とは、僕が考えている死とは別のものなのかもしれない。

 おそらく比喩として使ったのだろう。でなければとんでもない暴言だ。スピアにおいては今すぐ死ねと言っているに等しい。

「ここのコーンスープ、とっても美味しいんだよ。コーン本来の甘味がね、口に入れた途端、ぶわーって」

「……あのさ、早く死んだ方がいいって、どういう意味?」

 発言した本人にその意図を尋ねる。

「え、なんの話?」

 とぼけた調子でスピアは答えた。素直に教えてくれる気はなさそうだ。秘密だと言っていたし、彼女の中ではおいそれて口にしてはいけない事なのかもしれない。

「……まあ、いっか。僕とトモダチになるなんてカミサマの方から願い下げだろうし」

「願い下げ? ディがイメージしているカミサマってどんな形なの?」

「いや、この話はもういい。そもそも信じてないんだから」

「そうだね。そんなことより、ご飯の方が大事」

「カミサマより?」

「今は、そう」

「おまたせしました……」

 先ほどとは打って変わってテンションの低いヒメイがお粥を持ってきてくれた。

 木製のスプーンでそれを掬い、口に運ぶ。

「……」

 普通のお粥だ。あれ、と思い、今度は味わうことに集中する。

 美味しいことは美味しい。けれど、前回の時ほどではない。正直に言えば、こんなものか、と期待外れな感じがした。

 だけどこれが普通のことだ。どんなに美味しいものでも、食べ続けていれば感動は薄れていく。本当にもう一度あの味を味わいたければしばらく飲まず食わずにならなければならないだろう。

 僕が求め、必要な手順を踏めば、いくらでも手に入れることができる。

 あの時は奇跡が訪れたかのように感じられたが、分析してしまえばこの通り。環境によって僕の脳内で放出された反応物質が多かっただけのこと。仕組みが理解できれば何の不思議もありはしない。

 だがしかし。

 なぜそんな仕組みがある?

 スピアは僕がお粥を食べ終わるのと同時に席を立った。

「あたしはこれからベンキョーの時間だけど、ディはどうする? 一緒に授業、受けてみる?」

 これからやることもない。頷こうとした瞬間、腕輪から単調なメロディが鳴り出した。どうやって扱えば良いのかわからず、じっと眺めていると、スピアが僕の腕をとって腕輪に触れた。途端に音が止み、画面が表示される。

「なんて書いてある?」

「……至急の要件あり。ムニン」

 ヴァルキリーの件で再び話し合う約束をしていたことを思い出した。

「そう。じゃあ授業はお預けだね。またね」

 二つのおさげを揺らしながらスピアは去っていく。

 時刻を確かめる。9時29分。

 食堂の席に座ったままなんとなしに腕輪を弄っていると、慌ただしくムニンがやってきた。

「ディ!」

「え」

 彼女は息を切らした様子を見せて、緊迫した状況を演出している。

「えっと、まずは座ったら?」

 対面にある空席を促すも、彼女は首を横に振った。

「緊急出撃! 今決めて! すぐ決めて! やるのかやらないのか! どっち!」

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アウルムは機械仕掛け 米粉パン @sijutumabite

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