第5話
6
ここは死後の世界なのだろうか?
ベッドの上で一人、首を捻る。
いや、ばかばかしい。ヴァルハラだとか、ヴァルキリーだとか。それは神話にある単語だ。ヴァルハラは戦場で散った戦士の魂が集う死後の場所のことで、ヴァルキリーはその魂を運ぶ役割を持った存在のことを言うらしい。もちろん、彼らの言葉が指しているのは神話から名前だけを借りてきた別物だろう。
ムニンが言うには、僕は彼らと何らかの契約を交わしていて、ヴァルキリーとして出撃しなければならないのだという。
ヴァルキリーとはそもそも何なのか。
一つだけわかっているのは、再び空に戻れる、ということ。
戦闘機に乗って空を飛べる。
たしかに、それは僕の望みだ。
それしか能がない僕にとって、飛べなくなることはアイデンティティの消失に等しい。社会の中で役立たずに居場所はない。誰からも必要とされず、誰からの関心も得られない。そんな世界に僕は耐えることができない。
僕に生きる理由を与えてくれるなら……。
悪魔とだって契約する。どれだけの寿命を払ってもいい。
けれど、それだけなら本国に帰ればいいだけのこと。そうすれば元に戻れる。機械仕掛けのアウルムの歯車となって、戦争状態という体裁を保つためだけの殺し合いに没頭する。死ぬという義務を果たすまで永遠に。僕が生まれたのはそのためであり、これまで生かされてきたのはその役割があったおかげなのだから。
───そんなのはもう嫌だ。
お前は黙れ。弱音を説き伏せる。
嫌でもやるんだ。それが義務だから。
親が子を捨てられないように、労働をしなければならないように、社会は各々の責任とルールで成り立っている。これを放棄するということは社会がもたらす恩寵に唾を吐きかける同然のこと。社会の仕組みから爪弾きにされても文句は言えない。
お前は、人類が積み上げてきたこの正しさを否定するのか? これを否定したら、どんな地獄が待っていると思う?
僕はその地獄をシミュレーションする。
それは、社会から不要と烙印を押された未来のこと。僕は飢えており、孤独だった。彼は自業自得でその地獄に落ちた。だから助けはなく、死んだとしても、その死は誰からも弔われることがない。
僕は僕が見た世界の極寒に怯む。
こんな将来は耐えられない。何がなんでも役割が必要だ。誰かに必要だと言ってもらえる居場所が。
国に帰るか、それともヴァルキリーになるのか。
その二択しかない。
寝返りを打ちながら、何気なく腕輪に触れる。それは起動して現在時刻を表示した。
8時18分。
「こんこんこん。起きてますかー」
声がしたので起き上がると、いつのまにかヒメイが部屋の中にいた。
「おはようございます。朝食の支度ができたので呼びに来ました」
ヒメイは機嫌が良さそうに口元を緩めながら言う。日の光の下で見る彼女は吸血鬼みたいに真っ白な肌をしていた。
「ヒメイ。聞きたいことがあるんだけど」
「え、なんですかなんですか? なんでも聞いてください」
彼女は嬉しそうに近寄ってくる。犬みたいだな、と思った。
「ヴァルキリーってなに?」
その言葉にヒメイは硬直する。
「……ん? えーと、その、一つだけ確認なんですけど、その単語、どこで聞きました?」
「ムニンっていうAIがここに居てここで聞いた」
「へぇ、そっかぁ……」彼女は一瞬だけ無表情になる。「ホント、しょうがない子たち……」
「ヴァルキリーってなんなの」
「それを説明する前に、この館がどういう施設なのか、まだ話してませんでしたよね?」
僕は記憶をさらう。
「戦場から脱落した人間が集まる場所だとは聞いた気がする」
「なら話は早いです。ヴァルキリーっていうのは、戦場から人間とAIをピックアップするお仕事をする人のことを言います。この館に限った呼び名ですけどね」
「ピックアップ?」
「救助するという意味です。知っての通り、アウルムとオリバナの戦域では人間が搭乗している戦闘機しか飛行が認められていません。なので、非合理的ですが、戦闘機に偽装した救助用の飛行機に乗って、墜落した人間とAIの救出を行います」
「え、そんなことしていいの? 戦場に出ている人間は死ぬのも仕事のうちだって教えられてきたけど」
「ええ、ですから、秘密裏に」
「ただ飛んで、帰ってくるだけ? 戦闘はしないの?」
「しません。あ、コックピッドから人間を引き摺り出したり、AIのメインボックスを戦闘機から回収する作業もあります。難しい作業はわたしがやりますのでご安心を」
ヒメイは自身ありげに胸を叩いた。
「ヒメイが?」
「ええ。僭越ながら、ヴァルキリーの同乗員をやらせて頂いています」
心なしか彼女は誇らしげだった。
「なるほど。救助隊なのか……」
殺す殺されるのではなく、助ける仕事。
飛行機に乗るのは同じでも、真逆の目的だ。別にその点は重要に感じないのだが。
「どうですか? 試しに飛んでみませんか? 辞めようと思えばいつでも辞めていいですよ。アウルムに急いで帰る理由もないのでしょう?」
すぐに頷きそうになる自分を自制する。こんなに都合の良い条件があり得るのだろうか? 何か裏があるのではないのだろうか。
「……もしかして、前の僕にも同じ文句で勧誘を?」
「あ、バレました?」
ヒメイは舌を出す。
「だめ、ですか……? わたしとなんかじゃあ……」
しおらしい声を出す。それに絆されたわけではないが、僕の腹は決まった。
「三日後、だっけ。それまでに出来るだけ体を動かせるようにしておく」
「やったぁ!」
彼女は飛び跳ねて喜びを表現する。
筋肉がだいぶ衰えているのでトレーニングをする必要がありそうだ。たった三日では焼石に水だろうが、やらないよりはやった方がいい。
「体力がつくようなものが食べたい」
「あ、朝食! 行きましょう行きましょう! それはもう、腕によりをかけて特別なメニューを考えましたので!」
「何か着替えとか」
「クローゼットの中にあります。あ、今お持ちします」
「いや、着替えるから出て行って」
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