深夜のラーメン
しらす
深夜のラーメン
去年の秋の事だ。
僕は妻と一緒に博多へ旅行に来ていた。
目的は別にあったのだが、僕はせっかく博多に来るならラーメンを、と思っていた。妻も屋台のラーメンに目星をつけていて、ここに行きたいな、と言っていた。
しかしいざ夕暮れの街へ出ると、屋台の出る時間は意外に遅かった。お腹が空いていた僕らは結局、ショッピングモールでラーメンを食べた。
名残惜しい気がしながらもホテルに帰り、いつも通り10時ごろにベッドに入った。
しかし枕が合わなかったのか、僕は夜中の2時に目を覚ました。
「あら、あなたも起きちゃったの?」
起き上がると、妻も隣で体を起こしていた。
「お腹空いちゃったのよ。なんだか屋台のラーメンが食べたくて」
「心残りだったもんね」
言われてみると、確かにお腹が空いていた。夕食にはラーメンに餃子に炒飯も食べたのに、と不思議に思ったが、妻に言われると妙にラーメンが食べたい気がした。
スマホで調べてみると、この時間でも開いているラーメン屋が一軒あった。
「なら、そこに行ってみようか」
と妻は嬉しそうな顔をする。よっぽど食べたいんだな、と思った僕は、着替えて深夜の街へ出て行った。
真っ暗かと思った深夜の街は、しかしあちこちで煌々と灯りが灯っていて、意外にも歩きやすかった。
目的のラーメン屋も、すんなり見つかった。
少し細い路地に入ったところで、灯りが漏れている店は他になく、よく目立っていたのだ。
暖簾をくぐると、店主と思しき男性が一人でカウンターの向こうに立っていた。
「並を二つお願いします」
深夜なのでさすがに大盛りにはしなかった。何も聞かずに注文したが、妻もうんうんと頷いていた。
すぐに出て来たラーメンは、スープが透き通っていながらコクがあり、とても美味かった。
お勘定を頼むと、店主は「一杯でいいのかい?」と不思議そうな顔をした。
「ええ、もうお腹はいっぱいですし」
そう言うと、店主は少し怪訝そうに僕の顔を覗き込んだ。そして、何か困ったような顔をすると、
「お客さん、悪いことは言わないからもう一杯食べていきなよ」
と言って、すぐさまラーメンを作り始めた。
僕は慌てて止めたが、店主はまるで聞いていない。出来上がったラーメンをカウンターに出すと、箸を差し出してきた。
「ほら、あと一杯でいいんだ。食べていくに越したことないよ、ほら」
「そ、そうですか」
あまりの店主の勢いに呑まれて、僕はラーメンを受け取った。
しかし今度のラーメンは、先ほどと違ってなにやらドロドロだった。
緑色っぽいスープは野菜を煮溶かしたもののようで、見た目にも食欲をそそらない。
しかもこってりと脂が浮いて、さっきのラーメンと比べてだいぶ食べにくそうだった。
困惑しながらも、僕はそれをなんとか啜った。
口いっぱいに広がる青草のような匂いは、慣れれば癖になるものなのかも知れないが、はっきり言って僕にはとても不味い。
四苦八苦して丼を空にし、ふと妻は大丈夫だろうかと隣を見ると、そこには誰もいなかった。
「あれっ? あの、妻がここに居たと思うんですが、どこへ行ったか見ていませんか」
慌てて店主に尋ねると、店主は首を傾げた。
「妻? お客さん、最初から一人だったよ」
なんだい、お客さん寝ぼけてたのかい、と言って店主はカラカラと笑った。
しかしそんなはずはない。ラーメンを食べたいと言い出したのはそもそも妻なのだ。
僕は勘定もそこそこに、店を飛び出して妻を探した。
辺りはいつの間にか真っ暗で、信号が辛うじて灯りの代わりに光っている程度だ。
こんなに一斉に街灯を消してしまうものだろうか、と思いながらも、僅かな明かりを頼りにホテルへと戻る。
その間、車の一台ともすれ違わなかった。
たどり着いたホテルは、廃墟になっているのかと思うくらい、全部の窓が真っ暗だった。
恐る恐る正面玄関のドアを開くと、キィ……と軋む。
フロントの方へ視線を向けたが、そこには誰もいない。
無性に怖くなって、エレベーターに飛び乗ると部屋へと駆け込んだ。
「あら、お帰り。どこに行ってたの?」
そこでは妻が、部屋の灯りをつけてベッドに座っていた。
「どこって、一緒にラーメンを食べに行ったじゃないか。途中で何も言わずに帰るからびっくりしたよ」
「ラーメン?夕食なら一緒に食べて帰って来たじゃない」
妻は不思議そうにこてんと首を傾けた。いつも通りの妻だった。そして本当に、ついさっきまで寝ていて、起きたら僕がいなかったのだと言った。
「なんにしろ、まだ起きるには早いわ。もう一度寝ましょう」
そう促され、どっと疲れを覚えた僕は、ベッドに倒れ込むようにして寝てしまった。
翌朝はいつも通り、妻に揺り起こされた。
まだ早い時間だったが、外を見るとちらほらと街灯が残り、車が行き交っていた。
昨日のあれは、起きているつもりで見ていた夢だったのだろうか。
ようやくそう思い始めて、朝食を取りに一階のレストランへと降りて行った。
しかし、食べ終えて勘定をしようと財布を開くと、昨夜食べたラーメンの分だけ、きっちりお金は減っていたのだった。
深夜のラーメン しらす @toki_t
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