深夜鉄道
ヒトリシズカ
星の囁く声をきく
ある冬の日。
ワタシはふと思い立ち、
理由はない。
何をしよう、とか、アレが見たい、とか。
そういった考えは何一つ浮かばず、ただ何となく外に出たくなったからだ。
あてもなく歩く。
気付けば、通い慣れた仕事路を進んでいた。
真っ暗な踏み切りを視界に捉えたことでようやく思い至った。静まり返った町に立つ警告灯は、本日の仕事を終えて完全に沈黙している。薄暗い空間にぬっ、と立つその様は、子供の頃に聞いた長身のお化けのようだ。
擦り減った線路が月を反射して鈍く光る。
それを跨げば、微かに笑声がもれた。
ワタシはそのまま歩を進めた。
遠くで車輪が鉄の轍を踏む音が聞こえた気がした。
つと、顔を上げれば、目と鼻の先に踏み切りがあった。
こんな場所に踏み切りなんてあったか?
そもそも踏み切りは、先程通り過ぎたではないか。それにこんな夜中ならば、終電も終わっているだろう。
いや、しかし……——。
次の瞬間。
真っ暗だった視界が突き刺すような赤に染まる。
カン、カン、カン、カン!
真っ暗だった警告灯が突然瞬き、それに呼応するようにけたたましく鳴り始めた。
思わず身を竦ませる。
鼓膜を警告音が叩く。突然の事態にワタシは辺りを見回した。
なに……。
誰ともなく呟いた息が、真っ白に染まる。
吐き出した息の白さに驚けば、握りしめていた手も、強張った頬も、薄氷が張ったみたいにキシリと小さく鳴いた。奥歯が噛み合わず、カタカタと鳴る。
先程までは、こんなに寒くなかった。適当なジャンパーで散歩に繰り出せる程度の気温だったはずなのに!
白く凍る両腕で、ぎゅっと肩を抱く。
鳴り続ける警告音の間を縫うように、タタン、タタン、と車輪の音がした。
直後、ワタシは直感した。右から風が来る。
そしてすぐその予感は的中した。
まるで地下鉄のホームに電車が入ってくるような、あの空気が鉄の塊に押し出されて起こるような風が、冷気を纏ってやってくる。
凍り始めた髪が目に入りそうになって、思わず目を閉じたとき、一際強く風が吹いた。
「おや、御乗車ですか?」
上から声が降ってきた。
恐る恐る目を開けてみれば、相変わらず警告灯が忙しなく点滅している。でも警告音は全くなかった。
だが、ワタシを驚かせたのはそれではない。
目の前に、まるで映画の中から飛び出してきたみたいなレトロな電車が止まり、乗降口から車掌帽を被った人が身を乗り出していたからだ。
「まもなく発車します。御乗車ですか?」
この世のものとは思えない情景に呆然としながら、ワタシは行先を尋ねた。
「こちらは最終駅のひとつ手前ですので、次は終点、南十字となります」
丁寧に答えてくれた車掌は再び、御乗車ですか?と聞いた。
その声があまりに優しくて、丁寧で、思わず頷きたくなった。頷き、手を伸ばそうとした瞬間、ワタシは唐突に明日が母親の誕生日だったことを思い出した。買い物に行く約束をしている。久しぶりに連絡した母の弾んだ声が頭を過ぎる。
白く凍える手を引っ込め、右ポケットに突っ込んだ。
「おや、宜しいんですか?本日の最終電車ですよ」
少し残念そうな声の車掌に、ワタシは事情を話した。すると車掌は心得たように何度も頷き、そして笑顔を見せた。
「それはそれは。流石にそれは、無理強い出来ませんね」
あっさりと引いてくれたのが名残惜しい気がした。
だが、それで良いような気もする。
ワタシは笑顔で車掌と電車に手を振った。
「御乗車になりたくなりましたら、またこちらにいらしてください。私供はいつまでもお待ちしておりますので」
慇懃に礼をする車掌は、現れた時と同じく雪花を纏い、突風と共に去って行った。
突風が収まり、再び目を開けたときには電車はおろか、踏み切りも線路もなく。
ワタシは真っ暗な十字路に一人、ポツンと立っているだけだった。
あとで分かった話だが、昔、その場所には線路が敷かれていたらしい。だが度重なる不可解な事故と、土地開発の影響で現在の位置に線路が移されたそうだ。
いまでもたまに電車の音が聞こえることがあるんだそうな……。
深夜鉄道 ヒトリシズカ @SUH
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