第2話

自分は脚フェチだ!

そんな感情がこの駅の人混みの中で突然沸き起こったのです。

それがどうのこうの言うのではないのですが一種の無常感に流されます。

なぜ人はこんなに生きていくのに一所懸命になるのだろう。別段そうでもない人もいるかもしれませんが、やはり生きていたいと思う人は八割八分ぐらいいるわけで…

生と死についてはイエス・キリスト、天之御中主神、釋迦、アッラー、ソクラテス、西田幾多郎と考える記しはあるけれども、結局自分自身の心の内で考える訳で、これは三世の中でも変わらないのかもしれません。人の個々の共通する最終は死ということに繋がると思うのです。死んでしまったら後はないと考えるかもしれませんが、実は多分違います。自分は仏教徒の端くれです。それも大乗の禅宗を少し囓ったにすぎません。なので説教めいた話はおこがましいですが、死んでも念(魂)みたいなものは存在すると思うのです。『現世に現れるのはその

念の縁がある環境が必要と思われますが』それが死んでも後はあると思う理由です。

舎利礼文です。

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話なわけよ @magtsuna

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