幻の紙幣

判家悠久

第1話

 その昔の昔のミレニアム突入期、A電材はITバブルの恩恵で繁盛した。そうなると、伝票を起こし、売り上げないと行けない。

 今では、いくつかの確認と承認のワンクリック受注できる筈だが、ただそれが本当に羨ましい。

 当時の通信回線と来たら、通信速度128Kbpsが最高峰で、いやそれって、携帯の今でいう通信回線制限の上限値だから、想像はお任せするしかない。A電材の受注システムは、当時としては最高峰も、承認画面の遷移が困難で、HUB1台売ろうにも軽く1時間の手続きを要する。まあ、ある意味では平和で幸せな時代だ。


 非効率ごもっとも。そんなA電材の日々と言えば、就業時間は受注業務で、終業後にやっとデータベースの入力とチューニングを並行して行う。何で営業側で、アシスタントシステムを構築しないといかないのか、まあ今となって不思議と思って結構。

 いや、それも込みで相対評価じゃないかも。市販のデーターベースに膨大な関数で書いても、それは業務上発明とみなされいので、イノベーションがただ遠く未来にあった。ぶっちゃけ報われない。


 その報われなさは、就業後の時間を大いに奪う。最初は渋谷の営業部にいたが、朝7時出勤深夜2時退社。一体いつ寝るかは、渋谷にはカプセルホテルがあったので、5000円以内の宿泊料金なので身銭を切っては泊まっていた。週末にアパートに帰れる幸せときたら、まあ今では通じない出来事だろう。

ピンポイントで隆盛した、ITバブル関連企業諸兄はそんな感じだった筈。届くかどうか分かりませんが、皆さん、ご苦労様でしたと言える。


 とは言え、そんな苦行を見過ごされる筈も無く、品川駅の本社へと強制的に異動させられた。これで抜群の改善かは、通信速度256Kbps位の倍のスピードで、劇的改善かも、組織の活性が2倍になる筈もないので、体感上正直変わらない。


 そんなこんなで、自らのスキルを更に向上させて、スクリプトも業務アシスト機能の添削を次々投下しては、朝8時出勤深夜23時30分退社で、アパートに帰れる努力はする。ただそれも毎週末金曜にはメンテナンスと検証に追われ、どうしても足が出るので深夜2時迄作業はする。

 それならば、またカプセルホテルかも、品川駅にそんなお手軽な施設は無い。あったとしても、駅の向こうのラグジュアリーホテルで、そんな悪夢に挑む筈もない。


 そうなるとタクシーの一択。品川駅から浦安で深夜料金ともなると、片道約1万円になる。まあアパートで眠れるだけましかで、ここでも貴重な身銭を切る。A電材からの補助金は、そんな奴存在する訳ないだろうで、知らんぷりをされる。そりゃあそうだ。


 まあそんなこんなで、おっと財布に、そんなにお金が無いぞは、それなりにコンビニがあるので、深夜でも降ろす事が出来る。

 品川駅名物の長いコンコースを、深夜だから聞こえる靴音を響かせ、品川駅改札付近で酔い潰れている方々を見届ける。そして品川駅の階段を降りて、ただいつものお馴染みのミルク缶のコンビニに到着しては、短いものの疲労から漸くの散歩を終える。

 さてと、品川駅に近いミルク缶のコンビニのディスペンサーに行くと、深夜0時で何故か終わってる事が多い。えっつ、24時間じゃないのかは、当時のディスペンサー保守はそんなもの。

 そうなると…まさかの徒歩帰宅になる。疲れ果てての品川から浦安迄の徒歩。これは大解釈した散歩だと言い聞かせながら、ほぼ力尽きては朝日を浴びての帰宅になる。生涯の着いてなさは、そんな日常の積み重ねで疑問に思わない事が、ただ悲劇だ。



 そして、定例の金曜深夜、また終電超えてしまったので、ミルク缶のコンビニのディスペンサーに行くと、いや、稼働している。おお、これでタクシーで帰れる、深夜の大散歩をしないで済む…いや何だこの違和感。出てきた紙幣が気のせいか少ない。いや初めて見るオリエンタルな紙幣が何故かそこにある、そう、ニュースで見た、あの2000円札がピン札で出てきた。


 その2000円札は、2000年から発行し、小渕恵三内閣総理大臣の発案と、沖縄サミットの記念として発行される。幻の紙幣と呼ばれる所以は、使い方がどうしても分からないのである。その時代の書籍の大半は1000円札があれば足りたり、食料品も然り。CDに至っては3000円なので、ここに2000円札を挟む煩雑さはいらない。


 いや、2000円札をピン札で貰ってもは、平成のコンビニとはまま不思議な事を起こすので、まあそれはそうかで財布にしまう。


 そこから品川駅で、深夜タクシーが溢れる中をピックアップし、取り敢えず浦安迄高速に乗って下さいの指示で、革張りの椅子に沈み、ややまどろむ。

 運転手の声で、浦安の料金所降りましたよで起こされると。浦安特有の曲がりくねった道を進み、帰宅する。そして料金を払うべく、ピン札の2000円札を出すと、照明をつけても二度見される。


「あるんですよね、2000円札」

「使うの初めてですけど。使えますよね」


 不思議な空気の会話になるが、微睡みがまだ強いので、手早く清算し降りる。

 まだ深夜のアパート前で思った事は、この2000円札の意義とはチップ札にしたいのだろうなと。

 今までだったら1000円が、2000円札が出た事で倍になる。これが徹底されれば、日本の儀礼制度は上がり、景気も底上げできるだろうと。


 ただ、ミレニアム初期でのかつかつになって行く生活で、そんなチップ制度が広く普及される事はまずあるまい。そもそも、チップは雑所得として課税される知識はあったので、まず2000円札よりは、非課税の制度緩和だったと思う。

 これは沖縄サミットで、日本も欧米並みになったぞのアピールだろうが、そういう表面的なものは得てして見透かされるものだ。


 今でこそ観光立国日本だが、このチップ制度が優遇される素ぶりはまるで無い。コロナ禍が落ち着いたら、また同じ主旨で、今度こそチップ制度の旗振り役として、2000円札にまた出会いたいものだ。

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幻の紙幣 判家悠久 @hanke-yuukyu

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