いつか月下のもとで

サイノメ

いつか月下のもとで

 突然ふいてきた寒風さむかぜに、わたしは思わず首をすくめる。

 仕事が立て込んできたとは言え、深夜まで作業をしたのは久しぶりだ。

「う〜、ざぶ〜。」

 思わずひとり言をつぶやき、首元のマフラーでしっかりと首元を覆い隠す。

 これで寒さも少しましになった気がするわ。

 ほっと一息ついたわたしは、何気なく遠い空を見る。

 この辺りは高台になっているため、視界を遮る物もないから、遠くに超高層ビルに灯る明かりが見える。

 それは夜の闇を祓うかの様に強い様な気がする。

 事実、みんな闇を恐れている。

 昔起きた災厄の記憶がそうさせると、実家の近所のおばさんも言っていた。

 確かに災厄を経験した世代は極端に闇や一人になることを嫌がっている。

 一晩中照らす明るい光と、親密なコミュニティが富裕層のアイデンティティ。

 一昔前はそうだったという話だけど、それもうなずける。

 事実、わたしの様な災厄後に生まれた世代でも闇を恐ている。

 以前、化学の先生が、人間は闇を克服することはできないと言っていし、現状を見てると、そうなのかも知れない。

 大型施設に街燈、家屋に至るまで、あらゆる建造物が道はおろか空までも照らしている。

 それは電気が普及していった時代と同じく、夜の闇を照らし尽くして安全に夜を越したいとの感情からくる行動なのかもしれない。

 わたしはそれを理解し歓迎しているけど、何か寂しさも感じていた。

 安全と引き換えに、災厄後に取り返したをまた失ってしまうのでは無いかと。

 そんなとりとめもない事を考えていたからか、わたしはすぐ近くに来た人影に気がついていなかった。

「こんばんは。月がきれいですね。」

「ひゃぁっ!!」

 不意に声をかけられ、わたしは飛び上がる程に驚いた。

 そのまま、一歩横へと跳びのいてから相手を視る。

 そこに立っていたのは、見知った人。

 わたしが子供の頃から近所にある古書店『回天堂』の店主のおばあさん。

 普段はどんと構えていて、大概の事にも驚くことが無い人だけど、さすがにわたしの行動には驚いたらしく目を丸くしてる。

「おやおや、あかりちゃん。驚かせてしまったかね?」

 申し訳無さそうに聞いてくるおばあさんに、わたしは愛想笑いしながら大丈夫と応える。

 それを聞いて安堵したのかおばあさんも笑う。

 この人には幼い頃から色々と面倒を見てもらった。

 両親が仕事で不在の時などは、お店の中で遊ばせてもらったものだ。

 その為、書籍文化が廃れつつある現代において、わたしは様々な本に触れてきた。絵本に百科事典、小説。

 特に私が気にいっているのは、今や古典となった明治、大正期に文豪と呼ばれた文筆家たちが書いた小説だった。

 おばあさんはそれを知っているから、あんなふうに話しかけてきたのかな。

「ところで、なんでおばあさんは月がきれいなんて聞いてきたの? まさか夏目漱石の逸話で引っ掛けようとした訳?」

 年寄りには敬意をと思っているけど、子供の頃から家族のように接していたため、どうしても気安くなってしまう。

「たまたまお店を閉たんで、夕食の材料を買いに行こうと思ったら灯ちゃんが歩いていたからね。」

 おばあさんもニコニコしながら答えくれる。この感じなら問題ないかな。

「それに、月がきれいと思ったのは本当だよ。」

 言葉を続けていたおばあさんは空を見上げる。

 わたしも釣られて空を見ると、雲ひとつない空に青白い月が輝いている。

「う~ん。おばあさんには悪いけど、わたしには寒々しくてきれいというより寂しいかな。」

 思わず思ったことをそのまま言ってしまう。

 たまに指摘されるが、不意に思ったことをストレートに行ってしまう時が有るのはわたしの悪い癖。

 しかも今はおばあさんが絶対に怒らないと確信した上でのことだったので、自分のことながらホントに質が悪いと思う。

 とは言え罪悪感が無いわけでもなく、そこまで言った後、コッソリとおばあさんの方を見る。

 おばあさんは怒るでもなく、やはり月を見つめている。

 その瞳は何か悲しみを伝えるように細められていた。

「そうね。確かに寂しいかも。」

 唐突におばあさんが言う。

 思わずわたしは言いすぎたかと思ったが、どうやらそういうことでもない様子。

 わたしはおばあさんに声をかけようと、そちらを向いた時、おばあさんがポンと胸の前で両手で叩く。

「灯ちゃんは、今晩予定とかあるかしら?」

 おばあさんがわたしに聞いてくる。

 こんな時はだいたいお手伝いをお願いされるので、わたしはちょっと返答に困った。

 そうしているとおばあさんはわたしの回答を待たずに話しを進めていく。

「予定は特にないですけど、またお手伝いですか?」

 先に進められる前に、かろうじて確認した。

 前はメチャクチャに重い本の入った箱を運ばされて、翌日は筋肉痛で仕事も厳しかったし。

 確認、重要よね。

「夜のドライブにでも行かないかしら?」

 いたずらっぽく微笑みながら提案してくる。

「……彼氏でもない、おばあちゃんじゃ嫌かしら?」

 こんな時のおばあさんは年齢を感じさせない。

 それどころか、年下の女の子と話している様な錯覚すらしてしまう。

「そうだね~。明日は休みだし、あまり遠くなければいいよ。」

 思わず同年代の友達と話すような口調になってしまった。

 やっぱりおばあさんは不思議な人。


 しばらくの後、わたしは車のハンドルを握って、高架高速道路を郊外に向けて走行していた。

 何人かで手掛けるのでついでに誘われたのかと思っていたけど、車の中はわたしとおばあさんの二人のみ。

 運転手が欲しかっただけなんじゃと思っていたけど、嫌な感じはしない。

 わたしもちょうど少し遠出したかったところだったので、むしろ都合がいい。

 おばあさんは今日のように、相手の気持ちが分かっているかのような提案をしてくる。

 その為か取引相手からそのまま友達になった人が結構いるそうだ。

「そう言えば、おばあさんって友達多いんだよね?」

 わたしは運転の暇つぶしに、前から気になっていた事を聞こうと思った。

「なにかしら?」と返事が返ってきたので、そのまま質問をぶつける。

 さっきも言ったけど、おばあさんには友達が多い。

 だけどわたしは他の人と話しているところを全く見たことがない。(買い物にでかけて店員とやり取りしている時とかは別。)

 なので本当に友達がたくさんいるのかが不思議だった。

 ネットなどにもまだ記述も載っていない情報を教えてくれたりするので、それなりに顔が広いとは思うけど。

「そうねぇ。友達は確かに多いけど色々な理由で、簡単に会いにこれない人が多いから、大体はネットで済ませてるわね。」

 おばあさんは事前に買っておいたのであろう、お茶のボトルの封を切りながら答える。

「たまに会いに来てくれる時は、せっかくのタイミングで他の人に邪魔されたくないから、うまく時間や場所の調整してるわねぇ。」

 もう一本、ボトルの封を切ると、わたしの方のドリンクホルダーへ置く。

 わたしの好きなメーカーのお茶だ。

 こんな風に気づかい出来るから、友達も、多いのかな。

 ……いや、わたしが友達少ないってわけじゃないけどね。

「今晩は、灯ちゃんのために時間を空けようと思って他の人のお誘い断ったのよ。」

「わたしのために?」

 はて、そんな約束していたっけ?

「そうよ。」

 楽しそうにそう告げると、おばあさんは外の景色に目をむける。

 郊外まで来ると都市部と違って建物もまばらだし、なにより深夜なので暗くてよく見えない。

 わたしはふと背中に寒い物が走ったので、慌てて道に集中して運転を続けた。


 ナビゲーションに従い、高速道路を降り山の中のツーリング道路を進む。

 さすがにこの辺りまで来ると、街灯も減りすぐ目の前もかなり暗い。

 自分が運転する車のライトだけが頼りな道のりは、山間部の原っぱへと続いており、そこが目的地だった。

 車が止まるとヘッドライトは自動で消え、車内の電灯が代わりについた。

 ライトが付いたおかげで、わたしはほっとする。

 完全な暗闇なんて耐える事はできない。

 恐る恐る外を見回しても遠くに木がうっすらと見える程度でよく見えない。

 こんな所へ何故来たのかとおばあさんに聞こうと思って、助手席を向いた。

 そのまま、わたしは凍り付く。

 そこにおばあさんは座っていなかったから。

 混乱する意識の中、自分がいもしないおばあさんと会話して自分でここまで来てしまったのかと思うと愕然とする。

 そんな突然の事態にあたふたしていると不意にドアがノックされる。

「!!っっーーーーーー?!?!?!」

 声にならない悲鳴を上げ縮こまっていたが、恐る恐る窓の方を見る。

 ゾンビとかそんなのがいたら嫌だと思いつつ見上げた先には、驚きながらも心配しているおばあさんの顔が有った。

「はぁぁ~。良かったよ~~。」

 心の底から安どしたわたしは窓をあけておばあさんに話しかけた。

「話しかけても返事しないから、先に出て待っていたんだけどね? 怖い鬼婆にでも視えたかい?」

 やさしく語り掛けるが、チクリと皮肉が混じっていたことをわたしは後から気が付いた。

「それより外に出てきなさい。いいものが見えるよ。」

 おばあさんがわたしに促す。

 正直暗闇は怖いし、周りに何も無いように見える。

 そんな中で外に出る理由は何だろうか。

 わたしは自問を繰り返しているが答えが出ない。

「暗いのが怖いなら目をつむって出てくるといいよ。暗いことには違いないが少しはましだろうて。」

 おばあさんが手に持ったランタンを持ち上げながら話す。

 このまま、うだうだしていても話が進まない。

 わたしは小さな勇気を振り絞り目をつぶると、ドアを開け外へ出た。

 そんなわたしの手を誰かが掴む。

 その感触からおばあさんの手だとわかる。昔からよく握ったことがある暖かく優しい手。

「そうそう。なら準備するから、少しアゴを上げた姿勢でいなさい。」

 おばあさんはそういうとわたしの手を放し何かゴソゴソと作業をしていた。

「さあ、目を開けていいよ。」

 おばあさんが語り掛ける。

 それを合図に恐る恐る目をあける。

 そこに広がるのはよく見る何もない夜空。

 その予想とは逆さまの光景。

 大小さまざま光を放つ星々。

 月もいつもより明るく見える。

 その光景に興奮したわたしは思わず驚きの声をあげていた。

「スゴイスゴイ!!星空がこんなに明るいなんて思ってもみなかった!」

 その言葉におばあさんがゆっくりと話す。

「灯ちゃんが気にしていたのはこんな景色がなくなることじゃあないのかな?」

 わたしは思わずおばあさんを見る。

 おばあさんも空を見上げていた。

「人は同じ過ちを繰り返すって言うけど。厳密には同じではないのよ。」

 よく見るとおばあさんの目じりが星の光を受けてうっすらと光っているように見えた。

 そして色々な事を語ってくれた。

 人の歴史は繰り返しではなく螺旋構造である事。

 同じに見えても前回とは異なる結果が待っている事。

 災厄の原因であるの事。

 人々がそれを克服してきた事。

 今でもそれに立ち向かっている人の事。

 多くの話をまるで見てきた事の様に語るおばあさんは別人のように見えた。

 わたしは改めて夜空を見上げる。

 わたしの中で何かが決まった気がした。


 夜が明け行くころ車は回天堂の店先に到着した。

 回天堂はいつ見ても古くて狭い店構えだが、この何処に車を保管しているのだろう?

 そんな疑問があったのだが、わたしはおばあさんに促され自宅へ戻ることにした。

 色々と不安はあるけど、困難に立ち向かい克服できることはあると思わされた、夜の長い散歩だった。


 回天堂の店の奥。

 老女は個人の部屋に戻るとジャケットを脱いだ。

 無造作に座椅子にかけると、改めて周りを見渡す。

 見渡す限り埋め込まれたモニターにはこれまであった人々が映し出されていた。

「わたしの大事な友達の意思は、俺が引き継いでいるから安心して。」

 誰もいない部屋で老女はひとり呟いた。

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