fairy tale 4:運命の分かれ道

紫月音湖*竜騎士様~コミカライズ進行中

第1話 名前で呼ばれるのはいつぶりだろう

 あの日もこんな満月の夜だったな、と。

 そんな感傷的な気分になったのは、アイツと接する時間が増えたからだと確信する。


 かくりよの境界線が不意に揺らいだから、何事かと思い開いた扉の向こうに、アイツが雨宿りしていた。普段なら自ら接点を作ることもないのに、アイツの顔を見ていたらなぜか懐かしい気持ちが滲んで、気付けば自ら店に招き入れてしまった。


 悠久に近い時を生きるあやかしたちにとって、この店に置いてある本は娯楽のひとつだ。本の中に入り込み、その物語を登場人物のひとりになって楽しむことができる。

 そう、この店を訪れるのは人間ではない。人ならざるもの……それはあやかしであったり、生前人であったりした者たちばかりだ。


 俺が先代から店を継いでから、人間が来たのはアイツが初めてだ。

 光に満ちた瞳。血の通うあたたかな肌。生命いのちをぎゅっと凝縮した、眩いばかりの塊はさながら太陽のように俺を突き刺して、長らく忘れていた「人間」としての自分をむりやり叩き起こしてしまった。

 いや、「人間だった頃の俺」だ。


 随分と長いことこうしているから、がいつだったかはもう覚えてはいない。

 ただ、今よりもずっと町は暗く、空は明るい時代だった。

 誰もが寝静まった深夜、松明の灯りに照らされて、ひとりの男が立っていた。あるいは女だったかもしれないし、子供だったのかもしれない。今だからわかるが、が人間ではないことは確かだ。

 は俺に、一冊の和綴じ本を手渡してきた。何も書かれていない赤い表紙はところどころすり切れていて、多くの者がこれを読んだことを物語っていた。


 警戒すべきだったと思う。

 結局俺は不用意に本を開き、その結果、本に喰われてしまったのだ。


『おやおや、これはいけないねぇ』


 そう言って俺を本から掬い救い上げてくれたのは、あやかしと同じくらい不思議な術を使うひとりのおきなだった。体のほとんどを奪われた俺の存在を常世とこよに留めるため、彼はかろうじて残っていた俺の魂をより集めて再び命を吹き込んでくれた。


 常世とこよの闇を照らすほどの、明るい満月の夜。

 深夜の散歩の帰り道、俺は人間から彼の「式神」として新たな道を進むことになってしまった。



 ***



 物語を実際に体験できる不思議な本を扱う、ここはかくりよの本屋fairy tale。

 顧客は全員、人ならざるものばかり。そんな本屋にある日突然訪れた人間の女は、怖いもの知らずの暢気なド天然。久しぶりの生命の輝きに、俺の「人間」だった頃の部分がざわざわ騒いで落ち着かない。もうとっくに「ひと」であった自分は捨てたはずだと思っていたのに、そんな俺の心情など知らないアイツは、今日も眩しすぎる輝きで俺の目の前にいる。


「お兄さん。今日は私、一大決心をしてきたんです!」


 本屋の二階。誰もいないカフェのカウンター席に座る女に、俺は今日もコーヒーを淹れてやる。そういえば管狐くだきつねからもらった菓子があったな。何っつったか……マキロン? 傷に効きそうな名前のわりにカラフルで小さい菓子は、女が好みそうな見た目をしている。何だかんだ店に入れて、こうやってコーヒーと茶菓子まで出してやるなんざ、俺も相当ほだされてんだろうな。

 あるいは、俺が失った「人間」の輝きに惹かれているのかもしれない。


「ショップカードを手放す決心か?」

「違います! カードは返しませんし、ここにだってまた来ますからね」

「何でそう、ここにこだわる? お前にとって、ここはいてもあまりいい場所じゃないぞ」

「お兄さんとは出会うべくして出会った気がするんですよね。何でかよくわかんないんですけど」

「曖昧すぎだろ」

「それでですね、最初の話に戻るんですが」


 小皿に乗せたマキロン(もしかしてマクロン?)を完食してから、女が椅子に座ったまま姿勢を正した。何度か口を開いて、閉じて。気持ちを落ち着かせようとしたのか、残っていたコーヒーを飲み干してから、若干照れたような表情で俺を見る。


「私、チトセって言います! お兄さんの名前も教えて下さいっ」

「名前?」

「はい! そろそろお名前を教えてもらいたいなって。なんて呼べばいいのか、ずっと迷っていたので」

「っていうかな、お前……そう軽々と名乗るなよ。縛られるぞ」

「えっ! お兄さん、まさか縛る趣味が……」

「違ぇよ! 俺らの中には名前を呼んでソイツを操る奴もいる。大体お前はこっち側で暢気すぎんだよ。少しは警戒心を持て」

「お兄さんはそんなことしないって、わかりますもん」


 その信用がどこから来るのか、向けられている本人すら謎なんだが。


「馬鹿みたいに俺を信用しすぎだ」

「確信に基づく信用です! 雨の日にお店に入れてくれたし、危ない本から守ってくれたし、こうしておいしいコーヒーを飲ませてくれてます。お兄さんが悪いこと考えてるなら、私はとっくにおだぶつですよ!」

「おだぶつって……」

「私の勘、わりと当たるんですよ。50パーセントくらい。だからお兄さんは善人です!」

「半々じゃねーか!」

「半分もあれば十分ですよ。だから教えて下さい、名前」


 どうしたもんかと、低く唸る。無意識に前髪を掻き上げると、眼鏡越しにこちらを見る、少し落胆したような眼差しを直視してしまった。


「……だめ、ですか?」


 名乗ったところで、それは本名ではない。名前など、もう忘れてしまった。

 けれど。



『すまないね。もう少し早く助けられたらよかったんだけど』



 ふとよみがえった記憶の端で、おきなが笑う。


『お前は今日から私の式神だよ。そうだね……名前は……にしようか』


 脳裏のおきなと同じく、自然と笑みがこぼれてしまった。

 術の腕は一流だったけれど、名付けに関してはセンスがなかったなと苦笑する。


「お兄さん?」

「……シキ」

「え?」

「俺の名前。シキ、と呼べばいい」

「……シキ、さん。……はいっ、シキさん! ありがとうございます!」


 生きた人間から名を呼ばれるのは、いつぶりだろうか。

 こそばゆい感情に、胸の奥が少しだけあまく軋んだ気がした。


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