黙示録─後編
「隠れてないで、出て来たらどうだ」
俺の言葉で、窓際のカーテンが揺れる。
浮き上がるように現れたのは、例の老執事だった。
「……なぜ分かった?」
不気味な笑みを浮かべながら、執事が呟く。
最初に出会った時とは、まるで別人の顔つきだ。
「それだけ殺気を匂わせていれば、犬だって気付くさ」
俺は、軽く肩をすくめて言った。
「きさま、ただの神父じゃないな……何者だ?」
そう言って、執事は俺の顔を眺めた。
「だからさっきも言ったろ。ただの
「ふざけるな!」
俺が軽くいなすと、たちまち執事は血相を変えた。
見た目と異なり、ドスの効いた声だ。
「お前さん、悪魔だろ」
ポロリと放った俺のひと言に、執事の目が大きく吊り上がる。
そこには、明らかな動揺の色があった。
「あの時の咆哮ですぐに分かった。アレは、お前さんが吠えたんだろ?」
俺はここに来た時、館内から響いた肉食獣の声を思い返した。
あれは、悪魔に憑依された人間のものでは無い。
悪魔そのものが放つ、歓喜の雄叫びだ。
「きさま、何を……!」
途端に、執事が言葉を詰まらす。
「悪魔の遠吠えは、聴き慣れてるもんでね」
俺の指摘が
そして、ギョロリとした目で俺を睨みつけた。
「お前さんが今回の件の黒幕なんだろ?ここの主を精神誘導で操り、自分に悪魔が憑依したかのように思い込ませた。狙いは、そう……広域防衛システムの開発妨害といったところか」
俺はしたり顔で、淡々と語った。
警戒心で固まっていた執事の顔が、次第に歪み始める。
「ふん……そこまでお見通しとはな」
やがて、吐き捨てるように執事は言った。
「ご明察だよ……コイツの防衛システムが完成すると、戦略兵器の大きな抑止力となる。そうなれば、この世から戦争という紛争手段が無くなってしまう。それは非常にマズイ」
そう言い放ち、執事は引き
「俺様は、人間が殺し合うのを観るのが好きでね。戦争、テロリズム、大量処刑……数が多けりゃ何でもいい。憎悪と怨恨にまみれた死者の魂が、一気に手に入るからな……だから、コイツのような平和かぶれした奴がいては困るのさ。俺様の食事の邪魔になるんだよ」
「それで、お前さんが手を貸したって訳か」
俺は特に驚いた素振りも見せず、あっさり返した。
「だが、なんで憑依しなかったんだ?乗り移って操る方が、手っ取り早かったろうに」
俺の問いに、執事は主の胸元をチラリと見た。
そこには、小さな十字架の首飾りが掛かっていた。
「……なるほど。そいつのせいで、手を出せなかったんだな」
俺は納得したように頷いた。
さすがの悪魔も、
下手に憑依しようものなら、聖なる業火でバーベキューにされてしまうからだ。
だからこの悪魔は、遠隔から精神に干渉する方法をとったのだ。
「コイツの頭がおかしいとなれば、開発したシステムそのものにも疑いの目が向く。本当に使えるのか、どこか大きな欠陥があるんじゃないか……防衛省の奴らもチェックしたいが、開発者本人がおかしくなっちまったらどうしようも無い。開発は頓挫し、防衛システムも完成しない。そして人の争いは、まだまだ続くって訳だ!」
陶酔した表情を浮かべ、執事は演説を続けた。
「放っておいても、人間はいつかは死ぬ。ただ漫然と死ぬより、俺様のエサとなった方が、奴らも幸せってもんだ。だから、協力してやったのさ。それのどこが悪い!?」
口から泡を飛ばしながら、男は激白した。
「ちっとも悪くは無いさ。悪魔なら当然の理屈だ」
俺は肩をすくめて言った。
「……だがそれでも、俺はお前を野放しにはできない。悪いが、消えてもらうぞ」
そう言い捨てると、俺は静かに片手を上げた。
全身から黒い
邪悪で
「そ、その力……まさか、お前は!?」
金切り声を上げる執事の顔が、恐怖に歪む。
その途端、老人の姿が全く異質なものへと変貌した。
真っ赤に染まった両眼──
耳元まで裂けた口──
肌が緑色に変わり、頭部に巨大なツノが突き出る。
そして背部からは、
それはまさしく、悪魔と呼ぶに相応しい姿だった。
ギィェェェェェーっ!!
聴き慣れた咆哮を放ち、その異形が飛びかかってきた。
俺は慌てる事無く、上げていた手の指を鳴らした。
パチン
次の瞬間、俺のまわりで渦巻いていた靄が、悪魔の体に巻き付いた。
首、頭、両手、両脚……
くるくると回りながら、全身を覆っていく。
ギャァァァァァァっ!!
悪魔の放つ断末魔の叫びが、空気を切り裂く。
「な、なぜ……こ、こんな……事を……!?」
息も絶え絶えに、言葉を絞り出す悪魔。
「約束なもんでね……悪く思うなよ」
俺は、ゆっくりと手を下ろしながら言った。
靄は
老執事の姿はどこにも無い。
全てが、ほんの一瞬の出来事だった。
床に残った焦げ跡を踏み締めながら、俺は小さく囁いた。
「灰は灰に……
************
ルシファー
それが俺の本当の名だ。
こう見えて、七十二柱の魔神を従える魔王だ。
なんで悪魔が、悪魔を殺すのかって?
そりゃあ、契約したからに決まってる。
俺の契約者は、なかなかユニークなヤツだ。
あの防衛省の若造には悪いが、実は人間に未来など無い。
人類滅亡は、もはや確定事項なのだ。
その時期を予言した俺の契約者は、それが不可避と悟ると次の手を打ってきた。
人の心の闇に悪魔がつけ入らぬよう、俺と手を組む事にしたのだ。
契約者の死後、人の世に悪魔が介入できぬように……
いわゆる、『毒を以て毒を制する』ってやつだ。
「人が滅ぶのは、人の手によってでなければならん。そこに悪魔が関与してはならない」
ヤツが、契約の理由として述べた言葉だ。
俺は、その台詞がえらく気に入った。
人が人を滅ぼす様を、見てみたいと思ったのさ。
だから、ヤツと契約する事にした。
俺の目を
それが、ヤツと交わした約束だ。
以来、人に身を変え、
この世に残された、最後の切り札として……
あれから二千年が経つ──
ヤツの予言では、人が滅ぶまであと数年らしい。
何とかいう国の、何とかいうヤツが、【核】とやらのボタンを押してしまうそうだ。
それで一気に、ドカンだ。
ヤツは確か……『審判の日』とか言ってたな。
その後は、死滅した人間の魂を、俺が好きなだけ貰う事になっている。
ヤツのおかげで、平和ボケした人間はなす
自らの行いを正当化し、全てを他者に責任転嫁したまま……
こうなったのは、国のせい、政府のせい、政治家のせい、軍隊のせい、兵器を作った企業のせい、こんな世の中にしたどっかの奴らのせい、こんな世に産んだ親のせい……
そして、トドのつまりは【神頼み】だ。
自分は毎日欠かさず祈っている──
だから
世界が滅びても、自分だけは助かるはず──
全く……身勝手な話だ。
ただまあ、俺にとっちゃ都合がいい。
私利私欲にまみれた魂は、質がいいからだ。
たった二千年待つだけで、それが大量に手に入るのだ。
だから、こいつは悪い話じゃ無い。
まあせいぜい、その日までは護ってやるさ。
それにしても、人間てやつは……
面白え、生きもんだ。
「なあ、アンタもそう思うだろ?……イエスさんよ」
俺はそう呟くと、契約者──今では聖人と称されるキリストの顔を思い浮かべた。
最後の闇祓い〈エクソシスト〉 マサユキ・K @gfqyp999
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