黙示録─中編

あるじの体調が急変したのは、今から二か月ほど前だ。


最初は、幻覚から始まった。


屋敷にいても、勤務をしていても、時折誰かの視線を感じてしまう。

いつも物陰から、じっと自分を見つめているのだ。

黒いローブをまとい、顔はフードで隠れて見えない。

何度か後を追った事もあるが、決まって見失ってしまった。

同僚に確認しても、誰もそんな者は見ていないと言う。

そのうち、自分は幻覚を見ているのだと自覚するようになった。


疲労のせいかと思い休養をとるが、一向に戻らない。

医者に相談し、薬を処方されるが、全く効果が無い。

それどころか、次第に頻度は上がり、ついには四六時中目にするようになった。


何をするでも無い。


ただ、じっと見ているのである。


そして、ある時──


ついに、そいつが話しかけてきた。


「どうだ?救世主になった気分は……」


「な、何っ!?」


唐突な質問に、主は驚いて問い返す。


「お前の作ったシステムで、争いが無くなる。多くの命が失われずにすむ。文字通り、お前はこの世を救う救世主になる訳だ……さぞや、いい気持ちだろう」


嘲笑混じりに男は言った。

どことなく、声だった。


「な、何を言う!?私はそんな……」


主は、一瞬言葉を詰まらせた。

突然話しかけたかと思えば、とげのある皮肉を放ってきた。


一体、何なんだ……こいつは!?


「注目されたい、尊敬されたい、英雄ヒーローと呼ばれたい……それがお前の本心さ。善人づらして、名声のためなら何でもする……所詮、無駄な努力だと知りながらも」


「バカな!私は純粋に、この世から戦争を無くしたいだけだ。人が安心して暮らせる世界を作りたいだけだ」


なおも非難の言葉を口にする男に、主は声を荒らげて応戦した。


「それが無駄だと言うんだ!どう足掻あがいたって、この世から争いが無くなる事は無い。ミサイルが使えなくても、手榴弾や地雷がある。機関銃が使えなくても、ナイフがある。全ての武器が無くなっても、がある。どんな手を使ってでも、相手を倒そうとする……それが、人間て奴さ。殺し合う事が、好きで好きでたまらん生き物なんだよ!」


「……や、やめろ」


主は全身が震え出すのを感じた。

この男の言っている事は、自分の主義とは全く相反している。

自分がこれまでやってきた事を、根底からくつがえすものだ。


だが……


「お前のやってる事は、単なる自己満足でしか無い。自分が良く見られたいがための、パフォーマンスに過ぎない。身勝手な偽善者なんだよ、お前は!」


「ち、違う!……そんな事は……」


こんな男の言葉を許容できる訳が無い。

自分は人の善意を信じてきた。

平和こそが、人間の最も崇高な理念だと信じたからこそ、このシステムを作り上げたのだ。


だが……


この男の言葉には、その信念を曇らせる何かがあった。

心の奥底に封印していた感情──疑念や不信感といった負の感情が激しく湧き上がってくるのを感じる。


人は殺し合うのが好き……


自分のやっている事は無駄な努力……


何をやっても争いは無くならない……


「お前のシステムなど、何の役にも立たない。何も防ぐ事はできない。結局、お前は……なんだよ!」


「やめろぉっ!」


主は叫んだ。


心の中で、音がした。


気付くと、驚くほどの俊敏さで男に飛び掛かっていた。

だが、男は避けようとはしなかった。

主の手が胸元を掴むと、反動でフードがまくれ上がった。

そこに現れた顔を見て、主の全身に衝撃が走る。


それは紛れもなく、


「ふふ、分かったか……そう、俺はお前だ。お前のよこしまな心が生んだ幻影が、俺なんだよ」


こいつが……私の……心……?


「お前に俺が見えるって事は、お前の心が歪んでるあかしだ。どう取りつくろっても、お前の本質は変わらない。独善的で利己主義な本質は……」


勝ち誇ったような笑みを浮かべ、男は続けた。

一方の主は、黙ったまま呆然と宙を見つめる。


「さあ、素直になれ。お前だって、本心は争いなんて無くならないと思ってるんだろ?こんなもの作っても、無意味だと分かってるんだろ?」


争いは……無くならない……


確かに……このシステムで平和に貢献できるという保証は無い。

この男の言うように、別の手段で紛争が起こる事もあり得る。


どうしたって……その可能性は否定できない……


「こんなもの役に立たない。お前の虚栄心が作り出した、ただのガラクタだ。認めろよ。本能に従え!」


本当に……私のやっている事は無意味なのか?


システムを開発して、満足したかっただけなのか……?


単なる、私の自己満足なのか……?


私は……私は……


こんなものを、!?



「……それは違う」



突然背後から、落ち着いた男の声が響く。

反射的に振り向くと、ひとりの神父が立っていた。


この顔……どこかで……


「……神父……さま……?」


ポツリと呟く主の言葉に、神父はニッコリ微笑んだ。


「その男が、よこしまな存在というのは正解ですが……あとは全て虚言に過ぎない。あなたの心を弱体化させるための、ですよ」


「き、貴様……どうしてここに!?」


唐突に出現した神父に、皮肉な笑みを浮かべていた男の顔が引き攣る。


「決まってるじゃないか。お前を退治しに来たんだよ」


とその神父は、何食わぬ顔で答えた。


「バカな!ここは俺様が、こいつの心に植え付けた妄想の世界……ただの人間が、入り込めるはずは無い」


「まあ、俺は闇祓いエクソシストだからな」


信じられないといった表情の男に、神父は肩をすくめて見せた。


「そんな……ありえん……」


なおも呟きながら、男は神父を睨みつける。


「確かに、この世から争いを無くすなんて事は不可能だ。人により主義主張が異なる以上、必ずどこかで軋轢あつれきが生じる……だが、それで争いが起こったとしても、それはであってでは無い。人が闘う理由は、常に何かを守るためだ。それは家族であり、仲間であり、国や民族の場合もある。どんなに無慈悲で悲惨な争いの最中さなかでも、人は子をもうけ、次世代に望みを繋いでいく。子孫繁栄を願う心こそが、人間の本質なのさ」


「……手段……本質……子孫繁栄……」


朗々と語る神父の声を、主はうわごとのように繰り返した。


「あなたのやっている事は、間違っていませんよ。それによって救える命が僅かだとしても、その者たちの子孫をもあなたは救った事になる。あなたの作るシステムは、未来をつくる事ができるのです」


「……未来を……つくれる……!!」


神父を眺める主の顔が、次第に赤みを帯びてくる。

迷いが薄れていくのが、その表情から読み取れた。


「貴様っ!余計な事を……!」


鬼の形相で神父を睨みけながら、男が吠える。


「もういいさ。に、これ以上話す事は無い……さっさと消えろ」


そう言って、神父は静かに手をかざした。

次の瞬間、今まで喋っていた男の姿が一瞬で消え去る。

物音一つせず、文字通り霧のように消失したのだ。


神父は手を下ろすと、唖然とする主の方に向き直った。


「もう大丈夫です。


その声に安心したかのように、笑みを浮かべる主。

そして、そのまま深い眠りへと落ちていった。



************



主の安らかな寝顔を眺めながら、俺はその額に当てていた掌を外した。


これでいい──


心に巣食っていた闇は消えた。


何者かが、この人物を精神誘導マインドコントロールしていたようだ。

潜在意識にもぐり込み、その最も弱い部分を攻撃したのである。

今回は、俺も同じ土俵──つまり、主の意識下に潜入し、幻影を打ち払う事に成功した。

次に目覚めた時は、以前の状態に戻っているだろう。


「さてと……」


俺は軽く手をはたくと、に目を向けた。


その瞳は、怪しく輝いていた。

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