【KAC20234】真夜中のお茶会

草群 鶏

真夜中のお茶会

 新しく住み始めたまちの、初めて一人暮らしをするアパートの近くには空き地に毛の生えたようなささやかな公園があって、誰かが置き忘れたのか椅子が三脚と、その場に不似合いなほど立派な桜の木が一本だけ立っている。駅から自宅への最短経路からはすこしはずれるのだが、花の重みに揺れる枝ぶりがあまりに見事なので、ここ数日はまわり道をして公園でひと息ついてから帰宅することにしていた。

 進学を機に手に入れた、門限どころか誰の目もない暮らし。夜中に出かけようが咎める者はいないわけで、だからお湯を注いだカップラーメンを持って散歩に出ることにした。

 背徳の二重奏。これをあの桜の下で食べるのだ。

 ひんやりした夜気も肌を刺すほどではなく、どこかの庭の花の香りがまじっていて、ことさらに気分を浮き立たせる。ああ俺は、全力で青春を、春を満喫しているぞ。

 三方を民家で囲まれているから、公園そのものもなんとなく部屋のようなかんじがする。明かりは道路ぞいの街灯くらいだが、ぼうっと光って見える大きなものがあるせいで、見た目にほんのり薄明るい。

 散りはじめの桜は、すこし青ざめてみえた。

 一番大きな椅子を根元に寄せて腰掛けると、ちょうど花天井になる。ほどよくのびてぬるくなったラーメンに花びらが貼りつくが、持参の箸で気にせず啜った。風が起こり、街灯がしぱしぱとまばたきして、足元の花びらもつむじを巻く。カップを持つ手にすこし力が入った。

 住宅街の夜は静かだ。視界が心もとないぶん、耳も聡くなる。だから、ほとほととかろやかな足音にはすぐに気づいた。

 どこからかあらわれたこどもが、目の前の椅子にひょいと腰掛けた。

 背丈は俺の半分くらいだろうか、こどもがこんな時間に出歩いていること以前に、どうもサイズ感がおかしい。等身と全体の大きさが合っていないのだ。この見た目にしてはひとまわり小さい気がする。

 麺を上げ下げしつつ様子を窺っていたら尻尾が出た。比喩ではなく、茶色くて先だけ黒い尻尾がぼそっと座面からはみ出したのである。

(ふうん)

 春だし、桜は満開だし、まあこんなこともあるだろう。

 尻尾つきのこどもは、これまたどこからか風呂敷をひっぱりだして足もとにふわりと広げた。人差し指でびしびしと指さすたびに急須や湯呑、土瓶が出現してほうと湯気を吐く。あまりのことに、思わず首を前に出して見入っていると、不意に顔がこちらを向いた。

「だれ?」

「おれ? りょうすけ」

「りょうすけか」

「きみは?」

「ほまれ」

「ふうん」

 聞いたわりにあんまり興味がなさそうなのはお互いさまか。そう思っていたら、次の質問が飛んできた。

「こんなとこでなにしてるの?」

「え。こ、これ」

 反射的に手にしていたラーメンを掲げてみせると、こどもはふんふんと鼻を鳴らした。

「うまいもの?」

「ああまあ、だいぶのびてるけど。食べてみる?」

「うん」

 あ、と開いた口に箸を寄せる。こどもはちゅるっと小気味いい音をたてて麺を吸い込んだ。

「しょっぱい」

「そうだろうね」

「でもつるつるはおいしい」

「麺のことかな」

「めん。そう」

 頷いたと思うとぱっと身を翻し、風呂敷のそばにひざまずく。

 いくらか危なっかしい手付きで土瓶を傾け、茶器をあたため、急須に謎の葉っぱをつかみ入れて蓋をする。どうやらお茶を淹れてくれるらしい。お礼のつもりだろうか。

「は! そうだ」

 ふたたび、びしと風呂敷の中央を指さすと、朴の葉にのった小ぶりな餡子玉が現れた。これですべて揃ったようだ。しばらく尻尾をゆらゆらさせながら急須をにらむ。

「よし」

 そうしてつるりと湯呑に注がれた液体は、ほんのりと金茶の水色すいしょくに、ちょっと覚えのない薬じみた香りを漂わせていた。

「どぞ」

 きちんと茶托に載せられた湯呑など、ばあちゃんちで見て以来だ。重たそうなのでさっと取り上げ、ひと口含んでひっくり返る。

「にが!」

「そうかな」

 淹れた当人も首を傾げながらひと口、途端に尻尾が三倍ちかくまで膨らんだ。感想は聞くまでもない。

「体にいいものはおいしいって言ってたのに」

「誰が」

「おかあちゃん」

「何入れたの」

「体にいいものいろいろ」

 おおかた薬草の類だろうなと見当がついた。ぺしゃんこになった尻尾がちょっとかわいそうだ。

「でも、こっちはぜったいおいしいからたべて」

「いただきます」

 勧められた餡子玉を一粒とって口に放り込むと、なめらかな舌触りからほろりとした甘さがしみた。しっかり噛むと隠れていたなにかがぷちぷち音をたてて、とてもたのしい。

「うまいね」

「うん、おとうちゃんがつくった」

 自らも手にとって食べながら、苦いお茶を啜って顔をしかめる。そのたびにふくらむ尻尾をニヤニヤと眺めながら、俺も最後までお茶を飲みきった。

「餡子と合わせたら意外にいけるね」

「おせじはいいよ。練習する」

 こどもは憮然とした様子で風呂敷を畳みはじめた。

「かえるの?」

「かえる。あんまり長くいると気づかれる」

 家族には内緒で出てきたらしい。こっそり上達して、みんなをあっと言わせたいのだという。

「今度はおいしいの淹れるから。まってて」

「わかった」

 挑戦的なまなざしについ頷いてしまったが、今度っていつだろう。

 ざあと風が吹き、花弁の通り雨が降る。こどもはいつの間にか姿を消していて、残ったラーメンはすっかりのびてしまっていた。


 *


 数年後、近所に新しくカフェがオープンした。いわゆる薬草茶と甘味が売りの店で、〈ほまれ〉という名は店主の名前が由来だという。

 これは、と思って覗いてみると……。

 いや、この話はまた今度。

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【KAC20234】真夜中のお茶会 草群 鶏 @emily0420

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