深夜の公園には吹き上がる風がある

とは

第1話 深夜の公園には吹き上がる風がある

 引きずり歩くこの足と体が、いっそこのまま擦り切れてなくなってしまえばいいのに。

 口から零れ落ちたのは、ため息か息苦しさから出たものか。


「お母さん怖い! 最近ずっと不機嫌で怒ってばかりじゃない!」


 生意気盛りの小学生三年生の娘、まひるにそう言われ、かっとなり思わず私は叫んでしまう。


「うるさい! 仕事が終わって帰ってきたらすぐに家事。私だってあなたのためにどれだけっ……」


 言葉をかろうじて止める。

 涙をいっぱいにためた娘の姿が目に入ったからだ。

 とにかくこの感情を鎮めようと、まひるから離れ洗面台へと向かう。


 最近の自分はどうもおかしい。

 やたらイライラとしてしまうし、体力の低下からか息切れをすぐに起こしてしまう。

 仕事のストレス、それに加齢が影響しているのかもしれない。

 気分を落ち着けようと顔を洗い、見上げた先には、おさまらない怒りを目に宿した自分の姿。

 ぎょろりとした目で見つめる私はまるで鬼だ。

 娘はさぞ怖かったことだろう。


 いま戻れば、またあの子を傷つけてしまうかもしれない。

 いつも以上に時間をかけ、風呂に入った私はリビングに戻る。

 どうやら娘は、自室に戻ったようだ。

 ほっとして眠気を待つものの、なかなかおとずれる気配がない。

 明日も仕事だが、このままでは眠ることも難しそうだ。

 ふらりと立ち上がり、私は車の鍵を手に玄関へ向かう。

 

 体力の回復を図るためにも、運動は大事だ。

 そう考えここ数日は、毎晩のように散歩をすることにしている。

 車を走らせること数十分。

 自分の勤務先の食堂の駐車場に車を停め、近くにある公園へと向かう。

 けだるい体を、前へと進めていくことしばし。

 大きめのビルで隠れているが、その角を曲がればすぐに公園の入口だ。


 ここは住宅街から離れ、工場や会社が立ち並ぶ地域。

 つまりは夜はめったに人が来ない場所なのだ。

 この先にあるのは、ベンチとクジラの形をしたすべり台があるのみの小さな公園。

 クジラの中は空洞になっており、私はいつもそこで少しだけ泣く。

 そうして、涙が止まったら帰るのだ。

 ここならば、泣いていても誰にも迷惑がかからない。

 そう思い歩く私の耳に、いつもの静寂ではなく、なにやらブォォンと風のような音が聞こえてくる。

 自分の周りは無風。

 そしてその謎の音は、私の目的地である公園から聞こえてきている。


 帰るべきかと思うものの、ささくれた心には『なぜ自分が帰らねばならぬ』という妙な意地が生まれてきていた。

 危なそうなら帰ればいい。

 そう思いビルの角を曲がり、入口に立った私は、その音の原因を確認すると同時に公園に背を向け車へと向かう。

 ……はずだった。


「待ちたまえ、ご婦人!」


 ご婦人に該当するのは、非常に残念だが私しかいない。

 走り去ってもいいのだが、今の自分にはその体力はなかった。

 仕方なく背中を向けていた人物へと、私は向き直る。

 私の視線の先、クジラのすべり台のてっぺんに一人の男が立っていた。

 クジラの内部に、送風機か何かを仕込んでいるのだろう。

 なぜだか白衣を着たその男は、下からの吹き上がる風でマントのごとくそれをたなびかせていた。


 音の原因はこれか。

 白けた目で私は男を見つめる。

 人差し指と中指をまっすぐに立て、自分の眉間に添えた男は私へと口を開いた。


「なぜあなたはここにいる? それは僕の言葉を耳にするため! ……ってちょっと待って、まだ大事な部分が語れていないからぁ!」


 なぜ私がそんなことを聞かねばならない。

 踵を返し帰ろうとする私の背中から、男の焦った声が聞こえてくる。


「仕方ない、ちょっと本気を出そうか。ふんっ! って痛ったぁい!」


 ざざぁと砂をこすったような音に思わず振り返れば、白衣男がすべり台の横でうずくまっている。

 発言と直後の音を聞くに、そこから飛び降りて着地に失敗したといったところか。

 男は私以上によろよろとした足取りで、こちらへやってくる。

 その姿に何だか同情を感じた私は、その場で待ってやることにした。

 随分へっぽこな行動をしているが、間近で見るとなかなか顔立ちの整った男だ。

 年は三十代後半だろうか。

 外ハネのミディアムヘアの毛先には砂が付いている。

 一体どんな激しい転び方をしたのだろう。


「ふぅ、……ふぅ。ご婦人、涙は心の汗と言いますが、あなたの涙はもっと違う場所で綺麗に流すべきだ」

「はぁ、いったい何を言って……」


 話の途中で私は気づく。

 この男は、なぜ私がここで泣いているのを知っているのだ。

 いつも周りに人がいないのを確認してから泣いていたのに。


「な、なんで、私が泣いているのを知って……?」

「ふふふ、ご婦人。女性が涙を流しているのを知り、黙ってみていられるほど男という生き物は愚かではな……」

「ごらぁぁぁ! そこにいたのか、かなよぉぉぉぉ!」


 ブンブンと風音が鳴り響く中、それすらもかき消さん大声が頭上から降ってきた。


奏世かなよ! てめぇ、仕事さぼった上に会社の備品の送風機を勝手に外に出すんじゃねぇ、……ってあれ? 誰かいる」


 驚いて顔を上げれば、公園に隣接したビルの非常階段から一人の男性が私達を見下ろしていた。

 男性はそのまま階段を下りて、私達の元へとやってくる。


「ん? あなたこの先の食堂の人だよね? 確か斉藤さんだっけか」

 

 その言葉と共に近づいてきた人の顔を見た私は、思わず「あぁ」と声が出る。

 この人は勤務先の食堂によく来る人だ。

 早めの夕食なのか、私の退勤間際の夕方ごろによく数人でやってきている。


「仕事前にいつもお世話になって。うちの会社はこの時間まで仕事だから、あそこでご飯食べるのがちょうどいいんだよねぇ。あ、こいつもたまに行っているんですよ」


 白衣男の肩に腕を回しながら元気に語る男性と、心なしか着ている白衣と同じ顔色になりつつある男を交互に見ながら、私はどうしたものかと考える。

 そんな私を見ていた白衣男が「あ」と呟くと、おもむろに私の手を握ってきた。


「……手が震えているね。最近、喉が渇くことは?」

「え? どうしてそれを?」

「イライラしたり、顔つきが変わったと言われたりとか?」


 全部、思い当たる。

 驚いて声も出ない私に白衣男は続けていく。


「加齢や更年期障害のほかに、隠れているものがあるやもしれません。一度、病院で症状を伝えて血液検査を。僕が思い当たるものでしたら、投薬で改善が期待できます。さぁ、今日は帰った方がいいでしょう。さぁ、早く!」


 強い口調に押し切られ、私は彼らに背を向けて歩き出した。

 ビルの角を曲がる際にふと振り返れば、白衣男は隣の男性に肩を借りながら引きずられるようにして歩いている。

 あぁ、これを見られたくなかったのか。

 思わずくすりと笑い、そこからは振り返ることなく車へと戻る。

 きっとあの白衣男は、例の非常階段で公園で泣いている私のことを何度か見かけていたのだろう。

 そうして彼なりに、私のことを慰めようとしてくれていたのだ。

 車のエンジンをかけ、私は家へと戻る。

 

「うん、明日は病院に行ってみよう」


 前向きに進める言葉を口に出したことで、心が軽い。

 アクセルを踏みながら私は「ありがとう」と呟いていた。



◇◇◇◇◇◇



「斉藤さん、最近いいことがあったのかな?」

「あ、ひまわり先生! あのね、少し前まで私のお母さん怒ってばかりで怖かったの。でもね、病院で検査して薬もらったら、怒るのが減って元気になったの!」

「そう、よかったわねぇ」

「まひるちゃん家は良いなぁ。俺ん家なんて、少し前にお父さんが足にすっごい怪我して帰ってきてさ。それでお母さんがずっと怒ってばっかだよ」

「……そう、奏世かなよ君のお父さんはちょっと個性的だからねぇ」

「でもお父さん言っていたよ、『俺は世界を救える力はないが、誰かの涙を止めることはできるんだ』って。それって格好いいよね! やっぱ俺、お父さんのこと大好きだぁ!」

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