深夜の散歩で起きた出来事

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

Awaken in the Midnight.



 突然、僕は起きた。目覚めてしまった。


 酔い覚ましにいったん席を外した、伊勢佐木モールのど真ん中で。


 さっきまで頭をガンガンさいなむほどだった喧騒も鳴り止み、それどころか人の姿がない。煌々と灯っていたはずの点在する飲み屋は軒並みシャッターが閉まり、街灯の灯りだけはある。いつもなら、そこらじゅうで聞こえるはずの中国語も韓国語もない。


 いよいよ頭がおかしくなったか、と思った。


 目をこすり、自分がほんの五分ほど前までいたはずの店を見ようと振り返ったが、闇に沈んだかつての店舗の中に埋もれていて見分けられない。


 自分が立っているのが交差点の手前だとようやく気づいたのは、灯らない信号機と、まるで姿を見せない車たちのせいだった。


 こんな光景は、夜明け前、奇跡のように人の絶えた瞬間でも、見たことがなかった。


 まるで世界が終わったようだ、とその時は考え、実際口にした。隣にいたのは片想いの相手だったか、それともフラれたあとだったか。怪訝な顔をされたのか、苦笑されたのか、もう覚えていない。


 世界の終わり?

 は、まさか。こんな唐突に、静かに自分だけを残して、そんなことあるもんか。


 急に激しい物音がして僕は躰をわななかせた。


 シャッターを内側から叩く音だった。閉じ込められた誰かが助けを求めるような悲痛な音ではなく、解体現場で耳にするような重く激しい音だった。


 後退あとじさりながら変形していくシャッターを見つめ、この後どうすべきか考えながら、いましがたまで忘れていた吐気はきけを思い出した。


 僕が躰をくの字に曲げながら嘔吐するのとシャッターをぶち破ってずんぐりしたナニカが現れたのはほぼ同時だったらしい。


 人ならぬ気配と動作音を聞きながら胃の中のものを全て吐き出した。どうにでもなれ、という気持だった。


「ダイジョウブカ オマエ」


 妙に愛らしい声が聞こえ、顔を上げるとそこにいたのは最近ファミレスなどで見る給仕用ロボットだった。


「喋れるのか、君は」

 波打つ路面に広がる吐瀉物を見ながら言った。べつに吐瀉物が答えると思ったわけではないが。


「オイラ シャベル ムカシカラ シャベッテタ」


 そういえばそうだったなと思いながら、質問の意図を察するほどは賢くなく、けれど応答できるほどの知能はあるとわかった。


 吐瀉物は赤黒いモノ、灰白色のモノなど食べた記憶のない物で構成されていた。

 僕は一体何を食っていたのだろう。

 えずきを堪えながら袖口で口許をぬぐい、もう一度見ても、やはり例のロボットにしか見えなかった。愛嬌を与えるためのLEDが生み出す表情もそのままだった。


 誰かが遠隔操作してるというセンはあったが、いたずら番組にしても手が込み過ぎているし、現在の状況にそぐわない。モールを借り切っての一大スペクタクル巨編ならそこまでするかもしれないが、生憎とトゥルーマン・ショーの主演になった記憶はない。


「オマエ オイラトシャベル ツマリ オキテシマッタカ」


「おきる……?」


 じりじりとロボットがにじりよってくる。少し怖かったが、突然クリオネのように襲いかかってくるとも思えなかったので待ち構えた。


「マタ ネムル ト イイ。セカイ ハ オマエタチ ニハ キビシスギル」


 特に痛みを感じたわけでも、何か臭いがしたわけでもない。

 だが、僕は何かをされた、と感じた。

 眩暈がする。

 轟々と質量を感じるほどの盛大なノイズが頭の内側で鳴り出して、立っていられなくなってよろけた。

 膝から崩れ落ちた。


「あはは、汚ったなぁい」

 声が聞こえたときには世界には音が戻っていて、顔を上げるとホストらしき男に絡みつく香水臭い女の後ろ姿があった。

 クラクション、遠くから聞こえる罵声、脇を通り過ぎる笑声、中国語、排気音、何より先ほどあいつが出てきたはずの場所では、暇そうにする店員とカウンターに坐る客の背中があった。


「……そっか、牛丼屋だっけ……」


 起きあがろうとして地に着いた手のひらがぬるっと滑るのを感じた。

 自分の吐いた吐瀉物に、手を突っ込んでしまったらしい。

 おそらく手羽先だったものと煮込みと刺身と……判別がついた。


「大丈夫、立てる?」

 声の主は見知った相手で、腰をかがめているせいで陰になって顔は見えないが、きっとなんでもなくても困ったような眉を、いつも以上に困った形にしているだろうことはすぐにわかった。


 差し出されたハンカチを断って、僕は自分のジーンズのポケットから無事な方の手を使いポケットティッシュを取り出して、手と口で開けた。開けた、というより裂いた形だったがどうでもいい。

 すぐそこのパチンコ屋の呼び込みにもらった使い捨てティッシュだ。


 散らばったティッシュを拾い(すっと伸びる手があったが遠慮がちに引っ込んだ)、汚れた手を拭い、立ち上がる。申し訳ないがティッシュは路面に残したままだ。いまさら何を隠すのだ、という気もしたけれど。


 いつもの伊勢佐木町、いつものモールだった。


「酔い覚ましに散歩するなんていうから。すっごい蒼い顔してたよ」

「やめてくれ。また勘違いする」

「勘違い?」

 尻上がりの語尾に、くつくつという含み笑いが続く。

「すればいいんじゃない?」

「君は悪魔か」

「小悪魔と呼んで。あ、アルコールスプレー使う?」

「いいよ、どうせ店へ戻ったら手を洗う」

「ま、いっか」

 彼女の手が僕の汚れたほうの手へ伸びる。


 意味がわからない。

 僕は、もう一年も前に彼女にフラれたはずだ。

 友達でいましょうと、よく聞く科白せりふを投げかけられ、うなずいた情けない僕。そして本当に友達関係を続けてた、みっともない僕。


 突風が吹いた。

 足に何かが絡みつく。

 飛んできたチラシか何かだろう。僕が取り除くより早く彼女の手が伸びて、同時に繋いでた手が離れた。

 一瞥いちべつしてから彼女が笑った

「『目覚めよ!』だって」

 ひらひらと紙切れをふる彼女からそれを奪っていた。また風が吹き、紙切れは後方へと回転しながら飛んでいった。

「やなこった」

 僕は言って、今度は自分から彼女の手を握った。



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