【KAC20234】早咲きの桜はあなたを誘う

天鳥そら

第1話深夜の酔っぱらい

「今日も今日とて午前様~。だけど、今日は、仕事じゃにゃいにゃいにゃい~」


 調子っぱずれの意味不明な歌を歌いながら、俺は深夜の人気のない道を自転車で走っていた。入社一年目が終わろうとするころ、会社に慣れて仕事が楽しいと思えるけど、優秀な社員を見ていると落ち込むこともある。


 今日は気の合う友人と愚痴というか慰め合うというか、似た者同士で飲んていた。すっかり遅くはなっていたものの、駅から自転車で十五分のアパートにすぐに帰りつくはずだった。


 閑静な住宅街は人気がなく静まり返っているが、意外に、自分と同じように午前様の帰宅はちらほらいる。体を固くして歩いている中年男性は、あたりが暗くて表情がわからなくても、仕事が大変なんだろうと察した。


 この住宅街は以前は森林に包まれていた。山とは言えない小高い丘を切り崩し、十年、二十年という時をかけて整備し、きれいな道路が設置された。最初は街灯もなくて暗かったらしいが、今では夜中でも白々と蛍光灯があたりを照らす。粗大ごみが捨てられていた空き地には、注文住宅なるものが建っていた。


 新しい街として発展しているが、ところどころほのぼのとした田園風景も残っている。完全に都市化しているわけではなかった。


 なだらかな上り坂をのぼっていると、右手にぼんやりとピンク色の明かりが見えた。まだ開発されていない森林の残る場所だった。


「あれは、なんだろう?」


 寄り道にはなるが、気になって仕方なかった。酔っているとはいっても、ぐでんぐでんに酔っているわけではない。酔っぱらい曰く、まだまだ素面だと言える状態だと固く信じている。


「ちょっとばっかり寄り道しちゃお。だって春なんだもん。ちょっとしたお散歩だもん」


 意味不明なことをしゃべりつつ、自転車をピンク色の明かりの方に向ける。ふらつくこともなく、けっこう、しっかり自転車をこいでピンク色の明かりの方へ向かった。


 自転車をこぐこと数分、目の前に満開の桜が俺を出迎えてくれた。


「わあお。きれいじゃん。ぜんっぜん。知らなかったな~。桜の木があるなんて」


 鞄の中からスマホを出して何枚か撮る。ソメイヨシノのような淡いピンク色ではなく、カワズザクラのような濃いピンク色だ。


「すみません。おひとりですか?」


 スマホをのぞいて忙しくしていたから、誰かがそばに寄ってきたのも気づかなかった。しかも深夜だ。自分以外にひとがいると思わなかったせいもある。


「あ、はい。あの、こんな夜中にどうしたんですか?」


 自分が言うのもなんだが、目の前の人物に思わず固い声を出した。


「桜が、きれいだったので」


 高いやわらかい声は女性のものだ。街灯の明かりが届くから、ぼんやりと女性の背格好もわかる。背はあまり高くない。小柄といえるかもしれない。髪の毛は肩よりは長いようだった。寒いのだろう。マフラーとコート、冬のようないでたちだった。


「こんな夜中に危ないっすよ。女性でしょ?早く帰った方が良いですよ」


「そうですね。でも、今日で最後だから」


「最後?」


 どういうことかと眉をひそめる俺のそばで、女性が桜の木のそばに寄っていく。背中にもたれかかって、俺の方をじっと見た。豊かな黒髪は思った以上に長い。肩より下だという予想は外れ、腰まで長くのびていた。ぼんやりと明るい桃色の明かりの中で、花弁がちらちら舞うと女性の衣服がはっきり見える。コートにマフラーだなんてとんでもない。薄い水色の柄に白っぽい花が描かれた着物だ。帯はクリーム色で金色の刺繍がある。


 なぜ、こんなにはっきり見えるんだろう。女性の白い顔も赤い唇も、うっすらと赤い頬も長い増毛もやわらかく弧を描く眉毛も。ちらちらと舞う花びらのひとつひとつがはっきり見える。


「せっかくだから、一緒に過ごしませんか?お酒もお茶もおいしい食事も、何もかも用意してありますのよ」


 ぶるりと身体が震える。魅惑的な申し出だが、どうにもおかしい気がした。この女性は一体何者なんだろう。それよりも、あとからあとから散っていく異常なほどの桜吹雪が薄気味悪かった。


「明日、会社なんで。それに、もうお酒も食事も十分で」


 そう言うだけでやっとだった。女性は残念そうに、そうとだけ言って桜の花びらの中に掻き消えた。




 いつ帰ってきたのかわからない。気づいたら、自宅のアパートでひとり寝ていた。朝というのはまだ早く、薄明るい中でのびをした。


「記憶がないのに、ちゃんと布団で寝ているんだからエライもんだよな」


 起きて玄関の鍵とチェーンを確認する。起きるのはまだ早いものの、もう一度寝るには、ずいぶん頭がはっきりしていた。


「そういえば、昨日の写真、ちゃんと撮れてるかな」


 異様な光を放つ桜の花びらがちらちらと思い浮かぶ。スマホを取り出して昨日の写真を出そうとしたが、真っ暗で何も写っていなかった。


「ちゃんと撮れてなかったのかな」


 昨日のことは夢だったのだろうか。朝早いのも気にせず、上着を羽織ると外に出た。ズボンのポケットにスマホを入れて、自転車で昨日の桜の木がある場所へと走っていく。ただ、満開の桜の木は一本も見当たらない。おかしいと思って、うろうろしていると切り株を見つけた。けど、昨日みた桜の木はまったくない。


 「このあたりだよな」


 きょろきょろあたりを見回していると、犬に引っ張られるようにして散歩をしている女性が通りがかる。犬は人懐っこいのか、俺の方へとびかかるような仕草を見せた。


「かわいい、柴犬っすね~」


 俺が笑うと女性がほほ笑む。マスクをしていたからわからないけど、たぶん、ほほえんだんだと思う。


「ありがとうございます。とびかかっちゃってすみません」


 柴犬をひっぱって先へ行きかけた女性が振り向いた。切り株の方へ視線を向けてから俺の方を見る。


「残念ですよね。桜の木がなくなっちゃって」


「え?」


「その切り株、前は立派な桜の木だったんですよ。たぶん、カワズザクラなんでしょうけど。大型台風が来た時に、枝が折れて幹もずいぶん傷んだみたいなんですよ」


「そ、そうですか」


「今日あたり、その切り株も掘り起こすそうです」


「そう……ですか」


 残念ですよね~。根っこが無事なら芽が出てくるんでしょうけどと笑って、頭を下げると今度こそ先へ行ってしまった。柴犬が飼い主をリードするようにぐいぐい引っ張っていく。ときおり、わんと元気な声が聞こえてきた。


 切り株に近寄って、しゃがみ込むとそっと撫でてみる。切り株の表面、樹皮、根っこ、ひんやりとしめっている。そのどれもが、まだ生きているんじゃないのかと思った。


「昨日が最後か。一緒に過ごせばよかったかな」


 スマホに撮ったはずの写真は、真っ暗で記録の役割を果たしていない。頼りになるのは、ほろ酔い気分の自分の記憶だけ。


「美人さんだったな。最後のきれいな姿を見せてくれてありがとう」


 ズボンからスマホを取り出すと、後ろ歩き下がっていく。桜の枝が大きく広がっている様子をイメージして写真を撮った。




 数日後、切り株があったあたりを歩いてみた。すっかり土もならされて、そこに桜の木があったことすらわからない。切り株があったあたりに立つと、満開の桜を見上げるように目を細める。


 異様に美しい花の明るさと女性の表情がちらついて離れなかった。


 

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