深夜の散歩道

江崎美彩

第1話

 メゾネット形式のアパートは室内の階段を降りるとそこはもう玄関だ。コンセントに差してあるセンサーライトが、人影が揺れるのに合わせて付いたり消えたりを繰り返している。

 

 世界が終わりを告げたようなキミの深夜の大絶叫も、いつもなら抱き上げてゆらゆらと揺れながら階段を降りているうちに少しは落ち着くのに、今日はまったく泣き止む気配がない。

 壁一枚隔てた先に暮らしているいつもしかめ面のサラリーマンの顔を思い出して立ち上がる。

 正気を失ったキミを抱き抱えながら、手早く抱っこ紐を腰に巻き付けた。




 スエットの上下に薄手のダウンを羽織っただけの格好は肌寒い。キミの手足が出ないようにダウンのファスナーを上げられるだけ上げ手足を隠す。


 アパートを出ても、行くあてなんてどこにもない。

 仕方なくコンビニへ行こうとして、財布も持たずに飛び出したことに気がつく。

 白い息を吐き出し下唇を噛みうつむくと、泣くのをやめたキミの真っ直ぐな視線とぶつかる。力なく微笑みかけると大通りから踵を返し、住宅が並ぶ細い道を歩き始めた。


 まばらな街灯に照らさらて、歩き慣れたはずの住宅街なのに知らない街に迷い込んだようだ。

 いつもは子供達の声が響く小さな公園も誰もいない。ブランコに座ると、広い世界にキミと二人きりで取り残されたような気持ちに襲われる。


 靴下も履かずに履いたスニーカーの中の足先は冷え、手先もかじかむ。眠たくなったキミの体温だけが暖かい。


 無心にブランコを漕いでいると、ふと甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 生垣の沈丁花の花がほころび始めていた。

 顔を上げるとシリウスは南西の空に傾き、レグルスが頭上で瞬く。

 もう春だ。

 キミに何かあってはいけないという責任感で押し潰されそうな日々は永遠に続くと思っていたけれど、季節は確実に巡っていたんだ。


 ブランコをゆりかご代わりにして、やっと寝たキミを、抱えながら帰路を急いだ。

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深夜の散歩道 江崎美彩 @misa-esaki

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