よるあるく

ちわみろく

第1話

 月始めの今日、真っ赤な月が東の地平線近くに見えて、ちょっと怖いくらいだった。少しばかりかさを被っているから、薄曇りなのだろう。明日の天気が心配だ。

 ただ、とても暖かい春の夜だったから飲みに出るには悪くない。

 俺が、ついつい仕事帰りに居酒屋、そして場末のスナック、赤ちょうちんなどをハシゴしてしまったのは、暖かくて夜のそぞろ歩きにはちょうどよかったから。

 酔っ払って千鳥足のまま帰途につこうとフラフラする。随分飲んだからなのか、やけに懐が軽いような気がした。最後に行った赤ちょうちんは繁華街の端っこで、ちょっと歩くと郊外へ出てしまうからタクシーがつかまらない。

「あれ〜?」

 この辺りの地理にはそれなりに詳しいつもりだったのに、ここがどこだかわからなくなってしまった。繁華街の中心まで戻れば駅が近いからタクシーもつかまるはずだ。

 まるで住宅街のようにひっそりとした小さな交差点に出くわし、人気も通行する車もない道路を歩いていることに気づく。

 細い路地が見える道路脇には、広葉樹だろうか街路樹が並ぶ。なんだか街灯が妙に薄ら呆けて見えた。これは相当酔ってしまっているらしい。

「弱ったなぁ〜、どうやって戻ろうかぁ〜。」

 深夜に知らない場所に出てしまったのだから、それなりに不安もあろうというのに、酒の力があるせいか、まったく怖さを感じない。

「ああ〜、そう言えば、そういう怖いもの知らずな奴、いたっけなぁ〜。」

 高校時代の同級生にいつも表情が変わらない奴が一人いた。

 そうそう、アダ名がアベちゃん。

 イケメンなんだが濃い顔で、風呂の映画に出ていた俳優にちょっと似ていたからそう呼ばれていた奴。個性的な奴の多い男子校だったが、奴も中々に異彩を放っていた覚えが有る。

「あいつ、今頃何してっかな〜・・・」

 それにしても、人気のない通りである。人っ子一人、野良猫いっぴき見かけない。

 さすがにおかしいと思い始めた時、はじめて人影を見つけた。

 街路樹の下に、細身の女性が立っている。

 今夜は暖かいとは言え、まだちょっと早いのではないかと思えるくらいに、色っぽい浴衣姿に見えた。いや、和装なだけだろうか。着物に詳しくないのでよくわからない。

 暗闇に彼女が立つ場所だけがふんわりと藤色に浮き立って見えるほど、美しい立ち姿に思わず見惚れた。立てば芍薬、ってやつか。綺麗な女を見たら思わず近寄りたくなるのは男のサガだろう、千鳥足のままそちらへ寄っていってしまう。

 後ろ姿だけれど、振り返ったらさぞかし色っぽい美女なのではないか。そんな風に思えるほどにしっとりとした艶の有る女性だった。

 その女性が、唐突にその場に屈む。

 どうしたどうした、具合でも悪いのか。これは大変だ。千鳥足が、早足になった。

「あの」

 手を差し出し、声をかけた瞬間だった。

 何者かがすごいスピードで差し出した手を押さえた。力も強い。そして、只事ではない気配を感じて、自分の手を捕まえた相手の方を見る。

「アベちゃん!」

 久しぶりに見た、同級生の濃いめの端正な顔。

「何してんだ高林たかばやし!そら、こっちこい!!」

 俺の名を呼んだアベちゃんはぴしりと言い放ち、強引に腕をぐいぐいと引っ張っていく。

「振り返るなよ!!絶対にだ!!」

 凄い剣幕で俺に怒鳴る阿部ちゃんは、珍しくとっても怖い顔をしている。

 先程の美女が気になり、振り返りかけた俺は慌てて顔をアベちゃんへ向けた。

 どこをどう歩いてきたのかわからないが、アベちゃんに導かれるまま俺は速歩きでついていく。どのくらい歩いたのかわからないけれど、何故か、そんなに息は上がらなかった。なのに、なんだか意識が朦朧とする。

 気付くと小さな屋台の椅子に座って、おでんをつっついていた。

 隣には、ジャージを着たアベちゃんが、カップ酒を手にこんにゃくを食べている。

「あれ、アベちゃん?」

「危なかったぞ、お前。・・・飲みすぎだ、バカ。」

 呆れたように言いながら、アベちゃんがカップ酒をあおった。

「いや、なんか美女が、着物を着た綺麗なおねーさんが、な?気分悪そうだったからな、介抱でもしてやらなくちゃって」

 先程の光景を思い出しながら、俺はぶつぶつと言う。

「着物を着た美女だと?」

「うん。綺麗なおねぇさんがぁ」

「お前まだ酔っ払ってやがる。アレのどこが美女なんだ。」

 アベちゃんが背後の暖簾の方へあごをしゃくった。

 うん?と呻くように言って、俺は暖簾の隙間へ目をやった。

 

 真っ暗な道路の真ん中を、藤色の着物を着た女がふらふらと歩いている。キョロキョロとその顔をあちこちに向けて、何かを探しているようだ。先程の女性かな、と思い椅子から立ち上がろうと腰を浮かせたが、俺は再び腰をおろした。

「・・・な、何、アレ」

 酔いが冷めたのか、冷や汗が額から落ちる。

 あの綺麗だと思った女の頭から、血だらけの角がとびだしていたのだ。黒髪をかき分けるように、しっかりと天に向かって伸びるそれは、彼女の手首ほどもあろうかという太さだった。

「目を合わせるな。通り過ぎるまで、絶対にここから動くなよ。」

 アベちゃんはぴしりと命令するようにそう言って、おでんの大根を食べた。

 一度は視線を眼の前のおでんへ戻した俺だったが、再び恐る恐る、暖簾の方へ目をやる。怖かったので、本当にちらりと、だが。

 目を凝らせば女の足元には赤い肌をした子供ほどの背丈の鬼が何人も蠢いている。女の背後には、何者なのかはさっぱりわからないがとにかく大きくてぼんやりとした怪物が歩いていた。暖簾に隠れて全貌はわからない。

「あ、アベちゃあん・・・ちょっと、マジで、何なの、アレ・・・」

 もう半泣きだ。声が震えていた。

「大丈夫だ。通り過ぎてしまえばなんてことはない。お前、今日は本当に運がなかったんだ。よりによってアレの出る日に一人で出歩いたりしたから。忌夜行日は気をつけて出歩けよ。」

「きやぎょうに、てなに・・・」

「まったく・・・、加護がないからおかしいと思ってた。これ、落としただろ。」

 屋台の台にアベちゃんがのせたのは、小さな紫色のお守り袋。

 握ってしまえば、見えなくなるくらい小さなそれは、俺がいつも財布にしっかりとしまっておいたそれだ。

「あ、これ。・・・おかしいなぁ。どこで落としたんだろ。」

「さっきの赤ちょうちんで、お前財布スられたんだぞ。気付かなかったのか?」

 思わず懐に手を突っ込む。

 いつもならたしかにある重みと手応えがない。

「あ、キャッシュレスで会計したから・・・、あ、本当だ!財布がないっ!!」

 そうだった。

 財布がなければ会計時に普通気がつくものだ。

 けれど、スマホのキャッシュレス会計だったから、財布の存在を失念していた。

「明日、交番へ行けよ。」

「アベちゃん!ありがと!」

 小さなお守りを手に、俺はアベちゃんに頭を下げる。

 すると、アベちゃんは、その濃い顔に苦笑いを浮かべて、俺にカップ酒を差し出した。

「久しぶりの再会に乾杯だ。」

「お、おう!乾杯!」

 俺は差し出されたカップ酒を受け取って、アベちゃんと乾杯した。 




 頭痛がひどい。

 昨夜は飲みすぎた。とにかく飲みすぎた。頭が痛くて、なんだか気持ちも悪い。

「うげ」

 起き上がって、トイレへ駆け込み思い切り吐く。

 吐いたら、少し楽になった気がした。

 ベッドに戻ってくると、色々と思い出す。ふと自分を見れば、スーツを着たままである。着替えもせずに寝てしまったのか。

 どうやって帰ってきたのか記憶がない。しまった、何かしでかしてないだろうか。

 ふと顔を上げれば、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。余り光が強くないのは、曇っているせいだろうか。

 そうそう、昨夜の月にかさが被っていたから、天気が心配だなって思ったんだ。

 そして、飲み屋をハシゴしたことを思い出す。

 けたたましい警告音がベッドの下から聞こえた。頭に響く。耳を押さえながら、音の元を探すと、手に触れたのは、俺のスマホ。アラームの音だった。なんでアラーム解除しなかったんだろう、俺は今日はシフト休みだから、昨夜飲み歩いていたのに。

 ふと、スマホのカバーに何かが挟まっているのに気がついた。

 小さなお守り。いつも財布に入れている奴。

 急に、記憶が戻ってきた。

 昨夜の恐怖の時間。おでん屋の暖簾の隙間から見えた、この世のものとは思えない、恐ろしいもの。

 あの時、確かアベちゃんが隣りにいた。そして、お守りを渡してくれたのだ。

 ふと、スマホでアベちゃんの名前を調べた。

 そうだった。

 高校の同級生のアベちゃん。確か、実家が神社だ。

 俺がアベちゃんにあのお守りを見せた時、

「肌身離さず持ってろよ。」

 と言われたことを思い出した。お守りは、ばあちゃんがくれたものだ。

 アベちゃんは、安倍ちゃんだったっけ。

「交番、いかなくちゃ・・・。」

 後でアベちゃんにお礼のメールと、日本酒でも送らなくちゃならないな。

 カレンダーを見たら、今日は2日。

 昔から1日はお金を使うもんじゃない、とばあちゃんが言ってたっけ。




 



 

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