第3話 涙にキス

 両腕を上げた形の優季は無防備に転がっていた。互いの息が荒くて、優季の胸が大きく上下している。

 見上げる優季と見下ろす晴空は互いに見つめあったまま黙ってた。目を見続けたまま晴空はほんの少し距離を詰めた・・・・・・が、優季は動かなかった。


 もう少し近づく、優季に動きはない。

 さらに近づく。優季は真っ直ぐこちらを見ていた。嫌なら嫌だと優季なら言うだろう。けれど、なにも言わない。

 じりじりと近づいて、あとはもう肘から肩までのリーチしかない。それでも優季は動かなかった。


(嫌じゃ、ないのか?)


 耳が熱い。

 頬が火照ってるのがわかるし身体中がどくどくいっている。


 優季の腕を押さえてた手を離して彼女の頭に触れる。

 顔にかかった髪をそっとよけてゆっくり顔を近づけた。彼女の顔がほんのり色づいて瞳が潤んでいるのがわかる。


 もう唇がふれ合う・・・・・・指ひとつ分の厚みもない。

 一瞬の永遠のように時間が止まった気がした。


 紙1枚分まで唇が近づいた瞬間、入口のドアが勢いよく開いた。



「優ちゃ────ん! これ見てぇ!」



 戦闘機並みの大声が部屋に飛び込んできてふたりは飛びあがった。


「うわぁあッ!!」

「きゃあー!!」


 飛びすさったふたりが仲良く奥のチェストに体を張り付かせる。

 体をきゅっと縮めて両手を胸に引き寄せて声の主を見上げた。口をあんぐりと開けた姿は驚くハムスターのようだった。


「新色の口紅を買ってきた・・・・・・て、どうしたの?」


 優季の妹、優華ゆうかがきょとんとした顔でふたりを見ていた。


「べ、別に、なんでも」

「いや、何が? ん?」


 ふたりして息の合った首振りをする。そんなふたりを見て優華はにこりと微笑んだ。


「ふたりして顔赤くしちゃって、この、このぉ」


 優季と晴空の胸を指で小突いて優華はクスクスと笑っている。


「なっ! 何ッ!」

「優華ちゃん、よせよ! なんだよ」


 しゃがんで両手で頬杖をつく優華はふたりの顔を交互に見てうんうんと頷いていた。


「お邪魔虫は退散いたします」


 全てを知っている。彼女の優しい笑顔はそう言っていた。

 中学生にして小悪魔、甘い声のおねだりで今までにどれくらいお金をはたいてきたことか。

 優季と並んで歩くと恋人同士だと間違われる可愛らしい妹。女子力は優季の何倍と言えば正しく伝えられるのか。


「続きをどうぞ。うふっ」


 言われてふたりの顔が真っ赤に染まった。


(まさか、ドアの向こうに張り付いていたのか?)


 見交わす晴空と優季の目が同じことを伝えあっていた。


「あ、優ちゃん」

「・・・・・・!」


 ドアノブに手を掛けた優華がちろりと振り返る。


「デートの時は言ってね。バッチリメイクしてあげるし、晴くんの好きな清楚系女子に仕上げて上げるから。ウィッグも用意しとく」


 晴空と優季にウインクした優華が出ていきドアが閉まった。同時にふたりの喉からごくりと音が鳴った。


(あざと女子、怖ぇえ!)


 全てを見透かされている。

 冷や水を浴びせかけられたようで、すっかり力が抜けて足を放り出したままじっとしていた。




「晴空、言ったじゃん」


 だいぶ経ってから優季がぽつりとそう言った。


「言ったって、何を?」

「この格好の優季が・・・・・・好きって」


「ん? 何の話? いつ?」


 寝耳に水だ。まったく話の流れが見つからない。


「小学校の時。女子をいじめてた男子を一網打尽にしたとき」

「・・・・・・あぁ。くせに戦争?」


 男のくせに女のくせに、そんな決めつけで男子と女子で口論になったことがあった。口で勝てなくて男子の誰かが手をだしたのをきっかけに掴み合いの喧嘩が始まった。


 当時、すでに160センチを越えていた優季は成長の遅い男子よりずっと高かった。女子の見方をする男子のような女子で、それから目の敵にされた時期があった。


「男女ッ!」

「玉ついてんだろ」

「男のくせに女の格好してて変なの!」


 ある日、たまたまスカートを着ていた優季は一番会いたくないグループと出くわして揶揄された。

 ただでさえ普段身に付けない服を着ている時に、自分でも恥ずかしいと思っていただろうその時に出くわしてしまった。


「恥ずかしいなら無理にスカート履かなくたっていい。優季は優季だ。俺、パンツルックの優季、好きだよ」


 覚えてる。

 確かそう言った。


「あれ・・・・・・さ、凄く嬉しかった」


 晴空は小さくうんと言って頷いた。


「もともとスカートより好きなファッションだったし、味方がいてくれて安心した」


 またひとつ、うんと頷く。


「でも」


 優季の声が途切れた。


「髪の長い子が可愛いとかさ。ひらひらのスカート可愛いとか、おとなしくて控えめで守りたくなるとか・・・・・・さ」


 声が少し湿り気を帯ていた。


「男子の好きな女子って俺の逆じゃん」


 ほろりと涙が落ちて優季の手の甲でぽつりと弾けた。


「女子と話してる時の晴空は・・・・・・俺と話してるときと、全然違うし」


 軽く笑って見せる優季の目から涙が光って落ちた。


「誰の胸がでかいとか、手のひらに収まるくらいが可愛くて好きだとか・・・・・・」


 頬をぐいっとぬぐうそばからまた涙が伝う。


「・・・・・・優季」

「男子に話すのと変わらない事言うし、いつも優季は格好いい格好いいって言うし。俺が女だったら惚れるとか言うし」


 何気なく言ってきた数々の言葉が頭の中からボロボロとこぼれ落ちてきた。


 なんでも話せる親友。

 男女の垣根を取っ払った唯一無二の友。


「中学ん時、何度か女子の制服着ようと思ったことあった、でも・・・・・・」


 ぽたぽたと涙が音を立てる。

 土砂降りだ。


「・・・・・・怖かった」


 何を言いたいのかわかる。

 晴空も女子らしくなった優季を見たくなかった。


 優季が女子らしくなったらいままでみたいに気楽に話ができなくなりそうで、肩に手を回したりポテトの袋に手を突っ込み合って食べたりできなくなる・・・・・・そう感じていた。

 何よりも、いちゃいちゃしてるとはやし立てられたくなかった。


 優季が男っぽくなくなったら関係が変わりそうで、小学校から変わらないそのままの姿でいてほしかった。だから、ことさらに男友達を相手にするスタンスを崩したくなかった。


「痛かった」


 胸をぎゅっと鷲掴みにして言った優季の声は涙で揺れている。


「好きな子の話聞いてるの・・・・・・辛かった」


 優季の辛さが突き刺さって痛くて、晴空は手を握りしめた。無邪気に傷つけてたくせに優季を抱きしめたい。

 慰める言葉を見つけられないくせに、謝る言葉も探せないくせに。抱きしめて謝りたい。


(無茶苦茶だ。無茶苦茶でぐちゃぐちゃだ)


 情けなくて涙が出る。



 自分は優季に親友をさせていた。

 幼馴染みで親友、そんな役割をさせていた自分に気づいて恥ずかしくて情けなくていたたまれない。


(優季らしくて好きだとかなんとか言いながら、そんな優季らしさを押し付けていたんだ)


 他の男子と仲良くするのが嫌だと思う感情が何か、薄々気づきながら言い換えて過ごしてきた。

 さっき優季を押し倒した弾みでキスまでしようとしていたくせに、この期に及んで踏み込むことを恐れてる。


 あれをただのアクシデントにする気か?


 動き出した心と引き止めようとする心、渇望と恐れがない交ぜでぐちゃぐちゃで自分がどうしたいのかわからなかった。


「ごめん」

「謝るな」


 怒る優季の肩に手をかけて自分でもわけがわからずにキスをしていた。




 古くさくてこてこてで、再放送の恋愛ドラマみたいだと思いながら。






□□□ おわり □□□



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20233】何がなんだかぐちゃぐちゃで 天猫 鳴 @amane_mei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ