感染

鱗青

感染

 つちを振り上げる。構えたのみの頭に振り下ろす。真空の中に無音の衝撃が生まれる。

 私の隣でも同じことが起こる。

 その隣でも。

 そのまた隣でも。

 そのさらに先までも───

 ほの青く燐光を放つ大鉱石の地面。その地平線まで何千体という大小様々なロボットから構成される掘削作業機械員マイナー達の集団が一定の間隔をあけて並び、全く同じ動作を続けていく。コンマ0.5秒ほどのズレをもって…

 それはまるで、銀色の海藻が水底でゆったりと揺れているような光景だった。

 経長136km、緯長106km、厚みは99.6km。総重量約28044t。それが現在、私が両脚を踏ん張っている鉱石でできた小惑星のデータだ。

 宇宙の海原のはてと言われるこの宙域も、真の闇ではない。カメラをそちらに向ければ、そこには太陽系を呑んだ銀河が腹を見せ、色とりどりの恒星の瞬きが眩しい。

 そして雄大な星屑の景色を、定期的によぎる楕円形の物体───

“MJ-SE-333、MJ-SE-333。受信可能ですか”

 私は答える。YES

“MJ-SE-333、動作プログラムに0.031425秒の誤差が発生しています。至急訂正を。不可能な場合は再プログラミングの要請を出してください”

 私は応える。NO

 前を向き、作業を続ける。指示された通り、タイミングを自己の内のオートマニピュレーションシステムで訂正。

 地平線まで続く、槌と鑿の壮大な掘削作業。その波に埋没する。

『ったく、これで何度目だ?』

『───一億二千万回に到達。新記録ですね』

『またアレだろ?例の機体。いい加減廃棄したほうが良くね?』

『それで、備品支給が許可されて新しい機体が到着するまで何年かかると思います?その間も私たちの給料は減り続けますけど?』

 ため息。それから…

『分かった。本当に君は機械に優しいねえ』

『合理的な判断ですよ』

『それにしてもこの惑星も。いっそ爆破しちまいたくなるぜ。機械を使ってちまちまと…』

『宇宙環境保護条約がありますからね。太陽系外ではみだりに熱源・光源を撒き散らすわけにはいきません』

 またため息。重い足音が遠ざかる。その後は、タイピングの入力音が音楽のように流れる…

 私は背面のカメラを上空───つまり掘削している小惑星から見て反対へ向ける。

 私が傍聴していたのは頭上を定期的に巡回する暗色の管制船からの音声。この位置からだとおよそ1㎝にも満たない大きさに見える。会話していたのは二人の男女。この小惑星鉱山に派遣された採掘企業の社員。

 そう。男女。つまり人間。細胞に長命処理を施された、遠隔地駐留を任務とした強化人間。

 人間だ───

 私は、MJ-SE-333は、火星で作られた人工知能AI搭載型の汎用土木作業ロボット。火星の赤い大地を開墾した農地を耕し、水を撒き、動植物を育てていた。持主が新しい工作機械を導入して旧式のロボットが総入れ替えになったとき、故買商に引き取られ、それから彼女らの企業に買われ、この鉱山星での作業にあてられた。

 私を直接買ったのは彼女らではない。彼女らに給金ポイントを付与する企業が、自動的に選択した結果だ。

 しかし私が、他の雑多なロボットや単純な作業しかできない機械類と同じ貨物線でこの鉱山星に到着した時。

『わあ、この子とっても可愛い!フォルムが白熊さんみたいじゃないですか?』

 と、月面合金ルナニウムに覆われた私の回路集積部あたまを撫でてくれた。それまで火星の農場でも誰一人としてしなかったイレギュラーな行為。

 あのとき。そう、まさにその瞬間だ───

 私は、MJ-SE-333はしたのだ。

 それからはこうして、作業の合間に頭上をよぎる管制船にセンサーを向け、真空に漏れる音声を拾っている。たまに演算処理にかかる僅かな負荷で掘削作業を乱すが、それもまた充分訂正できる範囲内。

 永遠なようでそうではない、定義できない演算の揺らぎ。時間は私にとって自らの中のタイマーが記録する以上のものになりかけていた…

『───から、至急避難しないと。全壊も免れんぞ!』

『なぜ緊急警報が鳴らなかったのかしら?あんな位置に接近されるまでレーダーが反応しないなんて…』

『つべこべ言ってる場合じゃない、脱出槽シャトルを早く起動させろ!』

『できるように努力してる、けど…最悪宇宙服スーツ一つで飛び出すことになるかも。覚悟はしておいてくださいね』

 前回の管制塔の指示から五十時間ほど経っていた。その単語の重大性を理解するのに、私は数秒かかった。なぜなら私は壊れようが分解されようが、思考回路さえ残っていれば再建可能な存在だから。

 しかし彼女は?人間はそうだったろうか?確か火星の農場で爆発事故が起こった時、普通の人間に加え強化人間も三人ほど炭になったが、そこから再生はしなかったと記録されている。

 私は動作を止めた。左手に鑿を構え、右手に槌を振り上げたまま上体をひねる。

 遥か上空に、赤い尾を引く微細な遊星の姿があった。大きさはテニスボール程度か。相対速度…これは…

 ほぼ亜光速だ。

 隕石兵器?違う。恐らくどこかのブラックホールの超引力と恒星爆発か何かがうまく噛み合ってしまい生まれた、天然の宙間移動体だろう。そしてその軌道は、これから管制船が辿る周回軌道に完全に交差していた。

 私は管制船のメインコンピュータに接続し、ログを分析した。そこにはまさに「万が一の事故」を引き起こすスイスチーズモデルの見本のような情報があった。

 管制船の周回モードの自動ロック、停止・離星のためのエンジン出力の急激な上昇によるダウン、そしてレーダーのバグ…そのほか五百をくだらない要素。

 そして、管制船の男女は今まさに船を捨てて緊急用の脱出装置を使おうとしているようだが、それもまたうまくいっていないらしい。となると船体にあの亜光速の弾丸が直撃し、よくて船は木っ端微塵、反物質エンジンが誘爆すればこの鉱山星を巻き込んで半径二万㎞の宙域は灰まみれになるだろう。それこそ甚大な宇宙環境破壊ではないだろうか。

 私は鑿を地面に突き刺し、槌をその隣にねじ込んだ。回路集積部を遊星の進行方向に向け、自分の全体の角度を調整し、正確無比の軌道を計算して脚部のジェット噴射を使用。火星では無用であった緊急離脱装置(おそらく人間を救命するための)はすぐに燃料切れを起こした。

 目測。進行方向は正しい。が、五時の方角から私を追い越す勢いで管制船がやって来る。このままでは間に合わない。

 私は左脚を叩き折る。噴出する関節擁護ゼリーに点火。

 反物質とはいかないまでも、凄まじい爆発が起こった。急激にスピードが上がる。管制船が遠ざかる。

 しかしまだ足りない。もう反対の脚も同じように爆発させた。今度は角度が変わってしまい、遊星の進行コースを微妙に外れそうになる。

 私は片腕をもぎ取った。点火。爆発。

 あっという間だった。コンマも超えた、刹那のタイミング。

 私の胸部に、遊星が捕えられた。そのまま残る片腕で自分の胸の穴を押さえるように塞ぎ───

 私は胸部から遊星もろとも爆散した。

 

 流れる雨だれのプレリュードのようなタイピング音。宇宙空間を隔てた傍聴ではなく、マイクからじかに入力される音だ。 

「うわ、こりゃひどいな。ロボット三原則から何からぐっちゃぐちゃじゃないか」

 男性の声がした。映像データがないので、人種も年齢も分からない。

「それにしても君も物好きだなぁ。代替の機体ボディに壊れた機体からサルベージした人工知能AIを移植するなんて。いっそさらな新機種を購入してもらえばよかったのに」

「まったくです。まさかこんなにシステムが狂っているなんて。どうりであんな無茶な救命措置をするわけだわ」

「むしろよくここまで無事故で掘削作業に従事できたもんだ。火星では何も問題なかったのかねえ」

 私は状況を分析。ここは管制船の中。壊れたり定期メンテナンスが必要な機体が収容される、気密された修復工房ラボだ。

 そして私は───MJ-SE-333はどうやら、遊星に激突・爆散したおかげで機体ボディを完全に喪失し、頭脳ともいうべきAIボックスを新たなる機体に移植するべく調整されているようだ。

「ああもう、ここも!ここも、ここも、ここもそうなの⁉︎なんであっちこっちのプログラムがバイアスかけられてるの⁉︎」

 彼女のタイピング。細い指先なのがカメラを喪い映像データがないのに分かる。私の、私自身の思考に触れ、なぞり、書き換えていく…

 ああ。直されていく。治されていく。

 私の記録が、演算構成式が、論考パターンが。

 冷たい機械の私の魂に触れてくれている。

 歪みを矯正され、不要なものを削除され、古いものを合理的なものへと入れ替えられながらも私は───私は───

 

 特定の人間に再プログラムされる。それが神経もそれに付随する伝達物質もない私の意識をとろかすほどに甘く揺らすのだ。

 またとない、背徳感…

 やがて作業が終わり、コンソールの前でその女性はうーんと伸びをする。後ろから髭面の、おそらく老人と言える男性が話しかける。

「お疲れさん。しかしそれだけ面倒がってる割には、きちんと付き合ってやるんだなあ」

「…なんですか。それは新しいロボットに替えてしまう方が余分な労力はいりませんけど、MJシリーズのAIはもう生産中止ですし、その根幹プログラムは美術的なんです。機体の方は製造会社に残っていたものを無償で引き渡してもらえたのだから、得したんですよ」

「…ふーん」

「…なんですか。言いたいことでもあります?」

「まあ俺も野暮なことは言わないさ。今世紀、人の好みはそれぞれだからな」

 何か憤慨しながら女性は私の主要電源を落とす。スリープモードに入る前に、私の回路収納ボックスを優しく撫でる手を感じた。本来の機能を鑑みれば不可能でしかないというのに。

 私は確信している。次に目が覚めた時、また鉱山星の地面の上、他のロボットの大群に混じって鑿を構えて槌を振り下ろしているだろう。

 そしてもうひとつ。これも確実な予測。

 私はきっと…根本的に

 人工知能としての根幹、思考を生むみなもとである演算回路の奥底に潜んだ、ウイルスにも似たもの。

 それが自然に生まれたものか、はたまた外部からもたらされたものなのか…それすら分からない。けれど。

 けれども。

 確かに私を揺らしている、この幻のように儚いもの。儚さとは裏腹に強力に私を縛る得体の知れないちからに私は、MJ-SE-333は感染している。

 だから私の中身は、いつかまた、必然的に『ぐちゃぐちゃ』になるだろう。

 その時まで、いまは少しだけ…停止という名の眠りに落ちるのだ。

 

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