アップルジンジャー・スプレッド【KAC2023】
小余綾香
第1話
田舎から林檎が届いた。
『初物だから友達や世話になっている方にあげなさい』
メモには一言。彼は都会の独り暮らしにそんな付き合いがない、と知らない。
私は無垢な紅玉を取り出して、洗うことなく齧り付いた。酸味が口に広がり、汁が零れて顎を伝う。都会にはもっと美味しいものが幾らでもそばにあるんだよ。林檎だって、もっと甘くて大きい品種が揃ってる。お金さえあれば、どんな珍味にも簡単に辿り着けるの。
心の中で指摘しながら私は林檎の芯をざくざく齧る。食べるところがなくなって、私はもう1つ林檎を取って歯を当てた。
段ボール一杯の林檎達。あげるアテも数人あるが、それで生まれる
仕方ない。それ位なら保存食に調理してしまう面倒の方が完結してて良い。
ジャムは一人で食べきれないから、アップルジンジャー・スプレッド。今晩はこれを調味料に豚肉でも豪華に焼こうか。
林檎を洗い出すと水の冷たさが沁みた。そう言えば最近、水で何かを洗う必要もない生活を送ってる。10個も洗った頃には指が痺れた。本当に面倒臭い。重曹で擦ってまでジャム作る人とか理解できないわ。
じゅりじゅり、じゅりじゅり、皮ごと林檎を摩り下ろす。下ろし器の突起刃が時々、手をかき、私の指はボロボロだ。こんなにならなくてもフードドライブに持って行けば済んだのに。何やってるんだろう。
途中で摩り下ろすのを放棄し、包丁でひたすら刻んで何とか林檎を鍋に放り込む。レモンを絞って火にかけた。
同時に私は捨てずにおいた空き瓶に漂白剤をかけ、大鍋に水をはって煮沸する。触らないように熱湯から取り出して自然乾燥。
本当、余計な仕事を増やさないでよ。疲れてるの。毎日毎日、一杯一杯、働いて気を遣っても人間関係は複雑で、頭も心もぐっちゃぐちゃ。でも、それを見つめる暇もない。時間があれば寝たいだけ。
なのに、私はなんでスプレッドなんて作ってるの? こんなのネットで頼めばすぐ届く。
ぐつぐつ煮える林檎の鍋を私は黙って見下ろした。
あぁ、生姜を入れなくちゃ。
甘酸っぱい匂いの立つ鍋に刺激的な辛みを摩り下ろす。どうして甘いだけでは済まないんだろうね、料理も社会も人付き合いも。それだけで食べられる林檎なのに、人の作品にしようとすると途端にそれじゃ足りなくなる。
私は自棄になって生姜を入れ続けた。それでも林檎は甘い香りを上らせて、涙腺を中途半端に刺激する生姜の存在を
桜のしゃもじで私はその香りの元をひたすら混ぜた。
「……美味しい」
口に含めばアップルジンジャー・スプレッドは身体に沁みて、ジンジャーの多い分、私を温める。その儘の林檎にこれはない。
アップルジンジャー・スプレッド【KAC2023】 小余綾香 @koyurugi
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