ぐちゃぐちゃ

棚霧書生

ぐちゃぐちゃ

 ぐちゃぐちゃと呼ばれる怪異は雨が降った後に現れることが多い。コンクリートの場所には出ず、泥濘んだ土の地面にへばりつくようにして潜んでいる。見た目は紅黒いヘドロみたいなものだと言われていて、うっかり踏んづけると靴を盗られるという。また、ぐちゃぐちゃは可愛らしいものが好きで、子どもの靴がいつの間にか片っぽなくなってしまうのは大抵の場合こいつの仕業だ。

「じゃあ今回の事件はそのぐちゃぐちゃってやつが犯人ですね! さっそく退治に行きましょうよ、夜船さん」

 最近、祓い屋の手伝いをしにきてくれているタカトくんが目を輝かせている。彼は高校生なのだが、その表情はもっと幼い年頃の無垢な少年のもののように思える。だから「行かないよ」と一言応えるにもほんの少しだけ罪悪感を覚えた。

「えっ、どうしてですか!? 皆さん困ってるんですよ、僕らがぐちゃぐちゃをなんとかしないと!」

 曇りのない眼とはこういうのを言うのかとタカトくんの玉虫色のそれをじっと見てしまう。彼は変わった色をした自分の瞳があまり好きではないらしいけれど、私は綺麗だと思う。物事を真っ直ぐに見ているところもいい、だが今回は真っ直ぐ見すぎだ。

「皆さんって言ったって被害を訴えてるのは、なかよしひろばを利用してる人たちだけでしょう。その被害だって子どもの靴や砂場道具がいつの間にかなくなっているだけで大したものじゃない。わざわざ祓い屋が出向くまでもないちょっとしたトラブルだよ」

「でも、依頼してくるってことはそれだけ困っているということではないでしょうか?」

 その依頼も君が口頭で勝手に受けてきたものだけどね、というツッコミは話がこじれそうなのでしないでおく。

「まあ、そうだろうね、靴もおもちゃもタダじゃない。何度もなくなれば出費が痛いかもしれないね。けど、私のもとに来る依頼は一件だけじゃない」

 こういうとき依頼書の束でも見せてやれば手っ取り早いのだろうが、あいにくと祓い屋もデジタル化の波に乗っかって依頼はメールで受けるし、そのデータも電子ファイルに入っている。

「そうだなぁ、君に話せる範囲で言うと、丸美町の裏山ではメツツキというのが出没していて人や動物の目玉を潰そうとしているし、君も通っていた玉花中学校では図書室で化け物を見たという司書や生徒が精神を病み、家に引きこもるものが出始めている」

「どっちも大変じゃないですか!? 早く対応しないと……」

「そうなんだよね、でも私の体はひとつしかないわけだから、依頼への対処にも優先順位をつけなくちゃならない。ぐちゃぐちゃの件は第一優先にはならないことはタカトくんにもわかるよね?」

「はい……。すみません、僕……夜船さんのお仕事の状況も知らず、誰かのお役に立てると思って気持ちが先走っていました……」

 しょんぼりしているタカトくんを見ていると素直すぎるきらいはあるがやっぱり根がとことんいい子なんだなぁと思う。

「ぐちゃぐちゃは土砂降りの雨が降った次の日なんかによく現れるから、怖がっている人がいるなら雨が降った後はなかよしひろばに行かないようにすればいいと教えてあげればいい。でも私は他の仕事で手を離せないから、その役割はタカトくんにお願いしてもいいかい?」

 やることを与えてあげたほうがタカトくんの元気が出るかなと思っての提案だったが、まさにその通りだったようだ。タカトくんは玉虫色の瞳をキラキラに光らせて「もちろんです!」と大きな声で快諾してくれた。


「と、いうわけなんですよ! 僕の先生のお仕事が一段落ついた暁にはぐちゃぐちゃにも対応しますのでご安心ください!」

 僕は件のなかよしひろばのベンチに座って、夜船さんから聞いたことをかい摘んで依頼者に説明した。依頼者の三日月さんはまだ若い男の人で、一般的な公園を使う人たちのイメージとはかけ離れていた。最初にあったときに照れくさそうに、お日様の下で本を読むのが好きで……、とはにかんで教えてくれたのは記憶に新しい。穏やかな月の光のような柔らかい印象のある人だった。

「順番待ちというわけですね。ご親切に教えにきていただいてありがとうございます」

 三日月さんは眼鏡の真ん中を押して位置を直してから、微笑んだ。後ろ髪を肩よりも伸ばして結んでいる以外は控えめな見た目だが、彼の黒い瞳は光の角度によって夜空のような紺に見えることがある。色が変わって見えるところは僕の瞳と似ていて、ちょっと親近感が湧いている。

 三日月さんの眼鏡に縦方向の水滴が走った。

「あれ、雨ですね」

「わっ、急に降ってきた!」

 僕と三日月さんはベンチから屋根のある東屋に避難する。そこには先客がいて、小さい女の子がお母さんらしき女性にあめだねー、ぴちゃぴちゃ、ザーザー、と子ども独特の言葉で話しかけている。可愛いなぁと様子を見ているとふいにぐるんと小さな頭がこちらを振り向いた。

「ぐちゃぐちゃー!」

 女の子は僕を指差してそう叫んだ。突然のことに僕は動揺してしまう。

「こらっ、変なこと言わないの! すみません、娘がとんだ失礼を……」

「大丈夫ですよ。小さい子ってたまに不思議なことを言いますから。ねえ、タカトさんもそう思いませんか?」

「えっ、ああ、はい。そうですね……」

 どぎまぎしていた僕とは違い、三日月さんは感じよく女性に笑いかけた。場の空気が緩んだからか彼女は気安い調子で世間話を口にし始める。

「この公園、最近小動物の骨が頻繁に見つかってて、娘が骨を見つけたこともあるんですけど、そのときも骨を指差してぐちゃぐちゃー! って言ったんです。ぐちゃぐちゃの意味をどこか間違えて覚えてるみたいで。子どもの言葉ってホントに不思議です。母親の私でも解読が大変なときがありますよ」

 主に三日月さんと母親が話している間、娘さんは母親の後ろに隠れていた。彼女がじっと三日月さんのことを見つめていることに僕は気がついた。雨は通り雨だったようですぐに晴れ間が戻り、東屋で一緒になった親子は挨拶をすると僕らよりも先になかよしひろばを出ていった。

「僕も帰ります」

 雨が降ったからか湿度が高くて肌がじっとりしている。嫌な感じだ。コンビニのアイスを手土産に夜船さんの事務所に行って、シャワーを借りさっぱりしたい。

「雨が降った後は、ぐちゃぐちゃが出やすいのでしょう。退治まではいかなくとも、その目でどんなやつなのか見ておきたいとは思いませんか?」

 僕の後ろから三日月さんが声をかけてくる。振り向きたくても振り向けない。振り向いた先の三日月さんの姿が人間のものではなかったら、どうしようかと考えてしまうから。

「……僕は」

 確信があるわけじゃない。あの女の子は僕ではなく三日月さんを指して、ぐちゃぐちゃと言っていた。なかよしひろばに小動物の骨が出た話はさっき初めて知った。どうして彼はその話をしてくれなかったのだろう。なかよしひろばの異変に気がついて、祓い屋に依頼までしてくるような人が小動物の骨の話を省略するとは思えない。

 僕は彼に違和感を覚えている。一旦、夜船さんに相談をしたい。

「すみません! 僕、急用を思い出したので!」

 疑って申し訳ないとは思いながらも、僕は東屋から逃げることを選ぶ。しかし、僕が泥濘んだ地面に足を踏み入れた瞬間、ぐにゃりと足元と視界が歪んだ。

 水の中に落ちてしまったような感覚。上を見るとさっきまでいたなかよしひろばが見える。ふわふわと地中の中で体が浮いているような状態だった。

「君は鈍いのか鋭いのかわかりませんね」

「これは一体どういうことですか、三日月さん!?」

「ぐちゃぐちゃの妖術ですよ。あっ、俺はぐちゃぐちゃじゃありませんよ、能力をちょっと借りてるだけです」

「じゃあ依頼は……」

「自作自演です」

「なっ……なんでそんなことするんですか」

「タカトくんとお話がしたくて」

 それなら公園でできるだろう。どうしてこんな回りくどいことをするのか。

「タカトくんは綺麗で美しくて美味しそうなので、食べてしまいたいなと思いました。ただ、表の世界で食べると誰に見られるかもわからないし事件になってしまうかもしれない。証拠を残さないために君をこの空間に引きずり込んで、ゆっくりじっくりと食事を楽しもうかと……。あは、あははははは! 冗談ですよ、本気にしないでください!」

「じょ、冗談……?」

 途中まで本気で僕を食べようとしていたようにしか思えない気迫だったのだが……。

「君はまだ自分では気づいていないだけで、特別な存在なんですよ。玉虫の瞳の少年」

 ぐわんっと突然、地中が揺れた。流れるプールで押し流されるときみたいに体が持っていかれる。

「もう夜船が来たようですね。今日のところはこれで失礼します。ああそうだ、タカトくんにいいことを教えてあげますね。夜船は君の敵になる男ですよ。入れ込みすぎないようお気をつけを」


 ハッと目が覚めたとき、変な夢を見てしまったと思った。

「おはよう、タカトくん。気分はどう?」

 夜船さんが僕の寝ていたソファのすぐ横でコーヒーを飲んでいた。香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。どうして自分がここにいるのかちっとも思い出せない。

「あの、ぐちゃぐちゃは……三日月さんという男性は……」

 夜船さんは首を傾げる。

「タカトくんはなかよしひろばで倒れていたんだよ」

「僕はぐちゃぐちゃの話を夜船さんにしましたか?」

「ぐちゃぐちゃの話? タカトくんは物事をちゃんと整理して話せていると思うよ」

「そうじゃなくて! 怪異のぐちゃぐちゃのことですよ!」

「怪異? ぐちゃぐちゃなんて名前の怪異は聞いたことがないけど……」

 夜船さんが心配そうに眉を寄せて、僕を見つめる。嘘をついているとは思えない。

「えっ、あれ? じゃあ全部が全部夢だったのか?」

 しかし夢で片づけるには、あれはあまりにも生々しい感触をしていた。僕が体験したことを体は覚えているのに頭からは消えかけているような奇妙な感覚。頭の中がぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃだった。

「疲れているときに考え込むのはあまり体に良くないよ」

 夜船さんが僕のために白湯を持ってきてくれる。ほどよく冷めたそれを僕は一気に飲んだ。温かいお湯が喉から体内に落ちて、内側から僕の不安を浄化してくれるような気がした。

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ぐちゃぐちゃ 棚霧書生 @katagiri_8

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