重要書類をぐちゃぐちゃにせよ!



 胃じゃない。腸だ。痛いのは腸なのだ。お尻もひりひりしてくる。ああ、椅子に座れるだろうか。現実逃避のため、自分の体調に意識を集中させつつ、うさたんのハンカチを握りしめて、会議室に足を踏み入れる。


「もうもう! 二階堂ちゃん、遅い、遅い!」


 社長は座っていた椅子から飛び跳ねると、おれのところに小走りに駆けてきて、指でつんつんとした。


「申し訳ありません。色々と準備がありまして——」


「さすが、二階堂ちゃん。用意周到! 頼りになる~」


 社長がからだをくねくねとさせている様を眺めていると、先輩である福田総務部長が咳払いをした。社長は、はったとしてから「やだな、僕ちんったら……」と言いながらてへぺろをして椅子に戻って行った。


「二階堂くん。大事な会議だというのに、遅刻かね」


 福田総務部長は、おれが社長を救い営業部長に昇進したことが面白くないらしい。いつもこうつっけんどんな対応をされるのだ。まあ、いいけど。どうせおれは、ずっとボッチだもんね。


 会議室には、ハッピーパートナーズの担当者が二人座っていた。


 小坂こざかマネジャーは、年の頃三十代の若い男性だ。この年でかなりのやり手らしく、少々不似合いな大きな黒縁眼鏡を何度もずり上げる。先日、彼の眼鏡をしげしげと見つめていると、度が入っていないことに気がついた。お洒落にうるさいのか。それとも花粉症対策か? いずれにせよ『眼鏡に目がねえ奴』だ!


 もう一人の女性は佐木さぎと名乗った。『さぎ』と聞くと「詐欺」を思い出すものだ。彼女は常に口元に微笑みを讃え、豊満な胸がシャツからはみ出しそうなダイナマイトボデエを見せつけてくる。彼女が腕を組んだり、足を組んだりするたびに、福田は鼻の下を伸ばす。昼下がりの常務(情事)——。いやいや、福田は常務ではなかった。


 社長、福田、おれ。向かい側に小坂、佐木が座る。おれが着座すると同時に、小坂が「さっそくですがね」と書類を取り出した。


「先日、事前にお送りしていた書類、目を通していただけましたでしょうか」


 ちょ、ちょっとたんま! おれ見てないよん! って福田をにらみつけても、知らんぷり。社長はおれたちを見た。


「どうだい。どうだ。キミたちの意見は」


「私は賛成です。ここ数年の業績もいい。むしろ合併を選択しない理由がどこにあるのかと疑問になるくらいの優良物件ではないですか」


 福田の問いに、佐木が答える。


「先方の社長には、後継者がいらっしゃらないそうです。ですから、自分の目の黒い内に、他社への吸収合併を希望されているというわけなのです」


「ここと合併が叶えば、今までわが社にはなかった薬剤部門が増える。業務の幅が広がるというものだね」


 おれは福田の目の前にある資料を横取りして見つめた。福田は非難の声を上げるが、そんなことは知ったことではない。こんな資料、おれの手元には届いていないぞ! これは福田の陰謀なのだろうか。


 その資料に記載されている会社は、確かにしっかりとした会社だった。創業してから日は浅い。我が社と同じように、社長が一代で築き上げたのだろう。しかし、かなりの利益を出している。ここと合併できたなら、我が社の基盤は安定するだろう。しかし——


『重要書類をぐちゃぐちゃにせよ』


 おれの脳裏をトイレットペーパーミッションが過った。


 ——どれだ。どれなんだ。重要って。ってか、ここでなんでおれが書類をぐちゃぐちゃにするんだ。なんの意味がある? 優良物件の合併話だ。おれがここで書類をぐちゃぐちゃにして、どんな意味があるのだ!


 おれの心臓はバクバクと音を立てる。そこにいても、いないみたいな感覚。小坂と佐木の手元から視線を逸らすことが出来ない。


「では——決まりですね。この契約書にサインを頂きたく——」


 ——キターー! コレダ! これを……。


 おれは小坂の手からその書類をむしり取ると、両手でぐちゃぐちゃにした。


「うおおおおおお」


 雄たけびでも上げないとやっていられない。きっといい結果になるとわかっていても、やる時は切ないんだぞ!!


 案の定、社長も福田もぽかんと口を開けていた。小坂は「一体、これは、どういうことなのですか!」と憤りを見せて、社長に詰め寄った。


「い、いや。あの。それは——」


 そこで突然、会議室の扉が開く。そこには森村以下、営業部の職員たちが詰めかけていた。


「お前たち——」


「社長! これは詐欺です! その書類に記載されている会社。おれたちが実情を調べましたが、全て嘘。事務所はただの空き店舗で、職員なんて存在していなかったんですから!」


 ——おれの手元に書類がなかったのは、森村に持っていかれたからだったのか。


「なんだと! 小坂! 佐木! これは一体——」


 福田は両手でテーブルを叩くと、二人に詰め寄った。二人は舌打ちをして、目配せをしている。これは——トンずらの予感。


「警察を呼べ! 森村、奴らを確保ー」


 おれの指示に、森村たち営業部職員たちは、一斉に会議室になだれ込んできたかと思うと、二人をあっという間に捕まえた。


「二階堂。お前——詐欺だって知っていたのか?」


 福田はおれを見つめている。


 ——知らなかった。知らなかったけどね。


「きな臭いと思った。それだけだ」


 トイレットペーパーのミッションは他言無用。絶対に人に話てはいけない。福田は、おれの肩を叩くと、手を差し出してくる。おれはその手を握り返した。


「どうやらおれは、お前を誤解していたようだ。お前のおかげで会社は救われた。それに、お前の部下たち。なんと会社愛溢れる部下たちだ。これもお前の教育の賜物だな。お前を営業部長として認めよう」


「福田総務部長——。やったぜベイビー」


「バッチグーだぜ。二階堂部長」


 おれたちは視線を合わせて笑みを見せあう。今回も救われた。トイレットペーパーミッション、無事クリア!

 

 おれはますます会社での株を上げた。




—了—

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【KAC20233】ミッション:ぐちゃぐちゃにせよ! 雪うさこ @yuki_usako

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