【KAC20233】ミッション:ぐちゃぐちゃにせよ!

雪うさこ

帰ってきたトイレットペーパーミッション!



 なんてことだ。今日に限って——腹を壊すとは。初めてトイレットペーパーのミッションを受けた日も、こんな調子だった。朝食に食べた、シュークリームが賞味期限切れを起こしていたのだ。


 ——二階の北側のトイレ。そこで稀にトイレットペーパーに文字が書かれている部分に出くわすことがある。そのトイレットペーパーのミッションをクリアすることができたなら、報奨インセンティブは計り知れない。しかし、万が一にもクリアできなかった場合は、地獄の底に堕とされる。


 子供だましだと思っていた。だがしかし——。おれはこのトイレットペーパーミッションで、部下たちの信頼を得(ミッション:お笑い/コメディを参照)、果ては社長の信頼まで手に入れた(ミッション:社長に何も食わせるな!を参照)。


 社長に気に入られたおれは、今では営業部長に昇進。中小企業とはいえ、今の地位は、おれの人生を彩ってくれている。


 しばらく帰省していなかった実家にも錦を飾ることが出来た。もうこれ以上のことは望まない。所帯が持てなくてもいい。いや、所帯どころか、ここ最近は部下の森村と、社長につき纏われて少々お疲れモードだ。それが祟ったのだろう。これしきのことで、腹を下すなど——。軟弱極まりない。


 腹をさすりながら二階のトイレに上がる。今日はこれから大事な会議が控えているのだ。


 現在、日本の経済状態は芳しくない。下町の中小企業は、生き残りをかけて、あの手この手と試行錯誤を繰り広げている。社長一代で築き上げた、下町の医療機器メーカーのわが社も然り。業績は、昔ながらの医院や診療所の閉院に伴い、目減りの一途だ。大病院との契約が複数存在するため、なんとか赤字幅を抑えることが出来ているものの、このままでは社員のリストラも止む無し――。総務から通告されたのが、ちょうど二か月前のことだった。


 あれから、社長は苦渋の決断をした。M&A——Mergers(合併) and Acquisitions(買収)だ。一つで難しいなら、肩を寄せ合えばいい。社長は、他社との合併を希望したのだ。そこで依頼したのが、M&Aの仲介会社ハッピーパートナーズだ。


 この二か月で、彼らとは何度か話し合いを重ねた。前回の会議で、優良物件である合併希望会社を選定してくると行ったっきり、二週間以上が経過する。次の会議までの間に、資料を送付してくると言っていたくせに。おれの手元には、一切届いていない。約束を守らないような会社は信用ならない。そう——アウト・オブ・眼中だ!


 今日は奴らには、文句を言ってやるのだ。そんな大事な会議の席で、トイレに駆け込むなんてことはしたくはない。もう少し時間があるなら、ゆっくりトイレにでも入って準備を整えようか——。


 その日のおれは、どうかしていたに違いない。二度のトイレットペーパーミッションをこなし、どこか気持ちが緩んでいたのだろうか。まさか、あの……二階北側のトイレに入ってしまうなんて! そんなバナナ!


 今日の会議の内容を想像しながら、便座に座り、そして何気なしにトイレットペーパーを巻き取る。すると——。灰色の再生紙からできているそこに、じわじわと文字が浮かび上がった。


 ——待て待て待てー! ちょっとタンマ!


 しかし、浮き上がった字はくっきりとその姿を現した。


『会議の重要書類をぐちゃぐちゃにせよ!』


「へ!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてから、慌てて唾を飲み込んだ。


 ——冗談はよしこちゃーん! 三回目だぞ!?


 都市伝説のトイレットペーパーミッションと言えば、他言無用と決まっている。こんなにも頻繁にミッションが下されるなんて。もう都市伝説でも何でもない気がしてきた。


 ——特別感がなさすぎだろう……?


 おれはがっくりとうなだれた。会議の重要書類と言ったら、今日のM&Aに関する書類に決まっている。またか。またやるのか? 前回だって、お堅い連中がいる中で、社長の大福、全部食っちまったじゃないか。会議室内の空気が、南極大陸くらいの冷え具合。……南極には行ったことないけどな! ああ、南極で難局。ピンチはチャンス。いや、ピンチはピンチだろう!?


 トイレットペーパーミッションを実行して、不利益を被ったことはない。それは事実だ。だがしかーし。駄菓子は好きよ。じゃなくて、もう本当に肝が冷えるんだってば!


「ううう……。ううう……」


 一人で唸っていると、森村の声が聞えてくる。


「あ! やっぱり。部長。また北側のトイレ使って! ここは危ないんですから。冗談はよしこちゃんですよ! そんなことより、会議始まるって、社長が探していますよ」


 おれは身支度を整えてから、扉を開け、それから水道で手を洗った。すると、森村が「はいどうぞ」と可愛らしいうさたんの刺繍されているハンカチを差し出してきた。


「ハンカチは持っているぞ」


「いいえ。使ってください。この刺繍。部長のために頑張ったんです」


「え……」


「部長。なにか世紀末ミッションを抱えているみたいに、シリアスな顔つきなっていますよ。おれ——。部長のためなら、なんでもします! どこまでお伴させてください! だから応援しています。部長、大好きです!」


 森村は顔を真っ赤にしたかと思うと、一人で完結して去っていった。うう。なんてことだ。おれはただ。トイレットペーパーにダジャレをぶちかませと言われて、やっとの思いで親父ギャグを口走っていただけなのに。なぜか森村に好かれてしまっている。これはどうしたものか。取り残されたおれの手にはうさたんのハンカチが残されたのだった。


 ——いやいや。それよりもミッションだよ、ミッション!


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