生首拾いました
井田いづ
生首伯爵と騎士
コンビニの帰り道、僕は生首を拾った。
深夜。都心ならばいざ知らず、日付を越える時間になれば郊外のこの辺りはしんと静まり返る。聞こえるのは虫の音ばかり──気分転換の散歩に丁度いい。
なんの変哲もなく通り過ぎていくばかりの日々に落とされた、悪戯のようなものだった。怪談話も浮き立つ話も僕とは別次元の話だったのだが。
いま、僕の足元には
生首──実際生かどうかはさておきとして、形態から生首と称するべきそれ──は家とコンビニの丁度中間地点にあるこぢんまりとしたゴミ捨て場のキワに、無造作に転がっていた。短い金髪で、肌は真っ白、ホリが深くて外国人のようだった。瞼が閉じて見えないけれどきっと目は青いのだろう。
僕は一瞬だけ固まってから、本物の筈はないと頭を振った。どうせマネキン頭だろう。
深夜テンションもあってか、僕は少し度胸試しのように指先でその肌に触れていた。どこか強張ったゴムのような感触だった。そっと見ても辺りに血溜まりだとか、血痕の類はどこにもなく、やはりこれはマネキンなのだ。僕はほっと息を吐いた。
しかしこれを拾って帰る趣味はない──そう立ち上がって、さっさと帰路に足を踏み出したその直後。
「ああ、薄情な君、待ちたまえよ!」
「ほびゃッ⁈」
僕は文字通り跳び上がった。深夜、一人で出歩いている最中、しかも生首を見た後に不意打ちで声をかけられれば誰だってビビる。
しかし、振り返っても肝心の声の主が見えなかった。聞き間違えか、或いは心霊現象か──。
「少年、こちらだ。ええい、寝返りも打てん! この私に触ったのだ、手を貸す気はないのかね!」
「え……あ、え……」
僕は視線だけを足元に下げた。そこに転がる生首から、声は聞こえてきていた。頭がおかしくなってしまったのか、それともこのところレポートの締切に追われていて睡眠不足だったのが祟ったか。夢を見ているのかと思うが、吹く風の温度からして、それはない。
転がった生首が流暢に話しかけてきている光景は異様なものだった。よく見てなかったけど、実は精巧なおもちゃだったのだろうか。例えば、近くの大学で造られたロボットの頭部だとか──。
馬鹿馬鹿しい想像をする僕に向かって生首がぎゃんぎゃん騒ぎ立てはじめた。やはりこの首が喋っていた。
「聞こえているのに無視をするとは、まったくけしからん奴だな! 少年、君のことだぞ!」
「え、あ、いや──」
「そら、見たことか。やはり聞こえているのだろう! さあ、早く私を助けるのだ」
いささか偉そうな物言いで、生首は僕に命令する。関わったってイチミリもいいことなんかないのは分かっていた。聞こえなかったふりをして、すぐに帰るべきなのだ。
そうわかっていたのに、僕は考えていたのと真逆の行動をとっていた。
僕は仕方なくそれを両手に包んだ。思った以上に重い。なんとなく怖かったので、顔を合わせないように持ち上げた。これで視界に映るのは金髪の後頭部だけだ。
「ふむ、迅速とは言い難いが、君の手助けに感謝するよ。しかしこれでは恩人たる君の姿がよく見えないではないか。正面に向けたまえよ、よく見えるように」
「なんか……嫌なんすけど」
「嫌? 君、少年、私に見られるのが嫌だって!」
「カメラがついてたりしそーっすもん」
「なんだね、それは」
言いながら親指で弄ったが、後頭部にスイッチの類は見られない。僕はそっと首の切断面を──グロテスクなものを見る覚悟をもって──覗き込んだ。もしかしたらそこに電源があるのかもと思ったのだ。
とんだ拍子抜け。
そこにあったのは切断面のプリントだけだった。リアルなテイストではあるけれど、作り物めいてつるりとしたそれは明らかにプリントと称していいものだろう。電源らしきものは見当たらなかった。
「こ、この変態め! いくら恩人でもそれは許されることではないぞ!」
「は?」
「体内を覗くなど、破廉恥だとは思わんかね!」
手元の生首は切断面を見られていると察したのか、声を荒げた。僕にはこの生首の羞恥のポイントがわからない。第一、このプリントは体内に入るのか。それに体はどこにもなくて、あるのはこの頭だけだ。脳内? でもないが。
しかし、不快にさせたのならと僕は素直に謝った。
「すんません」
「ふん、素直なのはいいことだ。しかし人の恥部を覗き込んでおいて己の顔は見せませんなどというのはどうかと思うがね」
「……わかりました」
仕方なく──まったくもって、生首の言葉に従うべきことなんてなかったのに──僕は手近なポストの上に生首を置いた。今度は、僕に向けて。想像通りの青い瞳が、ぎょろんと動いてから僕をとらえた。
「やあ、やっと顔合わせだな、少年」
「それで、えーっと、あなたは」
「あなた? いやいや、私のことは
「あるある……」
「
慣れ、或いは思い込みというものは恐ろしいもので、僕はおもちゃではなさそうだと判じても最初の頃の恐ろしさはすっかり抜け落ちていた。
呪いの人形の類ならいざ知らず、生首伯爵は起き上がりもできないただの頭部なのだ、しかも悠長に話しかける友好性から見ても悪いものではないんじゃないかな──。
人並みにビビリだけれど、僕はそういう楽観的なものでできている。
「待て、待て、少年も名乗りたまえよ」
「ぼ、僕?」
「君のことはなんと呼べばいいのかね」
「あー、えっと」
僕は逡巡した。こういう時、名乗らない方が良いんだっけ? しかし、偽名はとっさには思い浮かばず、ならば苗字だけなら(同姓はたくさんいるし)平気だろうと結論付けた。
「フツーに
「おお! フッツーニ君、いや、
「都合の良い?」
「こちらの話だよ、騎士の少年」
フッツーニは名前じゃないし、なんなら
生首伯爵は実に良い笑みを浮かべていた。探し物を見つけたような、晴れやかな笑み。なんとなく僕は目を逸らした。
「そのー、伯爵は何なんすか。なんでこんなところに」
「ふむ、やはり気になるか」
「当たり前じゃないすか。酒飲んでたら酔っ払いの幻覚だって言われても納得しますよ」
「残念ながら、少年。この出会いは幻ではないのだよ」
生首伯爵はカタカタと頭を動かした。
「騎士の君にはどう映る?」
「伯爵は……玩具じゃないっすよね。
「ははは、君は実に愉快だな! 私は伯爵だよ。ただし、首なき伯爵────首無し騎士の伝説ならば、君も聞いたことはあるのではないかな? スリーピーホロウ、ダラハン、君の好きなように考えれば良い!」
頭が手元でポンポン飛び跳ねた。ずいぶん昔に見たアニメーション映画に、そういえば生首だけで跳ねて動き回るキャラクターが出てきたなと思い出す。
しかし、よくよく考えたらおかしくないことなど一つもないのだ。生首伯爵は玩具ではないのに、頭ひとつで一人でに話しだす。僕は僕でそれをおかしいと思いながら、逃げることもしないでこの奇妙なモノと対峙して。しかもコイツは西洋の御伽話にでてくる首無し騎士だと言ってきた。
目が回りそうになってきた。
というか、そろそろ帰りたくなってきた。コンビニに行って帰るだけのはずだったのだ。
「あー、はい。首無し騎士、名前くらいは知ってるような」
「おや、怖がらないのかね」
「まあ……ここにあるの、生首だけっすし、殺るなら拾った時に声かから前にていうか、怖い云々の前に僕はそろそろ帰りたいんすよね……」
そう言って一歩下がったところ。引き留めるように頭が動いた。ぐらりと揺れて自由落下──目の前でぐしゃりなど見たくはない。そのせいで、ああ、僕はまた生首を受け止めて両手に抱える羽目になったのだ。
「ナイスキャッチ、フッツーニ君。しかしいや、待ちたまえ」
「まだ、なにか」
「笑ってくれて結構なのだが──実に間抜けな話があるのだよ、少年。実は頭を失くしてしまっていてね」
「は?」
「先にも言ったが、私は伯爵でね。仕事ついでに日本に遊びに来ていたのだが、ウッカリ頭をなくして、途方に暮れていた頃に君が来たというわけなのだ」
「いや、頭はここにあるじゃないっすか……」
首無し騎士の仕事とはこれいかに。むしろ失くしたのは身体なのでは、と思うのだが彼が言うには失くしたのはあくまで頭の方らしい。
「……頭ひとつでどうやってここに来たんすか」
「いや、鳥に啄まれたような気もするし、何かの荷台にいたような気もする。人がマネキンだなんだと言って放り投げていた気もするな。とにかく、私の力及ばぬところで話は進んでいてね。気がつけばここにいたと言うわけさ! 置き所が悪くてあたりも見えないから拾いに行くにも一苦労で困っていたのだよ。まだ文化も知れてない、食べてないものも山ほどあるというのに!」
しかしそんなところを君が助けてくれた! 生首伯爵は目を輝かせた。じきに身体が来るだろうと。聞かされて、僕は今更ながらぞっとした。何が近づいている?
「首のない、身体が?」
「当然だとも。首はここにある。今全力で走っているところだ」
「は、はあ……じゃあ、ここに置いておけば身体が取りに来れます、ね……」
僕は引き攣った笑みを浮かべた。
僕の感性からすれば敵意がなかろうが、首なしの体が夜闇を駆ける姿は恐怖以外の何者でもない。生首だけの方がまだマシだ。そんなのを見るのはごめんだと思う。きっと長い間悪夢にうなされることになるのは目に見えていた。
帰ろうとした僕を見て、大袈裟に生首伯爵は叫んだ。
「ああ、ああ、なんと薄情な騎士であるか! 哀れな伯爵をひとり置いていくつもりかい、ええ? 君はこれから家に帰るのだろう──灯りのつく、あたたかい、屋根のある家に!」
「まあ、電気も暖房も屋根もありますけど」
「よろしい。私を連れて行きたまえ」
「嫌っす」
「なんと! また嫌だと!」
「知らない人を家には……」
「それが心配なのかね、フッツーニ君」
「まあ」
「それならば安心したまえ! 私は伯爵、君は騎士。既に言葉も交わし知っている仲ではないか! それにこの状況で長いといるのはいささかよろしくないのではないかな」
ここでふっと、この場面を他の人に見られたらとんでもない誤解を生むのではないかと言う気持ちが湧いてきた。どうして今まで気がつかなかったのか。深夜に生首──それが本物でないにせよ──と対話する男は、どう考えたって恐怖以外の何者でもないだろう。
生首伯爵はまさにそのことを言っていた。しかし連れ帰るのもあり得ない。
「おっと、置いて帰るとは言うまいな?」
「言いたいすけど」
「冗談はやめたまえよ、少年!」
腕の中で伯爵が笑った時。
コツ、コツ、コツ、とヒールが地面を鳴らして近づいてくるのが聞こえてきた。慌てて顔を上げたが、人影は見えない。しかし足音は確実にこちらへ向かっていた。
「そうら、人が来る。私もこのまま不法投棄は望まない」
「ああ、もう! わかりましたよ!」
僕は咄嗟に踵を返した。
生首伯爵を置いていかなかったのは、置いて逃げるという単調な二作業をするだけの心の余裕もなかったのと、なんとなく彼に親しみを覚えてしまったからだった。落としていくには忍びない。なぜだか抱えているのが丁度良くて、そのまま夜道を急いだ。
それに、単調な日常に落とされた悪戯に、内心ワクワクしていたのも確かだった。
「よし、決めた。助けてくれた礼のひとつとして、君の首を守ると保証しよう」
「え? じゃあ置いてってたら……」
「今まさにここに迫っている私の身体が君の首を刈るだろうね。なにせ、首無し騎士は顔を見られることが嫌いなのだから────」
「脅しじゃんか……」
「いや、いや、脅しではなくこれは騎士へのお願いさ! それにほら、君は私を助けているではないか!」
僕は遅すぎる後悔をした。
生首伯爵はまあまあ、と僕を宥める。彼曰く、食わずともやっていけるから食事代は基本はかからず、排便の必要もない。体さえ合流すれば自由に動けるし、身体の方に荷物もひっついてくるだろうから礼も必ずするのだと。
「それに一時的にせよ門番としての私は優秀だとは思わないかね、少年。玄関に置いてくれさえすれば、家に近づく者に威嚇できる。番犬なんかよりよほど良い門番さ! 泥棒などに怯えることはまずないだろう」
「玄関に生首置いてたら、僕がやばいやつだって噂が立って怯えられる立場になりそうっすけどね」
僕はさっさと諦めた。まあ、一時的に物珍しいペットを飼ったという風に捉えれば、貴重な人生経験だし。
「ウチ、壁薄いんで騒がないでくださいよ。身体の方も静かに来るようにしてください」
「善処しよう」
善処とは「行けたら行くね」くらいのものだということを僕はまだ理解していなかった。既に生首を拾うという非日常を味わいながら、首無し騎士の移動手段だとか、彼らがどんな時に現れて、何をしていくモノなのかも考えられていなかったのだから──。
とにかく、この日から、長い長い僕と生首伯爵伯爵との二人暮らしが始まったのだ。
(一旦・了)
生首拾いました 井田いづ @Idacksoy
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